15.キスされると思った?
ステラが次に目を覚ますと、そこは知らない空間だった。
木目の壁と天井に囲まれたこの部屋は、暖色のランプに照らされていることも相まって、柔らかな温かみを感じる。閉められたカーテンから光が漏れ出ていないということは、今はきっと夜だろう。
寝台に横たわっていたステラは、自然とレグルスの姿を探した。顔だけ動かして部屋を見回すも、誰もいない。
まさか、レグルスに見捨てられた――?
そんな考えが脳裏を過り、ステラは途端に強い不安に駆られた。迷子のように心細くなり、胸がざわつく。
ステラが慌てて寝台から上体を起こしたその時、部屋の扉が開いた。
中に入ってきたのは、紛れもなくレグルスだった。彼の顔を見た途端、ステラは思わず涙が出そうになった。安堵で胸がいっぱいになる。自分がいかにレグルスを頼りにしていたか、ステラは嫌でも自覚した。
レグルスはステラが起き上がっているのを見て、ホッとした表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「よかった、目が覚めたんだね」
「どこに行っていたの?」
そんな言葉が口をついて出た。どこか非難めいた響きになってしまい、ステラはバツが悪くなる。
レグルスはまるでステラを安心させるかのように、優しく微笑んだ。
「仲間に会っててね。ちょうどこの街に滞在してたから、伝達係を頼んだんだ」
「仲間って、レオナルド君?」
「いや、また別の奴。妹に連絡を取りたくてさ。言伝を託したんだ」
レグルスの言葉を聞いて安心すると同時に、彼に見捨てられたのではと疑った自分を恥じた。彼のことを信じると決めたのに。
「ありがとう、レグルス。見捨てないでいてくれて」
「見捨てるなんてまさか。俺は一度受けた仕事は絶対に投げ出さない主義なんだ。だから安心して」
レグルスは寝台の横にあった椅子に腰かけると、色々と説明をしてくれた。
ステラが倒れた後、レグルスはアイゼンフォルテの街まで馬を走らせた。関所では厳しい検問が行われていたが、偽の通行証を提示しつつ「急病の妻を休ませたい」と申し出たところ、すんなり通してもらえたらしい。
そして、ここはアイゼンフォルテにある大型の宿だ。宿泊客も多く、それに紛れて特に怪しまれることなく部屋を取れたという。
「二日も目を覚まさなかったから、さすがに心配したよ」
そんなに寝ていたのかと、ステラは驚いた。言われてみれば、体が随分と軽くなっている。そういえば、ここ最近毎日のようにうなされていた悪夢を見なかった。それでよく眠れたのだろう。
しかし、体を休めるためとはいえ、アイゼンフォルテに入ってしまった。つまり、あと三日はこの街に滞在しなければならない、ということだ。
要塞都市アイゼンフォルテを囲う壁は、高さが二十メートルほどもあり、当然ながら人が登れる高さではない。この街に関所の門は二か所存在するが、いずれも五日に一度しか開かれず、厳重に警備されている。それこそ、国王の勅命でもない限りは、決められた日以外に門が開くことはないのだ。
「……ごめんなさい。私のせいで、足止めしてしまったわ」
「何も謝ることはないよ、お嬢さん。心身ともに限界だったんだ。ここで少し休息といこう」
レグルスはそう言うと、寝台に手をつき、身を乗り出してきた。彼の顔がずいと寄せられ、おでこ同士が重ねられる。前にも同じことをされたが、ここまで顔を近づけられると、嫌でも心臓がうるさく鳴ってしまう。
ステラはたまらなく恥ずかしくなり、彼の体を押しのけた。
「ねえ、どうして熱を測るとき、わざわざおでこをくっつけるの? 手でいいでしょう」
ステラが指摘すると、レグルスはしまったというように表情を硬くする。
「あー……気にしたことなかったな。母親がそうしてたからかも。ごめん、嫌だった?」
「そういうわけじゃ、ないけど……」
「あ、キスされると思った?」
「ちっ、違うわよ!」
図星を突かれ、ステラは慌てて声を上げた。しかし、顔を真っ赤にして否定しても、なんの説得力もない。肯定しているも同然だ。
レグルスは目を眇め、口角を上げた。
「俺はお嬢さんが許してくれるなら、いつだってキスしたいよ?」
「ほんと、軽いんだから……!」
「ハハッ! お嬢さんが元気になったら、ご褒美のキスでもねだろうかな」
「あげないわよ!?」
「えー。俺、結構頑張ってるんだけどなあ……」
レグルスがすねたように唇を尖らせた。
わざとやっているとわかっているものの、ステラはどうしても申し訳ない気持ちになった。いずれ褒美を取らせるとはいえ、彼にはここまで、無償で働かせてしまっている。十分な仕事をしてくれているというのに、なんの褒美も与えていないことを、気にしていないわけではない。
「それはわかっているけど、褒美ならもっとこう……」
お金とか地位とか、と続けようとして、今のステラにはそのどちらも与えられないと落ち込んだ。自分は今、何も持たない追われる身なのだ。
口ごもるステラに、レグルスはフッと微笑む。
「まだ熱があるから、何か食べて、薬を飲もう。待ってて。すぐに戻るから」
レグルスはそう言うと、一度部屋を出て行った。そして数分後に戻ってきたかと思えば、何やらトレイを持っている。
トレイに乗せられた皿には、消化のよさそうな具材がたっぷり詰まったスープが入っていた。
くん、と匂いを嗅ぐと、スープのいい香りが食欲を誘った。野菜のだしがよく効いている香りだ。丸二日も何も食べていないので、お腹はペコペコである。
「これ、どうしたの?」
「この宿、一階は食事処になっててね。宿の店主にお願いして、作ってもらってたんだ」
「ありがとう。あなたって、本当に誰にでも好かれるのね」
「お嬢さんも、俺のこと好きになっていいんだよ?」
レグルスは冗談めかしてそんなことを言ってきた。相変わらずの彼に、ステラは苦笑する。
「ならないわよ」
ステラは王女として、この国を背負わなければならない。政略結婚はあり得ても、誰かを愛し一緒になることなどあり得ない。それに、婚約者のイーサンに裏切られたと知った今、本当に信じられるのは自分だけなのかもしれないという考えになりつつある。ステラは一生独身でも構わないと、本気で思っている。
それからステラはスープを間食し、薬を飲み、再び眠った。
体調は日に日に回復していったものの、これまでの睡眠不足が祟ったのか、なかなか熱が下がらなかった。ステラが完全に復調したのは、アイゼンフォルテに入って五日目の朝だった。




