5. 沈黙の教会と偽りの書
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
教会の司祭(アンフォリーの妹)
アン・レゾン
四代厄災
悲狂のアン・フォリー
神速のレーヴ
──アルカナン教会前。
ジェシカの目の前では、修道士や司祭たちが静かに行き交っていた。
不思議なことに、この教会に携わる者たちは誰一人としてグリモアを持っておらず、前を向いて歩き、自然に挨拶を交わしている。
その光景に、ジェシカは思わず足を止めた。
「……これが“普通”なんだよね」
胸の奥にあった違和感が、ようやく形を持つ。
自分の感覚が間違っていなかったことを確かめるように、小さく息を吐き、ジェシカは教会の中へと足を踏み入れた。
彩り豊かなステンドグラスが室内を覆い、差し込む光さえ色を帯びている。
静かで神聖な空気が、空間を満たしていた。
「うわぁー、すごいなー」
奥へ進むと、白い大理石で造られた大きな女性の石像が目に入る。
「綺麗な人だ……これ誰なんだろ」
そう呟いた直後、背後から足音が近づいてきた。
「それは、我らを守護と祀るアンフォリー様なのですよ」
振り返ると、年老いた女の司祭が立っていた。
「アンフォリー? アン・フォリーじゃなくて?」
「ええ。四代厄災として語られるアン・フォリーではありません」
司祭は穏やかな口調で続ける。
「人を思いやり、慈悲の心を持つ存在。魔法の才覚にも恵まれ──それ故に畏れられた、悲しきサキュバス様。それがアンフォリー様です」
(……アリスの話と、何か違う気がする)
ジェシカの中で、違和感がさらに強まる。
「それじゃ、この教会はアンフォリーを祀ってるってこと?」
「……その問いは、どういう意味でしょうか?」
司祭の目がわずかに細められる。
「えっと……町の人たちと違って、ここは普通だから……」
「……なるほど」
短く答えると、司祭は踵を返した。
「こちらへ」
「……うん」
案内された部屋で椅子に腰を下ろすと、司祭は本棚から古びた本を取り出し、テーブルに置いた。
「これは?」
「グリモアです」
「へ?」
ジェシカは自分の持っている本を取り出し、並べる。
「これもグリモアなんでしょ?」
「いいえ、それはグリモアではありません」
はっきりと言い切る。
「あなたの持っているそれは、ただの紙です」
「……ただの紙?」
「はい。この国で配られているものは、本来のグリモアではありません」
司祭は古びた本に手を置く。
「これこそが、本物のグリモアです」
わずかな沈黙が流れる。
「……どうして、そんなことが?」
ジェシカの問いに、司祭は一度目を伏せた。
「この国の人間は──選んでいるつもりで、選ばされているのです」
「え……?」
「そのグリモアは知識を与えるものではありません。
思考を奪い、“疑問を持たせないためのもの”です」
「……」
ジェシカは自分の持つ本を見下ろした。
「じゃあ、これって……要らないよね」
「そうですね。むしろ持ってはいけないものかと……」
ジェシカは腰に挿してある短剣を抜き、本を高く投げた。
目の高さに落ちてきた瞬間、迷いなく細かく刻む。
「よし、これでいいや」
その様子に、司祭はわずかに笑みを浮かべた。
「実は、詳しくはお話ししたいところですが……」
窓の外へ視線を向ける。
「もうすぐ日が落ちます」
「うん、分かった。でも一つだけいいかな?」
「はい、何でしょう?」
「あのさ、夜に受けられる依頼って、どこで受ければいいの?」
その瞬間、司祭の手から本が落ちた。
「……なっ!」
「あ、大丈夫?」
司祭はジェシカを見据える。
「今、何と……?」
「あー、私、免罪符が欲しいんだよね。
だから四代厄災の一人、神速のレーヴを倒すことが条件だって聞いて、教会に来てるってわけ」
部屋に沈黙が落ちる。
やがて司祭は、ゆっくりとフードを外した。
現れたのは、先ほどまでとは違い若い女性の顔だった。
どこか石像に似た面影を持っている。
「……そうですか。分かりました」
声の質も変わる。
「零時を過ぎたら、塔の最上階へ。窓から入ってきてください」
「分かった。それで依頼を受けられるの?」
「はい。そこで詳しくお話しします。私の名は、アン・レゾンです」
「アン・レゾン……」
その名を繰り返す。
「それでは、夜にお待ちしています」
そう言うと、レゾンはフードを被り直し、部屋を後にした。
───────────
──夜。宿屋。
ジェシカは黒を基調とした服に着替え、窓を開けて教会への最短ルートを思い浮かべる。
「よし、行くか」
屋根へと飛び乗る。
「身体解放」
屋根を伝い、教会へ向けて駆け出す。
その途中、耳に入ってくるのは昼とは異なる音だった。
誰かの狂ったような悲鳴。
途中で途切れる声。
兵士たちの足音と、鎧の擦れる音。
(……やっぱりこの国、普通じゃない)
それでも足を止めることなく、教会を目指す。
やがて塔の近くへたどり着くと、小石を拾い、指定された窓へと弾いた。
乾いた音が響き、しばらくして窓が開いた。
「ブラッディローズ」
血の足場を作り、一気に窓へと移動し、枠に手をかけて中へと入る。
「やはり来ましたね」
「……うん」
そこにいたのは、昼とは別人のようなレゾンだった。
透き通る青い瞳が、真っ直ぐジェシカを見ている。
「昼とは印象が違うね」
「そうでしょうね。ですが時間がありません」
レゾンは真剣な表情で続ける。
「本題に入ります」
「分かった。依頼、受けさせて」
「……はい」
レゾンは一枚の札を差し出した。
「これが免罪符です」
「……これが」
「そして、これからお話しするのは」
一歩、踏み出す。
「私の姉──四代厄災、“悲狂のアン・フォリー”と」
わずかに間を置く。
「神速のレーヴについてです」
「姉……!?」
その言葉を聞いた瞬間、ジェシカは息を止めた。
だが、小さく息を吐く。
「……それでも私は、その依頼を受けるよ」
レゾンがわずかに目を細める。
「理由を聞いても?」
ジェシカは迷わず答えた。
「“選ばされる側”なんて、気に入らないからね」
静かに、だが確かな意思を持って言い切る。
「……そうですか」
レゾンは小さく頷いた。
その直後、ジェシカはふっと笑った。
「面白くなってきたね」
──この依頼は、ただの討伐ではない。
さまざまな思惑や思想が飛び交う戦いだと、そう確信した。




