34.もう少しだけ、話さない?
その日の午後、ステラはレグルスに言われた通り、アークライト公爵邸の庭園などを案内してもらいながら、ゆったりとした時間を過ごした。
レグルスはステラの気を紛らわせるように、様々な話をしてくれた。ヴァルデア王国のことから、この屋敷のこと、さらには家族のことまで。
彼の話はどれも興味深く、ステラは聞き入ったが、頭の片隅では常に母国のことを考えていた。こうしている間にも自国には混乱が広がっている。それが自分のせいともあらば、ステラの気が晴れないのも無理はなかった。
日が暮れた後は、レグルス、レティシアと共に夕食を取り、ゆっくりと湯あみをした。そして今は、自室で一人休んでいる。寝台に腰かけながら、ステラは荷物から書状を取り出し、父の字を眺めていた。
国王が残した三つの書状。それらは全て、娘を想って父が残してくれたものだと、ステラはよくよく理解している。それなのに今、自分は父の期待と想いを裏切り、こうして無為な時間を過ごしている。
「お父様……」
ステラはこの書状を見るたびに、胸が張り裂けそうになる。小さく息を吐き、ステラは書状を丁寧にしまった。
何もできることがないとやきもきするくらいなら、さっさと寝てしまおうかと思ったその時、遠くの方から、ドーン、と音がした。その音は一回で終わらず、何度も繰り返し聞こえてくる。
流石に気になってバルコニーに出てみると、夜空に見事な大輪が咲いていた。
「花火……?」
「建国祭だよ」
突然隣のバルコニーから声が聞こえ、ステラはびくりと肩を跳ね上げた。声の主は言わずもがな、レグルスだ。彼も今出てきたところのようで、ゆっくりとステラ側のバルコニーに近づいてくる。
「ごめん、驚かせちゃった。ここ一週間くらいは、毎日花火が揚がるんだ」
「へえ……! 綺麗ね」
ステラも自然と彼の方へ近寄って行った。バルコニーの間は一、二メートルほど。部屋から漏れ出る明かりと花火の光で、相手の顔が十分に見えた。
「午後、本当は建国祭に連れて行ってあげたかったんだけど、そんな気分じゃないかなと思ってね。お嬢さんさえよければ、いつでも連れていくよ」
「気遣ってくれてありがとう。でも、やはり遠慮しておくわ。自国を混乱させてしまっているのに、楽しめる気がしなくて」
「そうだよね。明日のヴァルデア王との謁見で、お嬢さんの気が少しでも晴れるといいんだけど」
レグルスは気づかわしげに眉を下げたかと思えば、何かいいことを思いついたようにすぐに表情を明るくした。
「お嬢さん、そっちに行ってもいい?」
一緒に花火を見よう、ということだろうか。ステラは一瞬迷ったが、それくらいなら構わないだろうと、許可を出す。
「ええ。いいわよ」
「ありがと。ちょっと待ってて」
レグルスはそう言うと、自分の部屋に戻っていった。室内を通ってくるのだろうと思い、ステラも一度中に入ろうとしたが、レグルスがすぐにバルコニーへ戻ってきた。そしてそのまま、バルコニーの手すりに飛び乗った。
「ちょ、ちょっと! 何やってるの!」
ステラの心臓は縮み上がった。ここは二階だ。落ちたらよくて大怪我。打ち所が悪ければ死ぬ可能性だってある。
しかしレグルスは、ステラの心配などお構いなしに、軽やかに隣のバルコニーへと飛び移った。そして、ステラの目の前に見事に着地する。
ステラはホッとしつつも、彼をきつく窘めた。
「落ちたらどうするの! 続き部屋なんだから、中を通って来なさいよ!」
「流石にお嬢さんのいない部屋の中を通るのは忍びなくてね。それに、そんなヘマはしないから安心して。はい、これ」
レグルスが差し出したのは、空のワイングラスだった。ボトルも持っているので、花火を見ながら酒でも飲もうということらしい。
しかしステラは、兄エドウィンの影響で酒を避けていた。兄のように酒に溺れた人間には決してなりたくないからだ。
レグルスの気遣いを無下にしてしまうと、ステラは表情を曇らせる。
「ごめんなさい。私、お酒は……」
「大丈夫。ただの果実水だよ。お嬢さんがお酒を飲まないようにしてるの、知ってるから。これ、すっごく美味しいんだ。ヴァルデアの名産」
レグルスは優しく微笑むと、グラスに少しだけ液体を注いだ。差し出されたグラスの中身を嗅ぐと、確かにアルコール特有の匂いがしない。
ステラはグラスを受け取り、恐る恐る口に運んだ。すると、ブドウの甘みと芳醇な香りが口いっぱいに広がった。ステラは思わず顔を綻ばせる。
「ありがとう。とても美味しいわ」
「気に入ってもらえたみたいでよかった。花火、一緒に見よ」
レグルスは自分のグラスにも果実水を注ぐと、ボトルをガーデンテーブルに置き、ステラを手すりの方へ誘った。
二人は並んで花火を眺めながら、時折他愛もない会話をした。ついこの前までこうして夜語りをしていたのが懐かしい。彼と共に夜を過ごすのは、ほんの二日ぶりだというのに。
花火は三十分ほどで終了した。時間としては短いが、実に見ごたえのあるものだった。これが一週間毎日見られるとは素晴らしい。
今日はこれで解散だろうと、ステラはレグルスに声をかけた。
「ありがとう、レグルス。楽しかったわ」
「もう少しだけ、話さない?」
レグルスはそう言うと、ステラの髪を掬い、耳にかけた。不意に触れられ、ステラの心臓が飛び上がる。
「いい、けど……」
ステラは辛うじてそう返した。レグルスの瞳は真っ直ぐにステラに向けられており、逸らすことができない。
「ずっと聞こうと思ってたんだけど、お嬢さんはどうして俺にキスしてくれたの? 苦手って言ってたのに」
予想外の問いだった。ステラはあの時の――倒れたレグルスに自分からキスをした時のことを嫌でも思い出した。羞恥で途端に顔が熱くなる。
「あ、あの時は必死だったのよ。あなたが死んだらどうしようって、無我夢中で……」
「俺が死んだら、悲しんでくれた?」
「当たり前でしょう?」
「そっか。嬉しい」
レグルスは表情を和らげたあと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ねえ、お嬢さん」
「なに?」
「城から逃がしたら褒美をくれるって約束だったけど、キスはだめ?」
ステラの心臓がドクンと跳ねた。
これまでにも、キスをねだられたことは何度もある。今回もいつも通り、冗談めかした口調だ。しかし、彼の笑顔は、はっきりと寂しさを帯びていた。
「どうして……そんな顔をしているの……?」




