13.天性の人たらし
ステラが王城を出て、十日が経った。
馬で駆けては休みを繰り返すだけの日々だったが、レグルスがいてくれるおかげで、ステラは先の見えない不安と追われる恐怖から目を背けることができた。彼はまるで頭の中に地図が入っているかのように、深い森の中でさえ一切迷うことなく、ステラを導いた。人目のつかないルートを通り、最適な野営場所を選んでくれた。
レグルスがいなければ、間違いなく、逃亡生活はすぐに終焉を迎えていただろう。
ヴェーラの街を出てから、まだ一度も他の街には立ち寄っていない。レグルスが適宜狩りや採集をしてくれたため、食料が思った以上に尽きなかったのだ。とはいえ、物資もかなり減ってきたので、もう少し進んだところで街に寄ろうと、彼は言っていた。
回り道をしたとはいえ、すでにヴァルデア王国まで残り半分を過ぎている。ここまで順調に来れたのは、間違いなくレグルスのおかげだ。連日晴れ間が続いていたのも大きい。
しかし、今日はあいにく雨が降ってきた。
「お嬢さん、こっち!」
雨脚が強くなり、これ以上は進めないと判断したレグルスは、森の中の洞窟に案内してくれた。旅の中でよく使う場所らしい。目印のない森の中でも迷わずたどり着けるなんてと、ステラは驚かされる。
崖に穴が開いてできたようなこの広い空間は、奥行きも高さも十分で、野宿には最適な場所だと思えた。
「結構濡れちゃったね。火を焚いて乾かそうか。はい、これ、着替え。今着てるものは脱いで」
レグルスはそう言いながら、リュックサックからステラの着替え一式とタオルを出してくれた。ステラが礼を言って受け取ると、彼は途端に自分の服を脱ぎだす。彼がピタッとした黒い肌着に手をかけた時、ステラは慌てて止めた。
「ま、待って!」
レグルスは不思議そうな表情を浮かべながら動きを止めた。
黒い肌着は肉体の線を綺麗に拾っており、彼が鍛え抜かれた見事な体躯の持ち主であることがよくわかった。男性の体をよく見たことがないステラにとって、それはあまりにも刺激的な光景だった。
ステラはすぐに目を背ける。
「き、着替えるなら、もう少し離れたところでお願い」
レグルスは水の滴る前髪を掻きあげながら、得心がいったように笑う。
「ああ、ごめんごめん。配慮が足りなかったね。じゃあ、俺は入口の方、お嬢さんは奥で着替えよう。俺、絶対にそっち見ないから、着替え終わったら言って」
「わかったわ」
レグルスは宣言通り洞窟の入り口の方へ歩いていく。ステラも奥の方へ移動し、服を脱ぎ始めた。
雨でぬれた服は重く、肌に張り付いて不快だった。服を脱ぐと濡れた肌から体温が奪われ、ぶるりと身震いする。乾いたタオルがあって助かった。
レグルスが本当にこちらを見ていないかは気になったが、ステラが彼の方を見るのはそれはそれで失礼だと思い、背を向けて素早く着替えた。
「終わったわ。そっちを向いても大丈夫?」
「ハハッ、お嬢さんは律儀だね。俺のことは気にしなくていいのに。大丈夫だよ。おいで」
レグルスの快活な笑い声が洞窟に響く。彼は本当によく笑うなと思いながら、ステラは彼の元へと歩いて行った。
レグルスは既に焚火の準備をしているところだった。洞窟に入る前に集めた枝を割り、中の乾いた部分だけを並べている。ステラは彼の隣にしゃがみ込んだ。
「レグルスってなんでもできるのね。密偵の能力もそうだけれど、武芸にも秀でているし、狩りも料理もとっても上手。正直、万能すぎて驚いたわ」
ステラが素直に誉めると、レグルスは作業を続けながら微笑む。
「嬉しいね。あ、俺に惚れた?」
「フフッ。馬鹿言わないで。すぐに調子に乗るんだから」
こうしたやり取りも、ステラの心を軽くしてくれた。
レグルスはとても明るい性格で、人を惹きつける不思議な魅力がある。ヴェーラの街で買い物していた時も、どの店員ともすぐに仲良くなっていた。彼は天性の人たらしだなと、その端正な横顔を見ながら思う。
すると、レグルスは枝に火をつけながら、何かを懐かしむように目を細めた。
「武芸で言えば、俺の妹の方が強いよ。俺よりずっと、この仕事に向いてる」
「へえ、ぜひ会ってみたいわ。怖い妹さん」
「気性が荒いから、気を付けて」
彼の弟のレオナルドによると、妹はレグルスがステラを助けた件に関して、カンカンに怒っているという。もし彼女に会えたら、レグルスに迷惑をかけたことをしっかりと謝らなければと思っていた。ヴァルデア王国に行けば、会えるだろうか。
「レグルスは、家族を養うために密偵の仕事を?」
「そうそう。俺のところ、大家族でさ。皆を食いっぱぐれないようにするために、色々と鍛えたってわけ。ま、誇れる能力ではないんだけどさ」
レグルスはそう言って苦笑した。
今の話からすると、話に出てきた怖い妹とレオナルド以外にも兄弟がいるのだろう。長男として家族を支えようとする志はとても立派なだと、ステラは思う。
「あなたのその力は、あなたの任務を全うするために身につけたものでしょう? それも、家族のために。であれば恥じることなどないわ。胸を張って、誇りなさい」
ステラが大真面目にそう言うと、レグルスは意表を突かれたように目を大きく見開いた。深紅の瞳にじっと見つめられ、ステラは羞恥をごまかすように笑う。
「って、城の内情を探っていた密偵に、何を言っているんだって話だけれど」
「お嬢さんのそういうとこ、すげー好き」
レグルスがくしゃりと笑った。その笑顔が思いのほか胸に刺さり、ステラは慌てて口を開く。
「あ、あなたって、本当に軽いわね。誰彼構わずそういうことを言って、口説いているんでしょう」
きっと自分の顔は赤くなっているだろうと、ステラはバツが悪くなった。焚火に照らされているせいだと勘違いしてくれないだろうか。軽口を真に受けて照れているなどとは思われたくなかった。
すると、レグルスは心外だと言わんばかりに眉を跳ね上げる。
「まさか。お嬢さんにだけだよ」
「どうだか」
「ハハッ、ほんとだよ」
レグルスの言葉は、そこまでが本当で、どこまでが嘘か、よくわからない。そもそも名前だって恐らくは偽名だ。彼の行動は信じても、自分に向けられる言葉は、あまり真に受けないようにしなければならない。
その時、ステラは鼻がむずむずして、くしゃみが出てしまった。
「へくちっ」
「大丈夫? 冷えたせいかな」
レグルスはすぐに鞄から毛布を取り出すと、ステラの肩にかけた。ステラが「ありがとう」と言ったと同時に、彼の顔が急接近する。驚いて思わず目をつぶると、おでこ同士がこつんとぶつかった。
「……うん、熱はないね。夕飯作るから、できるまで休んでて」
レグルスはそう言うと、何事もなかったようにてきぱきと準備を始める。一方のステラは、心臓がうるさく鳴ってたまらなかった。
(キス……されるかと思った……)
すぐ目の前にあったレグルスの顔が脳裏に浮かび、ステラはぶんぶんと頭を振って残像を追い払った。毛布で頭をすっぽりと覆い、岩壁にもたれかかる。
心臓が落ち着いてくると、自然と睡魔に襲われた。雨音が心地よい。
「眠かったら、寝ていいからね」
「ええ……そうするわ……」
目を閉じると、すぐに意識が攫われた。




