第十五話 本日の惚気は私宛てに
カーテンの隙間から差し込む初冬の淡い朝日が、白塗りの接続扉を優しく照らしていた。
目覚めて隣を見れば、同じ掛け布団の下に、規則正しい寝息を立てるオルディスの姿がある。同じ部屋で眠るようになって十日ほど。まだ目が覚めるたび、頬が緩んでしまう。
私が身じろぎすると、オルディスの長い睫毛がかすかに震え、黒い瞳がゆっくりと開かれた。
「……おはよう、マリーゼ」
「おはようございます、オルディス」
掠れた朝の声で名前を呼び合うだけで、胸の奥がじんわりと満たされていく。
先日の非番の日、私たちは約束通り街の種苗店を訪れていた。
棚に並んだ茶色い球根を二人で吟味し、春先に咲く白い水仙と、淡い黄色の鬱金香の球根を選んだのだ。屋敷に戻った後、オルディスが調合してくれた柔らかな土を素焼きの鉢に満たし、並んで球根を埋めた。まだ土しか見えない鉢に、花の色を書いた小さな札を挿した。
身支度を整えた後、朝食を済ませた私たちは、出勤前のわずかな時間を使って裏庭の温室を覗いた。
オルディスは濃紺の制服の上に外套を羽織り、私は鳩羽色の外套に深紅のショールを重ね、隣に並んだ。
「土の表面は乾いていないな。塞いだ隙間から風が入る様子もない」
「ええ。芽が出るのはまだ先ですけれど、毎朝ここを見るのが楽しみになりました」
「ああ、私もだ」
オルディスは満足そうに頷き、温室の鍵を閉めて母屋へ戻った。
玄関ホールで、出勤の刻限を迎える。
ハンナから公務鞄を受け取ったオルディスが、黒い鹿革の手袋をはめようとして、ふと足を止めた。
彼は手袋を持ったまま向き直り、私の前へ歩み寄ってくる。
「マリーゼ」
「はい?」
「今朝の君の髪の結い方は、襟足がすっきりと見えてとても綺麗だ。その深紅のショールとも、実によく合っている」
迷いのない、穏やかで澄んだ声だった。
初めて外套を見立ててくれた日には、褒め言葉の前に、咳払いを挟んでいた。今は、私が喜ぶのを待つように目を細めている。
私は自然と笑みをこぼし、彼の制服の襟元へそっと手を伸ばして、わずかな傾きを整えた。
「ありがとうございます。オルディスの今朝のネクタイの結び目も、とても凛々しくて素敵ですわ」
正面から褒め返すと、オルディスは少しだけ目元を緩め、私の頬にそっと指の背を滑らせた。
「行ってまいります」
「いってらっしゃいませ。気をつけて」
扉が開き、冬の冷気の中へと歩み出していく夫の背中は、力強く、どこまでも頼もしかった。
午後の穏やかな時間、居間で編み物をしていた私の元へ、ハンナが一通の手紙を運んできた。
「奥様。警務局の使番から、奥様宛ての便りが届いております」
封筒の文字を見て、私は小さく吹き出してしまった。ヨアヒム・リートの、勢いのある筆跡だった。
『拝啓、マリーゼ奥方様。
警務局第一監察室より、二度目の被害届を提出いたします。
今朝の詰め所にて、オルディスが同僚たちを前にして語った内容をご報告申し上げます。
「休日に妻と球根を植えた。白い水仙を選んだのは妻だ。隣に黄色があれば、私が疲れて帰ってきても明るく見えるだろうと言ってな。花が咲く前から、何度も思い出してしまう」
始業前の茶の時間が、またしても惚気話で終わりました。
以前と違うのは、語り終えたあいつの顔に、隠しようもない充足感が滲み出ていることです。俺が「続きは奥方様に」と言うと、「今夜も話すつもりだ」と返されました。こちらへの報告は省いてくれてよいのですが。
とはいえ、あんなに柔らかい顔で笑うオルディスを見たのは、士官学校以来初めてでした。悪友の幸せそうな惚気面を見るのは癪ですが、友人としては感謝しております。でも、惚気はなるべく奥方様の前で全部吐き出させてから出勤させてください。敬具』
手紙を読み終えた私を見て、お茶を注いでいたハンナが静かに目を細めた。
「旦那様は、本当に奥様に夢中でいらっしゃいますね」
「外でもこんなにお話しなさっているなんて、相変わらず困った方ですわ」
呆れたように呟きながらも、私の胸には誇らしさと、温かな愛しさが満ちていた。
手紙を読み返しながら、次の休みに温室で使う手袋も揃えようと思った。今度は夫の指に合う、丈夫なものを。
夕暮れの鐘が鳴り響き、街が夜の帳に包まれる頃、玄関の扉が開いた。
「ただいま戻った、マリーゼ」
居間の扉を開けて入ってきたオルディスは、冷えた手を暖炉の火にかざし、それから長椅子の、私の隣へ腰を下ろした。
「今日は少し疲れた。しばらく、ここにいてもいいか」
「ええ。お茶は後にして、少し休みましょうか」
以前なら書斎へ引き上げていた人が、私の肩へ額を預けてくる。髪にそっと触れると、彼は目を閉じた。
彼が顔を上げてから、私は温かい林檎茶を差し出し、昼間に届いた手紙を膝の上に置いて、悪戯っぽく微笑みかけた。
「おかえりなさいませ、オルディス。今日も警務局で、温室の球根について熱心にお話しくださったそうですね」
オルディスはカップを持ったまま一瞬だけ動きを止め、それから苦笑混じりに息を吐いた。
「……また、あいつが余計な文を寄越したのか」
「ええ。水仙の隣に黄色い花を植える話を。そんなに喜んでくださったのですね」
オルディスはカップを卓上へ置くと、私の膝の上の手紙へ視線を落とし、それからしっかりと私の瞳を見つめ直した。
「外で言ったことに、一点の嘘もない。ただ」
彼は私の手を自分の大きな手のひらでそっと包み込み、引き寄せるように指を絡め合わせた。
「君に話して、そうやって笑ってもらうのが、一番嬉しい」
低く、甘やかな声が、暖炉の爆ぜる音の中に溶けていく。
初めての手紙を読んだ夜も、この人と林檎茶を飲んだ。あのときは、向かいの椅子に座っていたのだった。
「ふふ、嬉しいですわ。ではオルディス、今夜は私からの惚気も聞いていただけますか?」
「ああ、聞きたい」
オルディスが居住まいを正した。そんなに改まらなくても、逃げはしないのに。
私は彼の逞しい肩に自分の体をそっと預け、耳元で楽しげに囁いた。
「今朝、あなたのネクタイを直したでしょう。本当は、もう少しそばにいてほしかったのです。曲がっていたのは、ほんの少しでした」
夫は自分の襟元に目を落とし、それから私を見た。ゆっくりと、頬が赤くなる。
「それは、出かける前に言ってもらいたかった」
「お仕事に遅れてしまいますわ」
「では、明日は少し早く支度をする」
大真面目な答えに笑ったら、腰に腕が回された。今はもう、出勤の鐘を気にしなくていい。
「明日の惚気も、まずは私に聞かせてくださいね」
「明日だけでいいのか」
「いいえ。明後日も、その先も」
私は彼の耳元へ顔を寄せた。
「結婚したのですから」
返事の代わりに、頬へ口づけが落ちてくる。
明日のヨアヒム様へのお返事は、長くなりそうだ。
何しろ、私の夫がどれほど素敵かという話を、まだ一度もお聞かせしていないのだから。
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