17.お嬢さんが言うことなら、全部信じる
自分の話題だっただけに、ステラの心臓はドクンと跳ねた。無意識に体が強張る。
「ああ。しかも玉璽を持って逃走中なんだろ? いやあ、ステラ王女には、期待してたんだけどなあ」
「今、各街の関所で厳しい検問が行われてるらしい。アイゼンフォルテでも、関所を通る全員の顔と名前を確認することになったらしいぜ」
(この五日のうちに、王城からの通達があったんだわ……。やっぱり、私が倒れたせいで……)
ステラは深く俯いた。途端に現実に引き戻され、追手に見られているのではと怖くなる。
膝の上に置いた両手は、小さく震えていた。その時、ふと大きな手がステラの手を覆う。レグルスだ。
「お嬢さん、宿、戻ろっか」
耳元でささやかれ、ステラは小さくうなずいた。レグルスに手を引かれ、歩き出す。
「ステラ王女は、なんでそんなことしちまったかなあ。やっぱり、生まれてすぐにお母様を亡くされて、愛情を受けずに育ったことが大きいのかなあ」
「でも国王様はステラ王女を猫可愛がりしていただろう? やっぱりエドウィン王子とキャロライナ妃が邪魔で、消そうとしたんじゃないか?」
ステラはレグルスの手を強く握った。背筋が凍り、全身が総毛立つ。一刻も早く、宿に帰りたかった。
ステラの異変を感じ取ったレグルスは、手をしっかりと握り返し、やや速足で通りを抜けていく。宿に着くまでそう時間はかからなかったが、ステラは終始息苦しくて仕方がなかった。心臓が嫌な音を立て、呼吸が荒くなる。
宿の部屋に戻ると、レグルスはすぐさまステラを寝台に座らせ、自分は目の前で跪いた。
「お嬢さん、大丈夫? 顔が真っ青だ。体調、よくなかった?」
ステラはゆっくりとフードを取る。こちらを覗き込んでくる彼の顔には、心配と不安が浮かんでいた。
ステラは震える唇をなんとか動かし、言葉を絞り出す。
「……ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「うん。なんでも聞いて」
「私のお母様って、生きているわよね?」
「…………」
レグルスは驚いたように目を見開いただけだった。その反応だけで、答えがわかってしまった。
母は、もうこの世にいないのだ。
先ほどの商人たちの会話は、間違いではなかった。
「お母様は……私が生まれてすぐに亡くなったの……?」
ステラが尋ねると、レグルスは眉根を強く寄せ、頷いた。
ステラはこの時点ですっかり血の気が引いていたが、それでもなお、質問を続ける。
「城を出るとき、お母様を残していくことが気がかりだって言ったら、あなたは『きっと大丈夫だよ。守ってくれる人がいるだろうから』って、言ってたわよね。あれは、どういう意味だったの?」
「……母君の遺品や墓石の話をしているのかと思ったんだ。お嬢さんは、母君が生きていると聞かされていたの?」
レグルスは当然のように、ステラの母が存在しない前提で話をする。
ステラは気が狂いそうだった。引きつる顔を無理やり動かし、歪に笑う。
「私ね、一度死んだの。何かの比喩じゃなく、本当に死んだの。キャロライナ様の策略にはまって、お母様と一緒に地下牢に入れられて。最期は、キャロライナ様に毒を飲まされて、死んだの」
「…………」
「それから、夢を見たわ。真っ白な世界で、お母様と再会した。そしてお母様にこう言われたの。『私の命を使いなさい。生きて、あなたがこの国を救うのです』って」
母は、己の命を犠牲にし、ステラを生き返らせた。そんなこと、あり得ないと思いつつ、やはり地下牢での四日間が夢だったとは思えなかった。だって、ステラの中には、母と共に生きた十八年の記憶が、確かにあるのだから。
「次に意識を取り戻した時には、時間が巻き戻っていたわ。多分、一度死んだのは夢じゃない。だって私は、十八歳の誕生日をお母様に祝ってもらったんだもの。あれは絶対、夢じゃない。夢じゃないのよ」
「…………」
レグルスは眉根を寄せ、黙ってステラの話を聞いていた。きっと、頭のおかしい女だ思われているだろう。
ステラはもはや、笑うしかなかった。レグルスの反応が怖くて、彼から視線を逸らす。
「……馬鹿みたいでしょう? 意味がわからないでしょう? 私も、訳のわからないことを言ってるってわかってる。だって、死に戻りなんて、あり得ないもの。でも、本当なの。信じてなんて言わないけれど、本当なの。決して嘘じゃ――」
「信じるよ」
力強い声音に驚き、ステラは思わずレグルスを見た。彼の瞳は、まっすぐにこちらを向いている。
「お嬢さんが言うことなら、全部信じる」
真剣で、嘘偽りのない瞳。彼は、本当に信じてくれている。こんな馬鹿げた話を。
ステラの「どうして」という言葉は、音になる前に消えた。レグルスに抱きしめられたからだ。
「一回目の人生で助けられなくてごめん……!」
「……っ!」
レグルスの強い悔恨の言葉を聞いて、ステラの目からは堰が切れたように涙が次々とあふれて止まらなくなった。何かに縋り付きたくなり、レグルスの背に手をまわす。彼の服をぎゅっと握りしめ、嗚咽を漏らした。
「お母様は、私のせいで……!!」
「お嬢さんのせいじゃない。お嬢さんのせいなわけがない」
レグルスが抱きしめる力を強めた。ステラも無意識に手に力が入る。
「お母様には、もう会えない……もう会えない……! お母様……ううっ、お母様……!!」
ステラはレグルスの胸に顔を埋め、泣き崩れた。これまで一度も、人前で涙を見せたことなどありはしなかったというのに、みっともなく、声を上げて泣いた。
彼は何も言わずに、ただ抱きしめてくれた。ステラの悲しみも、自責の念も、後悔も、全てを受け止めるように、強く抱きしめてくれた。
どれほどそうしていたかわからない。気づけば日はすっかり落ちていて、部屋の中は暗くなっていた。窓から入るほのかな月明かりだけが、ぼんやりと辺りを照らしている。
ステラはようやく泣き止み、レグルスの胸から顔を離した。泣きすぎると頭が痛くなるのだなと、この時初めて知った。
「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」
「本当に?」
気遣わしげに尋ねてくるレグルスを見上げると、彼の顔が思った以上に近くにあって驚いた。泣いているときは何も考えられなくなっていたが、今もまだ抱き合ったままだ。しかもここは寝台の上。この部屋にソファがないことが災いした。
ステラは慌てて彼に回していた腕をほどき、その場で身じろぎした。
「ええ。明日に向けて、今日はしっかり食事をとって、早く寝ましょう」
「そうだね。食堂で夕食をもらってくるよ」
レグルスはそう言うとステラを離し、明かりを灯してから部屋を出て行った。
一人になれたことに、ステラはホッとする。つい先ほどのことを思い返し、羞恥心でいっぱいになった。
(私、なんてことを……)
人前で泣き崩れるは、男性に抱きつくは、とんだ醜態をさらしてしまった。
ステラはそっと、自分の肩に触れた。力強く抱きしめられた感触がまだ残っている。誰かに抱きしめられるなんて、もちろん初めてだ。彼といると、初めてのことばかりで戸惑う。




