30.苛烈なレティシア
しばらくして、ステラを乗せた馬車はアークライト公爵邸に到着した。着いた頃には、もう夕暮れ時だった。
ヴァルデアの王都の隅に居を構えるこの屋敷は、古くからの名家とあって、かなりの広さを誇っている。レンガづくりの壁は、歴史を感じさせながらも、よく手入れされており美しい。広大な庭も見事なものだった。
馬車で屋敷の前まで乗りつけ、まずはレグルスが降りた。彼に差し伸べられた手を取り、ステラも続いて馬車から降りる。
出迎えてくれたのは、数名の侍従と、真っ赤な髪の少女だった。彼女の瞳は、レグルスと同じ真紅の宝石。髪と瞳の色が調和する美しい少女は、これでもかというほどまなじりを吊り上げ、両手を腰に当てていた。
レグルスが苦笑しながら少女に声をかける。
「ただいま、レティシア」
「ただいま、じゃないわよ! この馬鹿兄貴!」
レグルスの妹である赤い少女――レティシアは、兄に向って怒声を上げた。
「久々に帰ってきたと思ったら、どうして女連れなの!?」
レティシアの苛烈な視線がステラに向いた。モリスが言っていた通り、これは相当お怒りらしい。
彼女は事情を知らないのだろうかと疑問に思いつつも、ステラはこれ以上怒らせないよう、慌てて挨拶をした。
「挨拶が遅れて申し訳なかったわ。私は隣国グレイヴ王国の第一王女、ステラよ。今回は迷惑をかけてごめんなさ――」
「知っているわよ、そんなことは!」
謝罪の言葉を言い切る前に、思いっきり怒声が返ってきた。この場は黙っていた方がよさそうだと、ステラは口をつぐむ。
隣のレグルスはというと、困ったように眉を下げている。
「事情は全部知ってるだろ、レティシア。彼女がグレイヴ王城でキャロライナ王子妃にはめられて捕まりそうになっていたところを、俺が助けたんだ」
「ええ、もちろん知っているわ。お兄様が遣わした部下から報告は受けていたもの。だからこそ、国境沿いに迎えを寄こせたのよ」
「その件はありがとな。助かった」
レグルスが素直に礼を言うと、レティシアは盛大な溜息をついた。
「全く……本当にお人よしなんだから、お兄様は。振り回される私やレオナルドの身にもなって頂戴」
レティシアにとってみれば、兄が隣国の王女を助けて自国に連れ帰るなど、迷惑極まりない行いだったに違いない。万が一レグルスが捕まれば、自分たちにも被害が及びかねない。なんて危ない橋を渡ってくれたんだと、文句を言いたくなるのもよくわかる。
「悪かったって。でも、彼女を助けない選択肢はなかっただろ? あの色欲王子に国王になられちゃ、いずれまた戦争になる」
「そうなのよ。そこなのよ。だからお兄様を責めきれないのよ。もし惚れた弱みで助けただけだったなら、ボコボコに殴り倒していたところだったわ」
レティシアの言葉は冗談ではないのだろうなと、ステラは思った。レグルスの顔がボコボコにされなくて何よりだ。
レティシアはひとしきり叫んで溜飲が下がったのか、少し穏やかな表情になった。
「国王陛下もお兄様を褒めていたわ。よくぞステラ王女を救ってくれたと」
「そっか。近いうちに事情説明を兼ねた挨拶に行かないとな」
「その前に、少し休みなさい。丸二日くらい寝なさいな。もう限界なんでしょう?」
「ハハッ。バレたか。そうするよ」
レグルスは苦笑しながら頭を掻いた。そんな兄を見て、レティシアは呆れ顔だ。
一方のステラは、レグルスの体調が優れないのだと知り、途端に心配になる。
「レグルス、やっぱり怪我が悪化してるんじゃ……!」
不安げなステラに、レグルスは「大丈夫」と言って優しく微笑んだ。
「どちらかと言えば寝不足がたたってるだけだから。しばらく寝るけど、俺が起きるまではレティシアを頼って」
「わかったわ。ゆっくり休んでね」
それからステラは、レグルスに続いて屋敷の中へと足を踏み入れた。玄関ホールは吹き抜けとなっており、解放感に溢れている。窓が多く、日の光がたくさん入ってくる構造だ。中央には大階段がある。
レグルスは「じゃあ、俺は先に休むね」と言って、さっさと階段を上がっていった。二階に自室があるのだろう。
ステラはというと、食事と湯あみの準備ができているとレティシアに言われ、まずは湯あみをさせてもらうことになった。数名の侍女に連れられ、立派な客人用のバスルームで湯あみをしたステラは、久々にさっぱりした気分になった。ちゃんと身を清めたのは、アイゼンフォルテの宿以来だ。
それから久しぶりにしっかりとした食事を取り、ステラはレティシアに部屋へと案内された。大階段を上ってすぐの部屋だ。
この頃には、外はすっかり日が暮れていた。
「ここがあなたの部屋よ」
濃紺と白を基調とした落ち着いた空間。広い寝台と質の良いソファセット、見事な意匠のドレッサー。客間にしては随分と立派だ。
そして、部屋の左壁には扉が一つ。続き部屋があるのだろうか、であれば衣装部屋だろうか、客間に衣装部屋が繋がっているとは珍しいなと、ステラは気になってレティシアに尋ねた。
「ありがとう。隣は?」
「お兄様の部屋」
「え!?」
思ったより大きな声を出してしまって、ステラは慌てて口を塞いだ。レグルスは今頃眠っているはずだ。起こしてしまったかもしれないと、ヒヤリとする。
そんな心配を察したかのように、レティシアが言う。
「大丈夫よ。一度寝たらなかなか起きないから、あの人」
その言葉に、ステラは首をひねる。旅の途中、レグルスがなかなか目覚めないということは一度もなかった。追手が来ればいち早く気づき、ステラを起こしてくれた。
「でも、レグルスはいつも私より早起きで、敵の動きにも敏感だったわ」
「そりゃそうでしょう。あなたを守るという使命があるのに、うかうか寝ていられないもの。この家に帰ってきて、安心してようやく眠っている、ということよ」
レティシアは半ば呆れたように言った。それが兄に対するものなのか、ステラに対するものなのかはわからなかった。
レティシアの言葉からして、レグルスは約一か月もの間、ろくに寝てなかったのだろう。大きすぎる負担を強いていたことに、申し訳ない気持ちで胸が押しつぶされそうになる。
表情を暗くしたステラに、レティシアはさっぱりとした口調で言う。
「あなたが罪悪感を抱くことはないわ。全て、お兄様が好きでやっていることだから」
そしてレティシアは、「あなたもゆっくり休みなさい」と言って、部屋から出て行こうとした。ステラは最後に聞きたいことがあると、慌てて彼女を呼び止める。
「どうしてこの部屋を私に? ここは女主人の部屋でしょう?」
当主の続き部屋は女主人の部屋――つまり彼の妻の部屋と相場が決まっている。そんな部屋を借りていいのだろうかと、ステラは心配になったのだ。
すると、レティシアはわずかに目を泳がせた。
「あー……それは、あれよ。他の部屋が埋まってて、この部屋しか空いてなかったのよ」
レティシアはそう言うと、今度こそ部屋を出て行った。
ステラは気が抜けたせいか、一気に疲労感に見舞われ、たまらず寝台に倒れ込んだ。目を閉じれば、すぐに眠ってしまいそうだ。
耳を澄まして聞こえてくるのは、風が窓を揺らす音くらい。焚火のパチパチという落ち着く音も、カサカサと木の葉が揺れる音も、レグルスの楽し気な笑い声も、遠く昔の記憶に思えた。
広い部屋にポツンと一人いることに、無性にさみしさを覚える。城にいた頃は全くそんなことは思わなかったのに、旅の道中、ずっとレグルスと共にいたことで、随分と弱くなってしまった。
「これからは、一人に慣れないと」
ステラは自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、目を閉じた。
いつもなら、眠るときにも彼の気配を感じていた。それが自分にとってどんなに安心をもたらしていたか、ステラは今更になって気づいたのだった。




