9. 崩れ始めた境界
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
四代厄災
神速のレーヴ
──アルカナン側。国境付近。
ジェシカは人目につかない距離までブラッディローズで高速移動し、国境付近まで来ていた。
リベリオン軍とアルカナン軍の人々が争い、血を流し、命を落としている。
「人の命が軽すぎる……」
思わずジェシカは、その光景から目を背ける。
「ここが……三日後──血の海に」
ジェシカは地図を開き、バツ印をつけてマーキングした。
地図をしまい、周囲を見渡して人目がないことを確認すると、リベリオンへ向けて高速移動を開始した。
──その時。
「え!? これって……」
人間の心音とは違う、しかし聞き覚えのある何かがジェシカの耳に届いた。
リベリオンへ向かっていた方角とは逆に、争いのある国境から少し離れた場所へ向かい、足を止める。
「……いない。いや──」
ジェシカは近くの木へ視線を向け、言葉にした。
「なぜ隠れる。お前、ホーリーエンブレムだよね」
「……ふふ、さすが。私の心音に気づくなんて……」
女の声が響き、赤黒い法衣をまとった人物が木陰から姿を現し、ジェシカと対峙した。
「これは失礼いたしました、マリア」
ジェシカの眉がピクリと動く。
「聖人様の寵愛により生を受けた一人。
マトリゼ・ラ・メテオと申します。メテオとでもお呼びください」
深く被っていたフードに手をかけ、顔を露わにする。
黒い瞳。
黒いロングの髪。
そして、歪んだ笑みを浮かべた口元。
「それで──なんでこんな所にいるのさ」
「そうですね……それって、答えないといけませんか?」
「え……だってこんな場所にいるなんて、絶対何か企んでるでしょ!?」
「はい、何か企んでいますよ? それが何かいけませんか?」
ジェシカに向け、歪んだ口元に手を添え、肩を揺らしながら笑う。
(どちらにしろホーリーエンブレム……殺して問題ないよね)
そう思い、ジェシカはメテオに向けて身構えた。
「あはは! 嫌ですよー。次に会う時には、何を企んでいたか分かるでしょう」
「逃がすわけないだろ!!──ブラッディローズ!」
ジェシカの右手に血が集まり、ロングソードの形を成す。
そのままメテオとの距離を詰め、一閃。
だが斬れたのは法衣だけで、メテオは霧のように消え、ジェシカの視界から姿を消していた。
「もう! 姿消すとかズルいでしょ!!」
森にジェシカの声だけが響く。
「……次に会う時って、まさか──」
最悪の状況を想定しつつ、紅いロングソードは霧となって消えた。
ジェシカはメテオが消えた曇り空を見上げる。
そして、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
──────────────
ジェシカは雨に濡れながら、リベリオンへ向けて移動を再開していた。
やがて遠くに城壁が見え、走る速度を徐々に落としながら門の近くへと向かう。
「……!? な、なんでいきなり……や、やめてよ、マリア……」
リベリオン近くに来た瞬間だった。
ズン、と。
心臓が一度、大きく脈打ち、視界の端が赤く滲む。
(なに……これ……)
次の瞬間、耳鳴りのような“声”が直接頭の内側に響いた。
【よこせ】
「っ……!」
膝から力が抜け、ジェシカはその場に崩れ落ちる。
【よこせ よこせ ヨコセ よこせ】
「やめて……!」
心音が重なり、自分のものではない“鼓動”が胸の奥で暴れている。
【奴は我の獲物だ】
「違う……今じゃない……!」
視界が一瞬、切り替わる。
──血。
──倒れた誰か。
──握り潰した喉。
「……っ、あ……!」
【殺したのだ】
「やめて……!」
【覚えているだろう】
声はもう一つではない。
無数に重なり、囁き、叫び、嗤っている。
【レーヴは我が殺したはずだ】
その言葉と同時に、右手が勝手に動きかける。
「だめっ!!」
ジェシカは左手で自分の右腕を強く掴む。
爪が食い込み、血が滲む。
【よこせ】
【よこせ】
【ヨコセ】
「待って……! こんな所で暴れたら……!」
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
遠くで誰かが何かを言っている。
だが、もう聞こえない。
【我によこせ】
【我ニよコせ】
【我ニヨコセ】
「……っ、来てる……だから……ダメ……!」
必死に声を絞り出す。
【……ちっ】
その一音だけが、はっきりと“意思”を持って響いた。
【いいだろう】
一瞬、静寂。
だが次の瞬間、低く、深く、突き刺さる声。
【レーヴは我が殺す】
【それだけは譲らぬ】
「……分かった……だから……お願い……引いて……!」
ジェシカは歯を食いしばり、必死に耐える。
数秒。
永遠のように長い沈黙。
やがて──スッ、と何かが引いていく感覚。
重なっていた心音が消える。
「はっ……はぁ、はぁ……っ……」
肺に空気が流れ込み、現実に引き戻され指先が震える。
「い、いきなりなんなのよ……」
だがその声は、わずかに掠れていた。
まるで、まだ“何か”が奥に残っているかのように。
「お、おい。そこの女! 大丈夫か?」
「え、あ、はい……もう大丈夫です」
ジェシカはリベリオン兵の方を向く。
雨に濡れた服は透け、肌がわずかに露わになっていた。
「そのままじゃ風邪をひくぞ。とりあえずこっちに来て服を乾かせ」
「う、うん……分かった」
ジェシカは二人のリベリオン兵の後を追い、門をくぐり、兵士たちが休憩する場所へと案内された。
「ここを使っていい。服を乾かせ。
それと、何の用で聖王国リベリオンに来たのか話してもらう。
こんな時期に来る旅人は、どう考えてもおかしいからな」
「おかしいって……何?」
兵士は一瞬ジェシカを見て、タオルを投げてよこした。
「とりあえず拭け」
「……ありがとう」
ジェシカは濡れた髪をタオルで拭き、服は着たまま生乾きの状態で先ほどの兵士のもとへ戻る。
「タオルありがとう。助かった」
「もういいのか?」
「うん。着替えたいけど、宿に行くまではこのままでいい」
兵士はジェシカを見て、ため息をつく。
「あーもう、いいから行け。早く宿を探して着替えろ。
──だがな、この国はもうダメだ。早く見切りをつけて出て行け」
「え……?」
兵士の言葉に疑問を抱きながらも、ジェシカは着替えを優先し、宿を探すことにした。




