16. 選ばれなかった命
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
グラフ
アンディ
アリス
アルス
クロード
教会の司祭(アンフォリーの妹)
アン・レゾン
四代厄災
悲狂のアン・フォリー
神速のレーヴ
絶対死者アブソリュート
グラフの想い人
ルミナス・エフェメール
ジェシカへと距離を詰め、二人との距離がほぼなくなり、その威圧は背後にいる子どもたちにまで伝わっていた。
息を呑む気配が、背中越しに分かる。
「ねえ、どうやって守るのかなー?」
アブソリュートは目を見開き、口元を歪めながら、小声でジェシカの耳元に囁いた。
距離が近い。
近すぎる。
ほんの僅かでも踏み込まれれば終わる──そんな確信があった。
ジェシカの頭の中に、ブラッディローズの言葉がよぎる。
(くっ……もうだめだっ!)
身体が強張る。指先ひとつ動かない。
そう諦めかけた、その時だった。
「ふふ。あはは! 冗談だよ! 俺、そこまで残虐じゃないしー」
空気が一変する。重苦しい圧が、嘘のように消える。
だが、完全には消えない。
“さっきまであったもの”だけが、妙に鮮明に残っている。
アブソリュートはジェシカの肩にぽん、と軽く手を置いた。
その仕草すら、どこか現実感が薄い。
「レーヴ討伐おつかれさん。それに──条件達成おめでとう」
「な!? これは一体どういう事……」
「あは! なんと言うか、もう俺の計画は最終段階に入ったからさ、いわゆる──」
笑いながら、ジェシカを指さす。
「もう君、用済み」
軽い口調だった。
それなのに、その一言だけが妙に残る。
「な、なんだと!?」
「あーもう。そういう感情は必要ないからさ。それにほら、早くアルカナンに向かって約束の品を受け取りに行きなよ」
その言葉に、はっとするジェシカ。
「だが、子供たちを先にどうにかしないといけない」
「んーまあ、それはジェシカちゃんがどうにかしないといけないんじゃないかなー」
ほんの一瞬だけ。アブソリュートの視線が、子どもたちへ向いた。
冷たい。
何も映していないような目。
「俺ならさ、多分途中で飽きて殺すかなー。でもジェシカちゃんは違うみたいだから、“後処理”は任せるよ」
「お、お前! どこまで馬鹿にすれば──!!」
その刹那、空気が沈む。
アブソリュートの視線が、ジェシカを貫く。
殺気。
それだけで十分だった。
身体が動かず、喉が詰まる。
「くっ……!」
「……ねぇ」
先ほどまでと変わらない、軽い声。
だが逃げ場はない。
「俺が優しく言ってるうちに、早く消えなよ」
選択肢はなかった。
「……分かった。でも──あの子たちは、私が守る」
声は震えていた。
それでも、言葉だけは崩さない。
アブソリュートは一瞬だけ目を細め、すぐに満足そうに笑った。
「そ。いい子だね」
くるりと踵を返し、ルミナスもそれに続く。
──次の瞬間、そこにはもう誰もいなかった。
音はない。
風も動いていない。
(……え……?)
さっきまで確かにいた。
気配も、声も、視線も。
それなのに、消える“過程”が一切なかった。
最初から存在していなかったかのように、そこにはただ空間だけが残っている。
(どこに……消えた……?)
背筋に、ぞわりとした感覚が走り見えないだけで、まだ近くにいる気がした。
そんな錯覚だけが、消えずに残っていた。
「お、姉ちゃん……ごめんなさい」
アブソリュートが消えたことで、子どもたちがようやく声を出した。
「うん、それより大丈夫だった?」
ジェシカは振り返り、子どもたちを見渡す。
気絶していた二人も、意識を取り戻し、怯えた様子で身体を震わせていた。
「……金品を奪おうとしてごめん」
「あはは……気にしないでいいよ。それに──」
視界に入ったのは、やせ細った子どもたちの姿だった。
まだ幼い。
大人の助けもなく、どうにかして生き延びてきたのだと分かる。
「ねえ、ちょっと私についておいでよ」
迷いはなかった。
子どもたちは顔を見合わせながらも、頷き、後ろをついてくる。
「どこに向かってるの?」
「んー? 私が泊まっている宿だよ」
「え!? いやいや、そんな所行っても私たちお金ないからダメだよ」
「あーうん。分かってるよ。でもなんとかするから、とりあえずついてきて」
「……分かった」
そうしてジェシカは歩き、宿屋の扉を開けた。
「おう。戻ったか……って、おいなんだその後ろの子供たちは」
「私も詳しいことは分からないんだけど、色々困っているみたいだからとりあえず連れてきた」
その言い方に、店主は思わず笑った。
だがその目の奥には、どこか諦めたような色が残っている。
「あはは! そうかそうか! それで、どうするつもりなんだ?」
「うん、私考えたんだけど──おじさん、ここで死ぬつもりだったでしょ。でもダメだよ」
「そ、そりゃどういう意味だ」
「だって、すごく優しいし、おじさんならこの子たちの面倒見てくれるんじゃないかって思って」
その言葉に、店主も子どもたちも、すぐには言葉を返せなかった。
「……おいおい、ありがたいけどよ、こんな多くの子たちを俺一人で世話するなんて無理があるぜ。それに金だってな……」
視線は、自然と子どもたちへ向いている。
「あのさ、私からの提案なんだけど、全員ミネルバ王国に来ない?」
「は……? な、何言ってやがる。生まれた国を捨てて、他の国に骨を埋めるなんて、そんな簡単な話じゃないだろ」
「分かってる。だからあくまで提案だよ。少し待ってて」
そう言ってジェシカは部屋へ入り、すぐにカバンを持って戻ってきた。
「はい、これ」
カウンターに札束を置く。
「これで当面は平気でしょ。だから色々考えてみてほしい」
「待て待て、さすがにこれは受け取れねーよ。それにお前さん、ミネルバの民だったのか?」
ジェシカは少し視線を落とし、首を横に振る。
「確かにミネルバにはいるけど、詳しい事情までは私には分からない。でも、活動拠点にしてるのは間違いないよ」
「活動拠点だって?」
「うん。私は──クロスリーパーなんだよ」
そう言って、ゆっくりと犬歯を見せる。
空気が一瞬止まる。
だが──
「あはは! だろうとは思っていたさ!」
店主が笑った。
「今のリベリオンに女一人で来るなんて、普通じゃねえからな。それに見てみな」
その視線の先。
子どもたちは、目を輝かせてジェシカを見ていた。
「すごーい! お姉ちゃんクロスリーパーなの!?」
「え……あ、うん。そうだけど……怖くないの?」
純粋な憧れだけが返ってくる。
言葉を失うジェシカ。
それを見て、店主は肩を震わせて笑った。
「あはは! こりゃいい! 分かった!」
札束を手に取り、真っ直ぐジェシカを見る。
「コイツらを連れて、俺はミネルバに向かう」
「本当!?」
「ああ。任せておけ」
「よかった……」
安堵が、素直に表れる。
「それならミネルバに着いたら“ここ”を訪ねて来て。私たちの拠点だから」
簡単な地図を渡す。
「何から何まで世話になる」
「気にしないで。それに、人に優しくできる人は私、好きだから」
「……そうか」
少し照れたように笑う。
「名前、聞かせてくれ」
「──ジェシカ」
「ジェシカか。覚えておく」
頷き、踵を返し扉に手をかける。
「それじゃ、私行くね」
外に出ると、太陽がまっすぐ降り注いでいた。
振り返れば、もう戻れない気がした。
その光に背を押されるように。
ジェシカは、振り返ることなくアルカナンへと向かった。




