10.踊るように制す
その日の夜も、ステラは同じ悪夢を見た。地下牢に閉じ込めれる夢だ。
しかし、今日は毒を飲まされる前に目が覚めた。レグルスに起こされたのだ。辺りはまだ真っ暗である。
「……どうしたの?」
ステラは寝ぼけ眼をこすりながら尋ねた。レグルスの顔には、かすかに焦りの色が滲んでいる。
「敵が追ってきてる。キャロライナが放った刺客だろう」
その言葉で瞬時に目が覚めたステラは、すぐに寝袋から這い出て靴を履いた。
「すぐに出立しましょう」
「いや、間に合わない。ここで迎え撃つ」
レグルスの右手にはすでに剣が握られている。ステラは耳を澄ませたが、カサカサと葉のこすれる音が聞こえるだけだった。風が枝を揺らしているだけなのか、刺客が近づいてきている音なのか、わからない。
ステラは息を殺して周囲を警戒した。どこに敵が潜んでいるかわからないというのは、こんなにも恐ろしいのかと、足が震えそうになる。
すると、すぐにパキッと枝を踏んだような音が近くで聞こえた。慌てて音の方に視線を向けたが、暗すぎて何も見えない。今日は星は出ているものの、月明かりはほとんどない。敵が一人なのか、複数なのか、それすらもわからなかった。
しかし、レグルスには敵の姿がはっきり見えているらしかった。彼は空いている方の左手で、ステラの右手をしっかりと握った。
同時に、刺客と思われる、低い声が静寂の森に響く。
「同業の者とお見受けする。その女を渡せ。無用な争いは避けたい」
「それ言われて、渡す馬鹿がいると思う?」
「……残念だ」
その瞬間、ステラの全身が総毛だった。強烈な殺気が刺客から放たれたのだ。
――殺される。
死を想像して、足がすくんだ。ステラが動けなくなったその時、耳元でレグルスの声が優しく響く。
「お嬢さん。手、絶対に離さないでね」
「え? って、きゃあっ!」
ステラは突然、手を引っ張られてこけそうになった。慌てて体勢を立て直したが、すぐに方向転換され、また体勢を崩しそうになる。
「ほうら、踊れ、お嬢さん! ダンスは得意だろう?」
「ダンス!? ダンスですって!?」
ステラは訳が分からないまま、恐怖を感じる暇もなく、ただレグルスに手を引かれるままステップを踏んだ。剣と剣が交わる、鋭い金属音が何度も鳴り響いていたが、それに気を取られていたら確実にこけてしまうと、踊りに集中した。
「女をかばいながら私に勝てるとでも? 随分となめられたものだ!」
「なめてないよ! あんたは強い。本気を出さないと負けそうだ!」
レグルスと刺客は普通に会話している。こんなに激しく動いているのに、彼らの心肺機能は一体どうなっているんだと、ステラは頭の片隅で思った。
舞踏会での踊りは、一曲大体三分ほど。ちょうど二曲分が終わる頃合いで、「ぐあっ」とくぐもった声がした。続いて、ドサッという誰かが倒れた音がする。レグルスが刺客を倒したようだ。
レグルスとの「踊り」は、これまでの人生で最も激しいものだったが、ステラは何とか踊り切った。全身から汗が吹き出し、息を整えるのに必死だ。みっともなく膝に手をついてしまう。
「さすがはお嬢さん。見事なステップだったよ」
「と、とても刺激的だったわ……」
レグルスの呼吸は全く乱れておらず、疲れてもいない様子だった。暗闇の中で全く見えなかったが、この男、武芸にもかなり秀でているらしい。
レグルスはランタンに火をつけ、刺客の男を照らした。男の装いを見た途端、ステラの背筋が凍る。
「暗部……!」
それはグレイヴ王国の暗部――諜報や暗殺を請け負う専門部隊の制服だった。レグルスの言った通り、キャロライナが放った刺客だろう。まさか彼女が暗部まで動かせるとは思っていなかった。彼女はいつの間に城の者たちを手中に収めていたのか。
「ありがとう、レグルス。私一人だったら、確実に殺されていたわ。私をかばいながら暗部を倒すなんて、あなた、すごいのね」
ステラが素直に礼と称賛の言葉を送ると、レグルスは目を眇めて楽しげに笑った。
「どう? 見直した? ご褒美のキスくらいしてくれてもいいよ」
「しないわよ。調子に乗らないで」
せっかく褒めたのに台無しだと、ステラは溜息をつく。黒い靄が、胸の中に広がった。
「それに私――そういうの、苦手なの。自分もお兄様みたいになってしまいそうで。お酒もそう」
ステラにとって、キスや体を重ねる行為は、どうしても忌避感があった。昔から女にだらしないエドウィンを間近に見てきたせいで、自分はああはならないでおこうと、そういうことを避けるようになったのだ。
そのため、婚約者のイーサンともそういう行いはしなかった。だからこそ、裏切られたのかもしれないが、それで裏切られるならそこまでの関係だったということだ。ステラは全く後悔していなかった。
そして、酒に溺れることは、色欲に溺れることと同じくらい恥じなければならない。酒は判断を鈍らせ、性格を変えてしまう。ステラはエドウィンの姿を見て、酒すらも避けるようになった。パーティーの際でさえ、「体質的に飲めない」と断り続けた。
「大丈夫。お嬢さんは、絶対にアレにはならないよ」
「アレって、言い方……フフッ」
ステラはレグルスの口の悪さに思わず笑ってしまったが、彼は至極真面目な顔をしていた。冗談を言ったわけではないと窘められているような気がして、ステラはすぐに笑いを収める。
「もしお嬢さんが、心から愛する人と出会えたら――どうか、その手を取ることを恐れないで欲しい」
深紅の瞳に射られ、ステラは息をのんだ。
この男は時々、相手の本質に迫るようなことを言う。相手のすべてを知った上での発言かのように、錯覚してしまう。
「私が愛するのは、グレイヴ王国だけよ」
ステラは逃げるように視線を逸らすと、「早くここを離れましょう」と言ってレグルスを促した。彼はまだ何か言いたげだったが、すぐに出立の準備を始めた。この場を離れることを優先したようだ。
その後、まだ夜が明けきる前に二人は出立した。今日も、ヴァルデア王国に向けて、ひたすら走り続けた。




