22.英雄との決闘(1)
要塞都市アイゼンフォルテを出て五日。
ステラとレグルスは山間の街道を進んでいた。この山を越えれば、隣国ヴァルデアまですぐだ。このままのペースで進めば、あと三日ほどで国境までたどり着ける予定である。
この街道は、ヴァルデア王国に続くいくつかの山道の中で最も狭く、人通りも少ない。道幅が二、三メートル程度しかなく、荷馬車がすれ違うことが難しいため、あまり使われていないのだ。
幸いなことに、アイゼンフォルテを出てからは晴天続きだった。追手に見つかることもなく、実に順調な道のりだ。
道幅が狭いので、ステラはレグルスの後ろに続く形で、馬を走らせていた。日が高く昇り、そろそろ昼食にしようかというところで、突然レグルスが馬を止めた。馬は驚いたのか、高いいななきを上げる。
急停止したレグルスにぶつからないよう、ステラもあわてて自分の馬を止めた。
「どうしたの!?」
ステラはレグルスの横に並び、彼に問いかけた。レグルスの表情は険しく、その視線はまっすぐに前方に向けられている。
「……待ち伏せされていたか」
レグルスは小さく舌打ちをした。ステラが彼の視線を辿ると、そこには騎乗した騎士が数名。ハッとして後ろを振り返ると、そこにも同じく騎士が数名いた。完全に囲まれてしまっている。
前方から騎士たちがゆっくりと馬を歩かせてやって来る。先頭にいる男の顔がだんだんはっきりしてきた。
「あなたは……」
男を認識した途端、ステラの背に冷や汗が流れた。
――ウェイバー・ミリウス。
国王に忠誠を誓い、敵国からの侵攻を幾度となく防いだ英雄。騎士としての実力も、軍を率いる能力も、この国で随一と言える傑物。すでに齢四十を超えるというのに、彼に敵う者は現れていない。
ウェイバーが率いる第一騎士団は、精鋭中の精鋭が集まる部隊。ステラたちを取り囲んでいる彼らは、間違いなくその団員だ。
――終わった。
ステラの脳裏にはそんな言葉が浮かんでいた。
ウェイバーはステラの前で馬を止めると、静かに告げる。
「ステラ殿下。エドウィン殿下のご命令でお迎えに上がりました。ここまでです。どうか城にお戻りください」
その声には、はっきりと怒気が込められていた。ウェイバーの険しい視線に息をのんだステラだったが、手綱を握りしめ、しっかりとした口調で言い返す。
「ごめんなさい。それはできないわ」
「……ならば、力ずくで連れ戻すまで」
ウェイバーがスラリと剣を抜いたその時、隣にいたレグルスがサッと馬から降りた。そして、身につけていた片方の手袋を地面に投げつけたのだ。
その行為は、決闘を申し込むときの合図であった。
「なんの真似だ?」
ウェイバーのこめかみに青筋が浮かぶ。そんな彼を挑発するかのように、レグルスは片側の口角を上げた。
「見りゃわかんだろ。決闘しよう、騎士団長」
「ちょっと、何言ってるのよ!」
レグルスの強さはここまでの旅でそれなりに理解したつもりだ。しかし、ウェイバーは別格である。真正面から戦えば、彼に勝ち目はないだろう。
レグルスの挑発に、ウェイバーの青筋が増える。
「貴様がステラ殿下をそそのかし、城から連れ去った不届者か?」
「違う、彼は――」
ステラは弁明しようとしたが、レグルスに邪魔をされる。
「あんたが勝ったら、大人しくお嬢さんを渡すよ。でも俺が勝ったら、あんたは部下を連れて城に帰ってくれ。どう? シンプルでいいだろ?」
レグルスは馬上のウェイバーを見上げながら、人差し指をクイクイと動かし、降りて来いとでも言うように煽っている。
「ハッ。いいだろう。すぐに終わらせてやる」
ウェイバーはサッと馬から降りると、部下を下がらせ、決闘するに十分なスペースを作った。
「団長、本気なのですか?」
「あのような素性の知れない者の言うことなど、聞かずともよいのでは」
止めようとする部下たちを、ウェイバーは視線だけで制す。その鋭さに部下たちは言葉を飲み込んだ。
「絶対に手を出すなよ」
ウェイバーは部下たちにそれだけ言うと、街道の中央に立つ。
一方のステラは、レグルスに言われて街道脇で馬を降り、決闘を見守ることになった。
「ごめんね、お嬢さん。奴らの存在に気づけなくて。おかげで余計な足止め食らっちゃった」
そう言うレグルスは飄々としている。自分が負けるなどとはこれっぽっちも思っていない様子だ。
ステラはレグルスからリュックやローブなどの荷物を受け取りながら、彼の表情をうかがった。笑みを浮かべているが、目が全く笑っていない。
「レグルス……もしかして、怒ってる……?」
「そう見える? ならそうかも」
この旅の中でレグルスが怒った場面と言えば、交易都市ヴェーラで酔っ払いに絡まれた時くらいだ。あの時はあからさまだったが、今はもっとわかりにくい。ステラにはレグルスが何に怒っているのかわからなかった。
なんと言葉を返そうかステラが迷っていると、なぜかレグルスが目の前で跪いた。そして、そっとステラの手を取る。
「安心して。お嬢さんを奴らに渡す気は一切ないから」
赤い瞳に見上げられ、ステラの心臓が跳ねた。まるで求婚のようだという余計な思考を振り払うと、ステラの胸は心配で埋め尽くされる。
「……絶対に、怪我しないで」
「了解」
レグルスは軽やかに笑うと、立ち上がり、剣を抜いた。そして、とうとうウェイバーとレグルスが相対する。
ウェイバーは依然として鋭い視線をレグルスに向けていた。
「命を落としても恨むなよ」
「そっちこそ」
双方が構えると、辺り一帯の空気が静まり返った。静寂に包まれた二人は、睨み合ったまま動かない。互いに出方をうかがっているようだ。
そして、小鳥のさえずりを合図に、両者が一斉に動いた。
(速い……!)
ウェイバーとレグルスは、互いに一気に間合いを詰めた。まともに剣を交えれば、力負けするのはレグルスの方だ。ステラは思わず目を閉じたくなったが、ここで逸らしてはいけないと、抱えていた彼のローブをぎゅっと握った。
いよいよ二人の剣が交わるかと思った瞬間、レグルスの姿が視界から消えた。ウェイバーの脇に体を滑り込ませ、背後を取ったのだ。しかしウェイバーはレグルスの動きを読んでいたかのように、すぐさま振り向いた。そして振り向きざまに、剣を横薙ぎに払う。その軌道の先にはレグルスの首があった。
「レグルスっ!」
ステラが悲鳴に近い声を上げたその時、レグルスが手から何かを放った。
――砂だ。先ほどステラの前に跪いた時に、拾っていたのだ。
ウェイバーは片腕で目を庇いながらもう片方の腕で剣を振り抜いたが、レグルスはその刃を絡め取るように受け流し、弾き飛ばした。
ウェイバーの剣は宙を舞い、地面に突き刺さる。一方、レグルスの剣先はウェイバーの首元に向けられていた。
時間にしてみれば、決着がついたのは一瞬だった。ウェイバーは何が起きたのかと呆気に取られている。
「俺の勝ち」
レグルスがニッと口角を上げると、ウェイバーは我に返り、たちまち怒りをあらわにした。
「決闘で目に砂をかけるとは、なんと卑怯な!」
戦場ならいざ知らず、騎士同士の勝負であれば、ましてや決闘であるならば、砂をかける行為は確かに卑怯と捉えられても仕方がない。根っからの騎士であるウェイバーにとっては、レグルスの行いは到底許せるものではなかった。
しかし、レグルスはウェイバーの非難を意にも介さず、むしろ鼻で笑う始末だ。
「卑怯? 生きるか死ぬかの真剣勝負に、卑怯もクソもないだろ」
「貴様はなんだ? 小汚い賊か? 卑劣な暗殺者の類か? 騎士ではないのは確かだな!」
声を荒げたウェイバーに、レグルスは冷ややかな視線を向ける。
「俺は騎士道精神ってのが心底嫌いでさ。命を賭して主を守るんだろ、あんたら騎士は。でもさ、主を守るべき騎士が死んだら、誰が主を守るんだ?」
「なんだと……?」
「俺は、卑怯者と言われようが、どんなに後ろ指を差されようが、絶対に生きて主を守る。俺が死ぬときは、主を守り切った後だ」
レグルスはちらりとステラを見た後、すぐに視線をウェイバーに戻した。その眼差しは、ステラが今までに見た中で、最も怒りと非難に満ちていた。
「お前の主は誰だ? ステラ王女殿下だろ! なぜ主に向かって剣を向けようとした? なんで馬鹿王子の言うことに従ってる!? いつから馬鹿王子の犬に成り下がった!」
「私だってあの方の命令など聞きたくはなかった!」
レグルスの怒声をかき消すように、ウェイバーは声を上げた。そしてウェイバーは、ステラの方に体を向け、一歩踏み出す。
「教えてくださいステラ様。キャロライナ様毒殺未遂は作り話でしょう。そんなことはわかっております。ですがなぜ、玉璽を持ち出すようなことをなさったのですか! それがなければあなたの無実など、いくらでも証明できたというのに!」
「お前らはそんなことも……!」
レグルスが言い返そうとしたが、ステラがそれを制した。




