第十四話 接続扉を開けたままで
夜の十時を過ぎた頃、屋敷は雪の夜特有の深い静寂に包まれていた。
私の寝室の暖炉には赤々と薪が燃え、ベッドの足元には、朝の外出で冷えた体を包んでくれた深紅のショールが畳まれて置かれている。
カチリと接続扉が開き、部屋着のオルディスが革張りの椅子を一脚抱えて入ってきた。
ここ数週間で幾度となく繰り返された、見慣れた光景だった。彼は私の寝椅子の向かいに椅子を置き、私が差し出した本を開いた。
二十分ほど、穏やかな声で物語の一節を読み進め、登場人物のおかしな言動に小さく笑い合う。やがてきりの良い段落に辿り着いたところで、オルディスは絹の栞を挟み、本を枕元の小机の上に置いた。
普段なら、ここで彼が立ち上がる刻限だった。
椅子を持ち上げ、自室へと戻り、「また明日」と言って扉を閉める。それが私たちの日常だった。
けれど今夜、オルディスは立ち上がらなかった。
膝の上で大きな手を組み、静かに視線を私へと向けてくる。暖炉の橙色の炎が、彼の端正な横顔を柔らかく照らしていた。
「マリーゼ」
「はい」
「朝の約束だが、今も同じ気持ちでいてくれるだろうか」
「ええ。今夜を、待っておりました」
私が答えると、オルディスは深く息を吸い込み、逃げ隠れのない澄んだ声で告げた。
「これまで、君の生活を急激に変えることで負担をかけまいと、部屋を分けてきた。……だが今夜からは、君の隣で休みたい。夜が明けたとき、君の寝顔を一番近くで見つめていたいのだ。君が望んでくれるなら」
膝の上で、彼の手が固く組まれている。私はそこへ手を伸ばした。
「私も、あなたの隣で眠りたいです。明日の朝は、食堂へ降りる前におはようと言いたいのです」
言葉を返すと、オルディスの張り詰めていた肩の線が、ふっと緩んだ。
「少し待ってくれ」
彼は立ち上がり、部屋の隅にある白塗りの接続扉を開け放つと、隣の自室へ足早に向かった。やがて戻ってきた彼の腕には、使い慣れた自分の枕がしっかりと抱えられていた。
自分の枕を私の枕の隣へ置くと、オルディスはベッド脇の小机に目を留めた。
「水差しは、君に近いこちらへ置いておこう」
「あなたが喉を渇かせたら、私がお水を注ぎますね」
「起こしてしまうだろう」
「そのくらい、起こしてくださいませ」
見上げると、彼もこちらを見ていた。頼ってくださいと言っても、すぐには慣れないらしい。
「お水くらい、自分で飲めると言われるかと思いました」
「……言いかけた」
笑い合ってから、私は隣室へ硝子杯を借りに行った。水差しの横に二つ並べると、今夜ここに彼がいるのだと、改めて実感した。
オルディスは暖炉の火勢を落とし、火除けの金網を戻した。私はその背中を見ながら、並んだ枕の位置を少し直した。
立ち上がったオルディスは、ベッドの縁に腰を下ろし、私へ向けて静かに右手を差し伸べた。
私は差し出された掌に、自分の手を重ねた。
引き寄せられるようにして、彼の隣へ腰掛ける。
肩が触れただけで、落ち着かなくなる。さっきまで平気で笑っていたのに。オルディスは私の右手を両手で包み込み、慈しむように親指で手の甲を撫でた。
「寒くはないか」
「ええ、とても温かいです」
「君をこうして抱き寄せられる日が来るとは、初夏の頃には想像もしていなかった」
「私もです。あんなに直立不動で、報告書のような挨拶しかしてくださらなかったのですもの」
悪戯っぽく見上げると、オルディスは低く苦笑し、そっと私の額に自分の額を寄せてきた。目を閉じるには惜しくて、私は彼を見つめたままでいた。
「……これからは、言葉も、この手も、惜しまない」
囁かれた誓いとともに、彼の逞しい腕が私の背中へと回された。
ふわりと抱きすくめられ、心地よい重みが全身を包み込む。上着越しに彼の規則正しい鼓動が響き、私の髪に触れる彼の呼気が熱を帯びていく。
オルディスは一度私の体を離し、慈しむような手つきで私の頬に触れた。
それから、迷いのない柔らかな口づけが、私の唇の上に落とされた。
初めてのときより長く唇が重なり、私は彼の上着を握った。離れていきそうになる肩を追うと、もう一度、今度は頬にも口づけられた。
頬から顔を離すと、オルディスは小机の読書用ランプの芯を静かに落とした。
落ち着いた残り火の光が仄暗く室内を満たす中、二人は同じシーツの中へと身を滑り込ませた。
掛け布団を引き上げると、彼が私の肩まで丁寧に布団をかけ直してくれた。
頭元には、二つの枕が並んで沈んでいた。
オルディスの長い腕が再び私を引き寄せ、私はその広い胸元に自然と額を預けた。
「おやすみ、マリーゼ」
「おやすみなさい、オルディス」
隣の部屋の明かりは、もう消えていた。
今夜はあの扉が閉まる音を聞かずに眠れる。それが嬉しくて、私は彼の胸元へもう少し近づいた。




