14. 救済は、血に濡れて
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
グラフ
アンディ
アリス
アルス
クロード
教会の司祭(アンフォリーの妹)
アン・レゾン
四代厄災
悲狂のアン・フォリー
神速のレーヴ
絶対死者アブソリュート
グラフの想い人
ルミナス・エフェメール
ジェシカはルミナスに同行し、今や聖王国リベリオンの王にして四代厄災“神速”の異名を持つレーヴを殺しに向かっている。
だがその実態は、利権の欲にまみれた皇位の司祭によって作られた虚像でしかなかった。
名を利用されたレーヴ。
ジェシカとルミナスの二人は、リベリオン城へと足を運ぶのだった。
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──リベリオン城内。
「ねえ、なんか警備薄くない?」
「二日後の大戦に向けて、兵士は最小限なんだと思います」
ルミナスの言葉は的を射ていた。
城の要となる城門には二人の兵士のみ、場内は巡回する兵士すら見当たらない。
「心音、探る必要すらないね」
「そうですね。それでは一気に向かいますね」
「分かった」
ルミナスはジェシカに無言で頷き、早足でレーヴの心音がある場所へと、他のことなど目を配ることなく進んだ。
──────────
二人は大きな扉の前に立っていた。
「ここです」
「うん、確かにここから違う心音が聞こえるね」
「それでは行きます」
「うん」
ジェシカはゆっくりと片方の扉を開け、中に入った。
そこには、王とは思えないほど雑な扱いをされている一匹の死者が鎖に繋がれ、赤い瞳だけが暗い部屋で一際光っていた。
「……あれが神速のレーヴ」
「はい、あれがです」
倒す、倒さない。そんな話ではなく、ただ腐った死者がそこにいるだけの存在にしか思えないジェシカ。
だが、その瞬間。
胸の奥で──何かが“噛み合った”。
「──っ!!」
頭を押さえ、床に両膝をつけるジェシカ。
心音が、ずれる。
ドクン。
ドクン。
ドクドクドクドク──
マリアの鼓動が、内側から重なってくる。
視界の端が、じわりと赤く滲む。
耳鳴りが、遅れて追いつく。
「マリア……」
意識が削られていく。
【我がこの手で殺してやる】
声ではない。
思考に直接“混ざる”異物。
【死してなお、死ぬことすら叶わぬ憐れな奴よ】
怒りではない。
それは──静かすぎる感情。
(……違う……これ……怒ってない……)
憐れみ。
その奥に、底の見えない“孤独”が沈んでいる。
視界が揺れる。
輪郭が溶ける。
立っている感覚が消え、膝の感触すら遠のいていく。
(……持っていかれる……)
ジェシカの意識は、音もなく沈んでいった。
────────
──次の瞬間。
空気が変わる。
音が、落ちる。
部屋一帯。否──リベリオン国内にまで、目に見えない“圧”が広がる。
重い。
ただ、重い。
呼吸をするだけで、肺が軋むような感覚。
心臓の鼓動すら、遅くなる。
「……これが、マリア様……」
近くにいたルミナスの声が、わずかに震えた。
──ゆっくりと。
──本当にゆっくりと。
ジェシカだったものが、顔を上げる。
紅い瞳。
先ほどまでの色とは、明らかに“深さ”が違う。
底がない。
覗いた者が落ちていくような、そんな色。
【貴様──】
それだけで、空気が裂けたような錯覚。
【何を企んでいるのか知らぬが】
視線が、ルミナスに向けられる。
逃げ場がない。
ただ見られているだけなのに、刃を突きつけられているような圧迫感。
【我の目的の邪魔をするなら──】
ほんの僅か、殺意が滲む。
【斬るぞ】
その言葉が落ちた瞬間、空間がわずかに沈んだ。
マリアの脅威的な圧に、ルミナスは即座に片膝をつき、頭を垂れた。
「……失礼致しました、マリア様」
その姿を確認することすらなく、マリアはゆっくりと視線を外す。
そして。
鎖に繋がれた“それ”を見る。
【憐れよの】
「……こ、ころし……楽に、して……くれ」
【ほう】
わずかに、興味が混じる。
【このような状態でも、まだ意識があるか】
一歩、近づく。
足音はしない。
ただ、距離だけが消える。
【さすが厄災と呼ばれるだけはある】
その目は、冷たい。
だが同時に──どこか、優しい。
わずかな静止。
憐れみの目で見ていたマリアは一度目を閉じ、間を置いて、ゆっくりと紅い目でレーヴを睨む。
─────────────
【スカーレット・ローズ】
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マリアの言葉と同時に、右手に紅い血が集まり、形を作り、軋む。
脈打つように、蠢く。
そして──マリアの右手には金色に輝く大鎌が握られていた。
その刹那。
床が軋むよりも早く、マリアは距離を消す。
死者へと成り果てたレーヴは何一つ抗うことなく、マリアの一閃を受け入れ──全てから解放された。
ぐしゃり。
と。
音を立てて倒れ、繋がれていた鎖には腕だけがぶら下がり、それをマリアは大鎌で砕いた。
【憐れよな】
その一言だけが、静かに残る。
やがて。
リベリオンを包んでいた狂気が、潮が引くように消えていく。
ジェシカの意識が浮上する。
「マリア!?」
自分の声に驚くジェシカ。
だが同時に、マリアの狂気に引き寄せられるように、少なかった兵士たちが集まってくるのが分かった。
「くっ! とりあえずこの場を逃げないと!」
ジェシカは奥にある窓を開け、身体を解放して一気にリベリオン城から姿を消したのだった。
自分のことでいっぱいだったジェシカをよそに、もう一人の存在のことをすっかり忘れていた。
─────────────
レーヴが死んでいる部屋の扉が勢いよく開く。
バンッ!!
城内にいたリベリオン兵が集まり、部屋の中に視線を向けた。
部屋は暗く、存在を確認することすら困難。
そんな部屋の真ん中に一つの影が立っていた。
「き、貴様! ここで何をしている! ここは司祭様の指示がない限り入ってはいけない場所だぞ!」
「……へぇ、そうなのですねぇ……」
部屋に続々(ぞくぞく)と入るリベリオン兵──さらに白い法衣を纏った数人の司祭も、その影の視界に入っている。
「ふふ、ふはは! あはははっ!!」
部屋に女の狂ったような笑い声が響く。
そして、静寂。
───────────
「ブラッディ・ローズ」
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その言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに沈み込んだような感覚が広がる。
右手から流れ出した血は、床に落ちることなく空中に留まり、まるで意思を持つかのように絡み合いながら集まり始める。
どろり、と粘つくそれは、ただの液体ではなく、何か別の“生き物”のようにも見えた。
やがて血は歪に膨れ上がり、内側から押し広げられるように軋み、捻じれ、形を成していく。
骨がきしむような音。
肉が裂けるような音。
それらが混ざり合い、耳にまとわりつく。
兵士の一人が、思わず顔をしかめた。
「な、なんだ……あれ……」
理解が追いつかない。
だが、目だけは逸らせない。
完成したそれは、赤黒く濁った光を放つ巨大な両手斧だった。
その質量、その存在感、その“禍々(まがまが)しさ”が、ただそこにあるだけで、場の空気を支配している。
誰も動けない。
逃げなければならないと理解しているのに、足が言うことを聞かない。
──その時にはもう、遅かった。
ルミナスの腕が、わずかに動く。
ただそれだけの動作。
だが次の瞬間、視界が歪んだ。
何が起きたのか分からない。
気づいた時には、最前列にいた兵士の頭部が、原形を留めずに潰れていた。
遅れて、血が噴き出す。
温かい飛沫が、周囲の顔や鎧に降りかかる。
「──っ、あ……」
声にならない声が漏れる。
ルミナスは、それを見ていた。
楽しそうに。
「あは……あははははっ!!」
喉の奥から絞り出すような笑い。
それは喜びでも狂気でもなく、もっと純粋な“愉悦”だった。
「アブソリュート様!! これでよろしいのですね!!」
返事などない。
それでも構わない。
ルミナスは、再び斧を振るう。
今度は横に。
重いはずのそれが、まるで紙でも裂くかのように軽々(かるがる)と振り抜かれる。
数人の兵士の首が、同時に宙を舞う。
その光景はどこか現実味がなく、まるで時間が一瞬だけずれたように感じられた。
首が落ち、転がる。
その後で、ようやく血が噴き上がる。
遅れて訪れる“結果”。
「なんで……」
兵士の一人が呟く。
「なんで、こんな……」
理解しようとした瞬間に、また一人、身体が断ち切られる。
抵抗するという行為自体が、意味を持たない。
剣を構えた兵が一人、震える手で前に出る。
「な、何者だ貴様は!!」
声は裏返り、威厳など微塵もない。
ルミナスはゆっくりと顔を向ける。
血で濡れた白い髪が頬に張り付き、その隙間から覗く瞳は異様なまでに澄んでいる。
その口元だけが、大きく歪んでいた。
「我は──絶対死者なるアブソリュート様のお膝元」
一歩、近づく。
その足取りは穏やかで、どこか優しさすら感じさせる。
「ルミナス・エフェメール」
名乗り終えるよりも早く。
斧が振られていた。
兵士の身体が上下に分かれ、遅れて崩れ落ちる。
司祭たちが後退る。
祈りの言葉を口にしようとする。
だが、その言葉が最後まで紡がれることはない。
一人、また一人と、何の意味も持たずに倒れていく。
やがて、動く者はいなくなり静寂が訪れる。
ぴちゃ。
ぴちゃ。
血を踏む音だけが、ゆっくりと響く。
ルミナスは歩く。
迷いなく。
まるで最初からそこにしか目的がないかのように。
レーヴの亡骸の前で、足を止める。
「……可哀想に」
その言葉には、ほんのわずかな温度があった。
だがその手は、何の躊躇いもなく胸へと沈み込む。
肉を裂く感触。
骨に触れる鈍い抵抗。
それらすべてを無視して、心臓を掴み、引き抜く。
ずるり、と。
まだ温もりの残るそれを手に持ち、振り返る。
「これで良かったでしょうか。我が主人様」
するとルミナスの後ろに一人の少年の姿がいつの間にか現れていた。
「うん、良かったよルミナス。
あとはフォリーを瀕死にして”それ”を埋め込んでレゾンちゃんを生贄に媒体として新たなオモチャを作ろう」
ルミナスは無言で頷き、優しく微笑んだ。
ジェシカの知らぬまま、アブソリュートの遊びは、次の“生贄”を求めて動き出していた。




