17. 五秒の敗北
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
グラフ
アンディ
アリス
アルス
クロード
教会の司祭(アンフォリーの妹)
アン・レゾン
四代厄災
悲狂のアン・フォリー
神速のレーヴ
絶対死者アブソリュート
グラフの想い人
ルミナス・エフェメール
──魔法国家アルカナン。城門前。
ジェシカはレゾンのもとへ報告するためアルカナンへ戻り、その足で教会へと向かっていた。
やはり、この国の民は皆、グリモアを信じ、顔を伏せたまま歩いている。
(何度見ても、この光景は異常だよ……前向いて歩かないと危ないじゃない)
そう思いながらも、足は止めない。
そのまま教会へ入り、大きなフォリー像の前で周囲を見渡した。
──ドクン。
耳の奥で、心臓が鳴る。
いや、違う。
これは──自分のものじゃない。
一拍、遅れて理解する。
心音が、直接“頭の中で”鳴っている。
「え!? これって……」
一度聞けば間違えない。レゾンの心音だった。
ただ事ではないと判断したジェシカは、すぐに走り出す。
向かう先は──以前、レゾンと話した塔の最上階。
”身体解放”
瞳が紅に染まる。
レンガ造りの螺旋階段を一気に駆け上がり、呼吸を整える余裕すらない。
そして、最上階へと辿り着いた。
そこで目にしたのは──。
「何で……何でお前たちが私より先にいるんだ!」
「あは! あははー!」
軽い声が響く。
場に似つかわしくないほど軽いその笑い声が、レンガの壁に反響する。
そこには、固まった血で両手足を拘束され、口を押さえられたまま持ち上げられているレゾン。
そして、それを片手で持つルミナスと──笑っているアブソリュートがいた。
「いやーなんて言うかさ? いい感じに踊ってくれたからさぁ?」
無邪気な子供が欲しい物を買ってもらったような様子で、肩を大きく揺らし笑っている。
「今の俺、すっげー気分良いわけよ」
そう言いながら、レゾンの首元の紐を引きちぎり、そこについていた鍵を取り──ジェシカへと差し出した。
「だからさ──ほら、これ欲しかったやつでしょ。持って行きなって」
あまりにも軽い口調だった。
「レゾンは──その人はどうするつもりなんだ!!」
声が荒くなる。
「おーおー、あはは!怒ってるねー」
笑っていたアブソリュートの表情が、すっと消える。
「……お前には関係ない事だ」
空気が、わずかに沈む。
「これ以上干渉してくるなら殺すよ」
「──!?」
その声に、ジェシカの中で何かが弾け考えるよりも先に、言葉が出る。
───────────
「スカーレット・ローズ」
───────────
紅が舞う。
両手から溢れた血が花びらのように散り、右手へと集まり、軋む。
そして──金色に輝く大鎌が握られていた。
「あはは!いやーやっぱジェシカちゃんはマリアなんだね!」
「うるさい! まずはお前のそのイラつく笑いを消してやる!」
迷いはなかった。
踏み込み、そのままアブソリュートに向け大鎌を振り下ろす。
──!!
止まる。
アブソリュートの腕一本で、完全に受け止められていた。
しかし。
ポタ……
ポタ……
スカーレットローズの大鎌の刃を伝い、血が落ちる。
だがその色は──赤ではなかった。
黒い。
「……お前まさか……」
違和感が、確信に変わる。
「死者と人間の間に産まれた……」
その言葉に、アブソリュートの表情が変わる。
「……さすがだよ」
低く、抑えた声。
「せっかく気分が良かったのに。 全く、本当に……俺をイラつかせてくれる」
空気が一瞬で歪む。
いや──震えている。
大気そのものが、わずかに揺れ始める。
黒いオーラが、ゆっくりとアブソリュートを覆っていく。
「な、何だ……この嫌な雰囲気は……」
本能が警告していた。
危険だと。
「我が主人さま、どうか気をおさめて下さい」
ルミナスが声をかける。
だが。
「……俺様の血を……」
声が重なる。
「血を……血を!!許さん!!」
その瞬間。
そこにいたのは、もう“少年”ではなかった。
黒いオーラが膨れ上がり、床に落ちた血がわずかに逆流する。
空気が重く、肺に空気が入らない。
そこに立っているだけで、“近づいてはいけない”と身体が理解する。
「これが……絶対死者アブソリュート……」
ジェシカの膝が崩れる。
抗えない。
ただ立っていることすら困難だった。
ルミナスが前に出る。
「我が主人。今は気を納め下さい」
必死に言葉を続ける。
「ここで動いてしまうと全てが水の泡に──」
ルミナスが言葉を続けようとした、その時。
違和感が走る。
視界の端で、何かがずれた。
次の瞬間。
床に、右手が落ちていた。
遅れて、血が噴き出す。
切られた“感覚”が存在しない。
ただ、結果だけがそこにある。
「あ、主人……なぜ」
「調子に乗るな」
冷たい声。
「雑魚のクセに」
感情は、ほとんど乗っていない。
「だがこれで少しは俺様の気は済んだ」
何事もなかったかのように、視線がジェシカへ向く。
「早くそれと箱を持って姿を消せ」
「なっ!? レゾンはどうする気だ!!」
「この先の事はお前に関係ない事だ。去れ」
その視線だけで、理解させられる。
逆らえば終わる、と。
そして。
「五」
唐突に始まる。
「四」
思考が止まる。
「三」
動けない。
「二」
助けたい。
だが、身体が動かない。
(くそ……っ……!)
「一」
限界だった。
ジェシカはルミナスの右手と共に鍵を掴み取り、同時に箱へ手を伸ばす。
振り返る余裕はなかった。
「──身体解放。」
血の足場を作る。
空へ跳ぶ。
遠ざかる。
(ごめん、レゾン!)
歯を食いしばる。
(必ず助けに来るから!)
涙が滲む。
それでも止まらない。
ジェシカはアルカナンを離れミネルバへと向かった。
─────────────
そんな事態になっているとは、まだ誰も知らないディヴァインリーパーの面々は、目の前の訓練に集中していた。
──三日前。
拠点裏にある開けた訓練場。
地面は踏み固められ、ところどころに剣の傷が残っている。
その中央で、クロードは刀を握っていた。
肩で息をしている。
喉が鳴るほど荒い呼吸。
「よし、いいぞクロード」
少し離れた位置から、グラフが声をかける。
「はぁ……っ、はぁ……はい……これで僕もようやく……」
言葉が続かない。
肺が限界まで使われている。
それでもクロードは、刀を握る手を緩めなかった。
グラフは一歩近づき、クロードの腰にある刀へ視線を落とす。
「次は、そのブラッディローズを使って──その出雲刀の刃を紅く染めてみろ」
静かな声だが、指示は明確だった。
クロードの喉が鳴る。
危険な工程だと、理解しているからだ。
「……はい」
短く返す。
一度、深く息を吐く。
胸の奥に溜まった空気を無理やり押し出すように。
次に、ゆっくり吸う。
肺を満たし、意識を一点に集める。
周囲の音が遠ざかる。
風の音も、グラフの気配も、すべて薄れる。
残るのは、自分の鼓動だけ。
ドクン。
ドクン。
クロードは刀を抜いた。
刃が光を反射する。
両手で握る。
手のひらは汗で湿っている。
「──ブラッディ・ローズ」
その瞬間だった。
身体の内側から、強引に何かが引き抜かれる。
「っ……!」
胸の奥が引きつる。
──血だ。
自分の血が、勝手に動いている。
腕を通って、手へ。
そこから、刃へと流れ込んでいく。
視界の端で、自分の腕の血管がわずかに浮き上がるのが見えた。
刃が、じわじわと赤く染まり始める。
だが同時に──力が抜ける。
膝が震える。
身体の内側が、空になっていく感覚。
「うがっ!!」
耐えきれず、声が漏れ呼吸が乱れる。
吸っても、酸素が足りない。
視界が白く滲みむがそれでも、握る。
ここで離せば終わる。
だが──限界だった。
血の流れが途切れる。
刃の色は、半分ほどで止まり完全な紅にはならなかった。
「くっ……ダメだ……」
膝から崩れるように、地面に落ちる。
片膝をつき、もう片方の手で地面を支え汗が顎を伝い、ぽたぽたと落ちていく。
その様子を、グラフは無言で見ていた。
少しして、口を開く。
「……今の感覚、覚えておけ」
クロードは顔を上げ息が整わないまま、必死に頷く。
「お前ができなければ、俺たちは先に進めない」
言葉は重い。
だが、責める響きではない。
事実だけを置いている。
「だが、無理に引き出すものでもない」
グラフは視線を外し、少し離れた場所を見る。
「……対策を考えろ」
クロードは小さく答える。
「……はい」
グラフは背を向けた。
「少し休め」
そう言い残し、歩き出す。
向かった先には、一振りの黒い片手剣があった。
地面に刺さるように立てられている。
普通の剣ではなく近づくだけで、肌がざわつく。
フィセルのマナが埋め込まれた剣。
それは、触れられることを拒んでいるようだった。
だが、グラフはそれを握る。
その瞬間、わずかに腕に抵抗が走る。
「……いい加減認めろ」
力で剣を押さえ込むが微かに、反発が返る。
「お前は、もう負けてる」
小さく呟く。
まるで相手と向き合うように、構え視線は遠くを見ていた。
一方その頃。
アンディはすでにこの場を離れていた。
アリスの診断を受け、自分に合う武器を求めてグレンの元へ向かっている。
それぞれが、それぞれの戦いをしている。
だがまだ誰も知らない。
この先に待つものの重さを。




