28.俺らの勝ち
両側を木々で囲まれていた街道の景色が、パッと開けた。しかし、そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。
国境沿いに、騎士らしき制服を着た男たちがずらりと待ち構えていたのだ。
その制服は、グレイヴ王国のものでも、ヴァルデア王国のものでもなかった。ステラは相手が敵か味方わからず怯み、慌てて止まろうとしてしまう。
――が、しかし。
「ステラ王女殿下! そのままこちらへ!」
街道の真ん中にいた老紳士に大声で呼ばれ、ステラは一か八かでそのまま駆け抜けた。
そしてステラは、ついに国境を越えた。
並んでいた騎士たちは、ステラを攻撃することなく、皆揃って街道に向かって威嚇をしている。何者かはわからないが、敵ではないことは確かなようだ。
ステラはレグルスの安否が心配になり、馬を止めてすぐに振り向いた。
レグルスの後ろには、暗部の男たちが五人。レグルスは全ての矢を完璧に弾いていたようで、馬も彼自身も無傷だった。
暗部の男たちは国境沿いの騎士団を見た途端、馬を急停止させた。馬のいななきが響き渡る中、レグルスは街道を駆け抜けた。彼もまた、無事に国境を越えたのだ。
レグルスはすぐに馬を止め、敵に向かって振り返る。
「引け! ここから先はヴァルデアの領土だ!」
レグルスの言葉に、暗部の男たちは悔しそうに歯噛みしていたが、すぐに踵を返し、去っていった。
(助かったの……?)
ステラは暗部の背を目で追いながら、馬上で呆然としていた。心臓はバクバクと脈を打ち、落ち着かない。
「お嬢さん! もう大丈夫! 降りてきていいよ!」
いつの間にかレグルスが馬を降り、ステラのそばに来ていた。ステラは伸ばされた彼の手を取り、馬を降りる。
レグルスはとても晴れやかに、満面の笑みを浮かべていた。
「ハハッ! 俺らの勝ち!」
レグルスはそう言いながら、ステラをぎゅっと抱きしめた。突然のことに驚き、ステラはすぐさま彼の腕から抜け出そうとする。
「ちょ、ちょっと、レグルス!」
胸を押し返そうとするが、レグルスはびくともしない。他人に見られていることがあまりに恥ずかしく、ステラの顔は真っ赤に染まった。
「はーっ、よかった、守れた」
安堵の溜息が耳元で聞こえ、ステラは抵抗をやめた。道中、常に余裕があるように見えたレグルスだったが、きっと彼もいっぱいいっぱいだったのだろうと、この時初めて理解した。
「ありがとう、レグルス。本当に、ありがとう」
ステラは心からの礼を告げた。思わず抱きしめ返したくなったが、それはいけないことだと、ぐっとこらえた。
それからレグルスがゆっくりとステラを離すと、一人の男が話しかけてくる。
「レグルス様。そしてステラ王女殿下。ご無事で何よりでございます」
彼は先ほどステラを大声で呼んだ老紳士だ。白髪に眼鏡をかけている彼は、黒の燕尾服に身を包み、さながら執事のようだ。
レグルスは彼に向き直り、肩をポンと叩く。
「よく来てくれた、モリス。助かったよ」
「御礼はレティシア様に。全てはレティシア様が手配されたことです」
「ああ……」
レグルスの表情が途端に強張った。笑顔が引きつっている。
「……レティシア、やっぱり怒ってる?」
恐る恐る尋ねたレグルスに、モリスは無情にも頷いた。
「それはもう、カンカンでございます。大人しく怒られてくださいませ」
「わかったよ」
レグルスは観念したように苦笑すると、置いてきぼりのステラに説明を加えてくれた。
「レティシアは、前に話した俺の妹ね。こっちは執事のモリス。ひとまずは馬車でうちの屋敷に向かおうか」
「ええと……?」
ステラはわかるようでわからなかった。レグルスはとある名家のお抱えの諜報員なのだろうか。しかし、モリスはレグルスのことを「様」付けで呼んでいた。
「レグルスは、なんという方に仕えているの? あなたの主人はどなた?」
ステラが首を傾げてそんな質問をすると、モリスが信じられないというように目を大きく見開いた。
「レグルス様……まさか、ステラ殿下になんの説明もなさっていないのですか?」
引き気味のモリスに、レグルスはあっけらかんと答える。
「うん。旅の途中で話したら、気を遣わせるかなと思って。だから、着いてから説明しようと思ってた」
「全く……あなたという方は……」
モリスはひどい頭痛に見舞われたかのように額を抑えた。そしてステラに向かって深々と頭を下げる。
「ステラ王女殿下。うちの主人が本当に申し訳ございません」
「主人……?」
ステラはまさかと思い、隣のレグルスを見上げた。彼はいたずらっ子のように、口角を上げて笑っている。
そして彼は、ステラに向き直り、恭しく礼をした。さながら上位貴族のような、美しく見事な立ち居振る舞いだった。
「改めまして、ステラ王女殿下。私はアークライト公爵家当主、レグルス・アークライトと申します。あなた様の命をお守りできた栄誉を賜り、恐悦至極にございます」
「…………」
ステラは開いた口が塞がらなかった。やがてパクパクと何度か口を開閉させた後、ようやく言葉が喉から出てくる。
「公、爵、家……? え、公爵家? 当主? え?」
「はい。若輩者ながら、アークライト公爵家の当主を務めさせていただいております」
レグルスは紳士の微笑みを浮かべそう返した。まるで別人のような口調と所作だ。さっきまでの、軽い男はどこへ行った。
あまりの衝撃に思考が停止していたステラだったが、しばらくしてようやく事実を受け入れた。その反動として、一気に疑問が爆発する。
「レグルスって本名だったの? どうして今まで貴族だって黙ってたの? どうしてさっきまであんな口調だったの? そもそもどうして公爵家の当主が密偵なんてことをしているの?」
「ステラ王女殿下、どうか落ち着いて――」
「その口調やめて! 元の話し方に戻して!」
「わ、わかった。どうどう」
レグルスはステラの気迫に焦ったようだ。からかいすぎたと反省したらしい。
ステラは重要な事実を隠されていたことが無性に腹立たしく、レグルスをきつく睨みつけた。素性も知らない相手に「自分を逃がせ」とお願いしていながら、怒れる立場にないことは重々わかっていたが、それでも怒りは収まらなかった。
レグルスは眉を下げ、「ごめん、お嬢さん」と素直に謝った。
「お嬢さんの質問には全部答えるよ。でも、馬車の中でね。早く君を屋敷で休ませたい」
反省した様子を見せる彼に、ステラの怒りは少し収まり、幾分か冷静になった。
そしてレグルスの言う通り、ステラは近くに用意されていた馬車に乗り込んだ。
馬車の扉に描かれていた家紋は、見たことのないものだった。そもそも、アークライト公爵家という家名自体、ステラは聞いたことがない。しかし、馬車の装いからして、レグルスが嘘をついているとは思えなかった。それほどまでに立派な馬車だった。
「さっきの質問、全部答えるね」
向かいに座るレグルスは、真面目な様子で話を続けた。
「まずは、正体について黙っていてごめん。俺が貴族だと知ったら、きっとお嬢さんは俺を頼らなかっただろ? グレイヴ王城からの追手が他国の貴族に怪我でもさせたら外交問題に発展するって、君なら考えたはずだ」
「それは……そうね」
レグルスの理由が実にもっともらしいものだったので、ステラは反論の余地を失った。彼に抱いていた怒りが、途端に申し訳なさに変わっていく。彼を責めるのは、やはりお門違いだった。
「こんな口調なのは、仕事柄としか言いようがないね。庶民に扮して貴族の話し方をしてたら、すぐに怪しまれるから。もちろん、貴族らしい話し方もできる。貴族らしい立ち居振る舞いもね」
「それはさっきのでよくわかったわ。でも、身分を隠したかったのに、本名を教えたのはどうして?」
ステラはレグルスの本名を聞いても彼の正体に気づけたわけではなかったが、普通、公爵家の人間であることを隠したかったのなら、偽名を使うだろう。現に、彼は各所で偽名を使っていた。
ステラの疑問に、レグルスは片側の口角を上げ、目を眇めた。
「答えは単純。お嬢さんには、本当の名前で呼ばれたかったからさ」
「? どうして?」
「憧れの人に名前を呼ばれてみたいっていうのは、至極真っ当な理由だと思うけど?」
「憧れ……?」
またからかわれているだけかもしれないと思ったステラだったが、彼の目はふざけているようには見えなかった。
レグルスはニコッと笑うと、すぐに話題を変えた。
「で、最後に、俺が――公爵家の当主がどうして密偵なんて真似事をしているかって話だけど」
それからレグルスは、アークライト公爵家の過去と、自らの生い立ちについて語った。




