33.隣国の王太子
ステラがアークライト公爵邸に来て、丸二日が経った。レグルスとは屋敷に到着して別れたまま、会っていない。
時々、レグルスの部屋に食事が運び込まれているので、眠ったままというわけではないようだ。彼の隣の部屋ということもあり、ステラは常にソワソワしていた。旅の道中、いつもそばにいたレグルスが、今は近くにいるようでとても遠くに感じる。一人に慣れなければと言い聞かせたにもかかわらず、早く彼の顔が見たいと思う、弱い自分がいた。
ステラは屋敷に慣れないせいか、あまりよく眠れず、またあの悪夢を見るようになっていた。地下牢に閉じ込められた、一度目の人生のあの夢だ。
しかし、寝不足だなどと言っている場合ではない。今日は、アークライト公爵家に客人が来ている。ステラは今、その客人と応接室で対峙しているのだ。
「お久しぶりです。ステラ王女殿下」
ステラの向かいに座る彼は、爽やかな笑みを浮かべている。第一印象は「優しい青年」だが、彼が気の抜けない相手ということは、これまでの経験からよくわかっている。
「ご無沙汰しております。アーノルド王太子殿下」
客人とは、ヴァルデア王国の王太子、アーノルドだ。ステラがアークライト家にかくまわれていることは、すでに王家の知るところだった。
ステラはこれまでに何度かアーノルドに会ったことがある。基本的には友好的だが、彼は相当な切れ者であり、油断はできない。今ステラがいるのは、まさしく外交の場だ。
「事情は全て、アークライト家の者から聞いています。この度は大変な思いをされましたね。我が国に亡命されたのは英断でした」
「自国のことでご迷惑をおかけして申し訳ございません。アークライト公爵のご助力を賜り、こうして生き永らえております」
「いえ、我が国の者がステラ殿下のお力になったのなら、これほど嬉しいことはありません。両国の友好関係も、より一層強固なものになると信じております」
アーノルドはそう言うと、スッと目を細めた。
「ですので、アークライト公爵が貴国の城に誤って入ってしまったことは、不問にしていただけないでしょうか。お互い様かと思いますので」
レグルスは元々、グレイヴ王家の情報を探るために王城へと侵入していた。グレイヴの王女として、本来であれば強く非難すべきところだ。しかしアーノルドは、「命を助けてやったんだから今回のことは見逃せ。お前の国も諜報員を我が国に送り込んでいるだろう」と言っている。
今日はこれを言いに来たのだろうかと、ステラは笑顔を浮かべながら思った。
「もちろんです。誰だって、間違えることくらいあるでしょうから」
「ステラ殿下が寛大なお心をお持ちでよかったです」
互いが笑顔の仮面を貼り付けて、そんな会話をしていると、突然横やりが入った。
「腹の探り合いなんて面倒な真似はやめて、さっさと本題に入ったら?」
声の主はレティシアだ。この部屋には、ステラとアーノルドに加えて、レティシアも同席していた。彼女はソファに座りながら腕と足を組んでおり、王族の前とは思えない態度だ。
アーノルドは苦笑している。
「レティシア……君は本当に清々しい性格をしているね」
「見ていてまどろっこしいと思っただけよ。お互い敵対の意思がないのなら、さっさと歩み寄って問題を解決すべきでしょう?」
「それもそうだ」
アーノルドとレティシアの会話からして、二人は旧知の仲のようだ。でなければ、レティシアの態度や口調は、いくら公爵家の人間とはいえ許されるものではない。現に、アーノルドはレティシアを咎めるどころか嫌な顔一つしていなかった。
アーノルドは「さて」と言うと、ステラに視線を戻した。
「ステラ殿下。レティシア嬢の言う通り、本題に入るよ。ここからは腹の探り合いはなしだ」
アーノルドの顔からは、胡散臭い笑顔が消えていた。彼の雰囲気ががらりと変わり、ステラは少し困惑する。こちらが彼の素なのだろう。アークライト公爵家と遠縁ということもあり、どこかレグルスに面影が似ている。
「わかりました。それで、本題とはなんでしょうか?」
「ヴァルデア国王と私は、あなたが安全に母国に帰れるよう援助したいと思っている」
「……!」
まさにお願いしようと思っていたことを先に言われ、ステラは目を見開いた。同時に、強い安堵が胸を満たす。ステラの表情が自然と和らいだ。
「ありがとうございます。これほど心強いことはありません」
「明日にでも一度、王城に来てくれるかな。国王があなたと話したい、と。今日はそれを伝えに来たんだ」
「わかりました。では明日、伺います」
ステラとしても、早いうちにヴァルデア国王に助力を求めようと思っていたので、まさに渡りに船だ。この二日は焦りと不安が大きかったが、今後について方針が見えてきたことで、心が少し軽くなった。
「送迎はうちでやるわ、アーノルド。迎えは不要よ」
「わかった。助かるよ、レティシア」
「ありがとう、レティシアさん」
そこで、アーノルドがふと気づいたように言う。
「そういえば、レグルスは? 出かけてるの?」
「家に帰ってきてから、ずっと休んでいるわ。もうじき復活すると思うけど」
「そうか。今回は本当にお手柄だったからね。よく休ませてあげて。レグルスはいつも無茶をするから」
これまでの経緯からして、王家とアークライト公爵家の仲はそれほどよくないのだろうと、ステラは勝手に推測していた。しかし、どうやらそうではなさそうだ。
レティシアが不機嫌そうに口を曲げる。
「あのお人好しに、この家の当主なんか向いていないのよ。全く……変な責任感なんか捨てて、さっさと家督をわたくしに渡してしまえばいいのに」
「ハハッ。手厳しいね、レティシア。レグルスは真面目なのさ。自分の背負う重責を、かわいい妹に押し付けるなんて、気が引けてできないんだろうね」
そう言ってアーノルドは苦笑していた。
そういえば、レグルスが以前「妹の方がずっとこの仕事に向いている」と言っていた。しかし、レティシアは自分が当主になりたいと思っている一方で、レグルスがそれをよしとしないらしい。確かにアークライト公爵家の担う役割を考えれば、レグルスなら全ての責任を自分で背負おうとするだろうと、ステラは思った。
すると、レティシアが不意に扉の方を向いた。
「噂をすれば、ね」
彼女の言葉から程なくして、部屋の扉が開いた。
――レグルスだ。シャツにスラックスという非常に砕けた格好で、起きたばかりなのか、眠そうに目をこすっている。
「おはよ、アーノルド」
「おはよう、レグルス。もういいのかい?」
「ああ。十分寝たよ」
ステラは久々にレグルスの顔を見て喜びを感じつつも、あまりの格好に唖然としてしまう。
「レグルス、あなた……。王太子殿下の前で、いくらなんでもその格好は……」
ステラの反応を見て、アーノルドはおかしそうにクスクスと笑う。
「いいんだ。レグルスとは昔馴染みでね。僕たちの間に礼節というものは存在しない」
「失礼だな、アーノルド。時と場所はわきまえてるだろ」
「そうだったかな?」
「そうだよ」
軽口を叩きあう二人は、とても仲がよさそうに見える。きっと古くからの付き合いなのだろう。レティシアも特に兄を咎める様子がないので、ステラはそれ以上何も言わなかった。
「レグルス、明日ステラ殿下を連れて王城に来てくれ。君がいた方が話が早い」
レグルスはこれまでの話を聞いていたかのように、特に驚くことも説明を求めることもなく、「了解」とだけ返した。そしてステラの隣に座ると、柔らかく笑う。
「おはよう、お嬢さん。二日ぶりだね」
久々に見る彼の瞳は、やはり美しく赤色に輝いている。ステラはどうしてか少し緊張してしまい、思わず目を逸らしてしまった。
「おはよう……レグルス」
「この屋敷で不自由はしてない?」
「ええ。とてもよくしてもらっているわ。怪我はもう平気?」
「うん、すっかり良くなったよ。お嬢さんの手当てが適切だったからだね。ありがとう」
「それはよかったわ」
「午後は一緒に屋敷内を散歩でもしようか。どうせ明日までやることもないし」
まるでこの部屋に二人きりであるかのような会話。アーノルドとレティシアがいるのだから、もっと他に話すべきことがあるだろうにと、ステラは内心冷や汗をかいた。
ステラがレグルスのペースに飲まれていると、アーノルドがコホンと咳ばらいをした。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「さて、そろそろ邪魔者は退散しようかな」
「ア、アーノルド殿下」
立ち上がるアーノルドを慌てて呼び止めたものの、ステラは続きの言葉が出てこなかった。
本題は終わっているし、彼と他に話したいことがあるわけでもない。ただ、レグルスとの関係を誤解されているような気がして、つい呼び止めてしまったのだ。しかし弁明すると、余計に墓穴を掘りそうで、ステラは結局、感謝と別れの言葉を述べるにとどめた。
「ステラ殿下。せっかくヴァルデアまで来たんだ。ぜひゆっくりしていってくれ。この国は、いいところだよ」
アーノルドはそう言い残し、アークライト公爵邸を後にした。




