4、ネコチャン、煩悩にさらされる
一旦完結で。石投げないでね。
「お嬢様。昨日もあまり眠れなかったのですか?」
「大丈夫よ。今日はちゃんと寝る予定だから」
鏡の前に座り、朝の身支度を整えているライラの後ろで専属侍女が首を傾げる。
昨日に引き続き、ライラの目元にはくっきりと隈が浮かんでいる。
「最近何かお悩みでもございますか?」
「大丈夫だから気にしないで」
「……はい」
そう。あれは悩みなんかじゃない。
そう言い聞かせながら、ライラの脳裏には昨日の出来事が思い浮かんでいた。
アレンを使用人のようにこき使おうと、肩揉みをさせた。素直に従っている彼の様子にライラは大変満足し、どんな風に表情を崩しているのか確認したら――。
その時、ライラは鏡台の前でドンッと強く拳を叩きつけた。
確かにあの男は表情を崩していた。
いつもの涼しく、腹立たしい顔はしていなかった。
なのに、なのに……!
(あの表情は、何!?)
ライラの頭には、アレンが困った顔で赤くなっている姿がしっかりはっきりと浮かんでいた。
「〜〜〜〜〜っ!」
堪らなくなって、身体を小刻みに震わせた。
すると、再び侍女が首を傾げた。
「お嬢様、やっぱり何かお悩みが……」
「だから大丈夫だと言っているでしょう!」
「……はい」
そうよ! アレンのためなんかに悩んでなんかいないんだから!
少しあの時の顔が忘れられないだけよ!
◇
ライラはいつものように朝食の席についた。
目の前の席には、涼しい顔をしたアレン。
(何よ! そんなに爽やかな顔をしちゃって! 昨日の顔はどこに行ったのよ!)
ライラは、フォークとナイフで丁寧にフレンチトーストを切り分けながら、アレンのことをじっと睨んでいた。
すると、上座に座る父がライラの方へ視線を向けた。
「そういえばライラ、この前フローラから手紙が来ていただろう。あれにはもう返事をしたのか?」
フローラとは、ライラにとっての従姉妹だ。
先日、彼女から届いた手紙にはこんなことが書かれていた。
『私のアカデミーでの友人のジャクソンが、あなたに興味があるみたいなの。取り持つから、少し会ってもらえない?』
簡単に言うと、お見合いに近しい内容だ。
ライラは男性が嫌いだった。
どういうわけか、男という生き物は彼女を見ると、じろじろと視線を向けてくる。それが何より鬱陶しい。
彼女自身は、自分が『傾国の美女』と呼ばれるほど人目を引く容姿をしていることなど、これっぽっちも理解していなかった。
「まだ返事はしていないわ」
「そうか。だが、早めにな。そろそろお前も婚約者を考えなくてはならない年なのだからな」
「まあ、それもそうね」
ライラはゆっくりと頷いた。
自分は女だから、公爵家を継ぐことはできない。
いずれは婿養子を迎え、この家を継いでもらう必要がある。
(そう考えると、私もそろそろ将来のことを考えなくてはいけないわね)
フローラも手紙で『私の大切な友人なのだから、人柄は保証するわ!』と言っていた。
男性はあまり好きじゃないけど、今後のためには少し会ってみるべきなのかもしれない。
(部屋に戻ったら返事を書きましょう)
ライラは静かに決意していた。
そんな彼女の様子をアレンは、無言で見つめていた。
◇
朝食を終えると、ライラは早速机に向かった。
フローラの友人はどんな男性だろうか。この出会いをきっかけに、もしかしたら縁があるのかもしれない。
(ちょっと想像してみましょうか)
もし婚約することになったら……、街を二人で出かけたり、ちょっとしたカフェでお茶したり……。
(……って、なぜ先ほどからアレンの顔で想像しているのかしら!?)
でも、私はフローラの友人の顔を知らないもの。身近な男性といえば、アレン。これは仕方ないことよね?
ライラは自分を納得させるように、その場で頷く。
すると、先日の記憶が雪崩のように襲いかかる。
アレンとの口付けに、彼の跪く姿。そして、彼の可愛かったあの顔――。
「わあああああああ!!」
ライラは叫びながら手に持っていたペンを投げてしまった。呼吸を落ち着かせながら再びペンを握るが、どうしても奴の顔が思い浮かぶ。
(気を抜くとすぐにアレンの顔が出てくるわ! もう! なんなのよ!)
せっかく彼の表情が崩れた姿を拝めたと言うのに。これでは、どちらがやられたのかわからないわ!
その時だった。ふと、ライラの動きが止まる。
(そうね。目的は達成したじゃない)
ライラの最大の目的。それはアレンの余裕を崩すこと。先日の肩揉みでそれは成功したのだ。
それなら――。
(しばらく休戦と行きましょう!)
こうしてライラは、アレンへの嫌がらせをぴたりと止めたのだった。
◇
ライラがアレンへの嫌がらせをやめて二週間ほどが経過した。
それでも、彼女の脳内からアレンが消えることはなかった。
ふとした瞬間に、肩揉みの時の顔が頻繁に浮かぶ。
(どこまでもしつこい男ね!)
とはいえ、今日はフローラの友人のジャクソンと会う日だ。
アレンのことは一旦忘れて、出かける準備をしなくてはならない。
一通り支度を終え、鏡の前で姿を確認していたその時。
ノックの音が鳴り響く。
「……随分と綺麗にしていますね」
部屋に入ってきたのはアレンだった。扉を閉めると、腕を組みながら壁にもたれている。
「人と会うのだから当然でしょう?」
何を当たり前のことを、と答えたとき、アレンの瞳がわずかに細められた。感情は見えないが、何が言いたげなようにも見える。
「……何よ、何か言いたいことでもあるの?」
「……いえ。なんでも」
「そう? それなら今日はもう早く支度しないといけないから、出て行ってちょうだい」
ライラが再び鏡の前で姿を確認すると、いつの間にかアレンが背後までやってきた。
「今日は俺が護衛します」
「何を言っているの? いらないわよ」
「いえ、必要です」
突拍子もない発言に、ライラの眉間に皺が寄った。
「どこの誰が男女が二人で会うのに弟を連れていくのよ」
世間一般でいうデートに弟なんて連れて行ったらとんだ笑い者だわ!
すると、アレンはため息を深く吐く。
「姉上は女性です。そして……今日お会いするお方は、初めて会う男性ですよね」
淡々とした様子で、アレンは口を開いていた。
「……? まあ、そうね」
「まだ相手がどんな方なのかわからないのです。気をつけるに越したことはないでしょう。なので護衛は必要です」
先ほどまでは護衛なんて、と思っていた。だけど、アレンがあまりにも真顔で言うものだから、思わず納得しかける。しかも、なんだかいつもよりも声が大きい気がする。
「……そう、かしら?」
「はい。そうです」
アレンは間髪入れずに、はっきりと言った。その様子を見て、ライラは首を傾ける。
(意外と心配性ね?)
これ以上の言い訳も見つからず、結局アレンを同行させることになってしまった。
◇
そして、王都で人気のカフェで、ライラはジャクソンと対面した。
「ライラ様、初めまして。今日はお時間を作っていただきありがとうございます」
柔らかな茶髪に、穏やかな物腰。礼儀正しい佇まいからも、誠実そうな人柄が窺える。
「ええ。私も楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします」
ライラが挨拶を終えると、ジャクソンの視線が隣へ移った。彼は、非常に困った顔をしている。
「…………それで、隣の男性は……?」
「私の弟のアレンですわ」
「アレンです。よろしくお願いします」
「よ、よろしく…………」
それきり三人の間に沈黙が落ちた。ジャクソンは目の前のライラとアレンを交互に何度も見る。
しばらくして、ようやく口を開いた。
「と、とりあえず席に座りましょうか……」
席についたものの、ぎこちない空気は消えない。
「ライラ様は、何がお好きなんですか?」
なんとかこの場を繋ごうと、ジャクソンが質問を投げかける。ライラが答えようとしたその時、遮るように隣から声が飛んできた。
「姉上は甘いものがお好きです」
「なんであなたが答えるのよ」
「護衛なので」
ライラは反射的にアレンの方へと顔を向けるが、彼はいつもの涼しい顔をしていた。ただ、その態度は妙に堂々としている。
「な、仲がいいのですね……。それで、ライラ様は普段どんなことをしていますか?」
「えーっと、そうね。私は――」
気を取り直して答えようとしても、やっぱり横から声が飛んでくる。
「姉上は読書がお好きです。それに最近は歴史書に夢中なようです」
「だからなんであなたが答えるのよ」
「護衛なので」
「…………」
いつまでもそればかり言うアレンに、ライラは冷ややかな視線を送った。
「というかなんで、そこまで知っているのよ!?」
「今日は、護衛なので」
「…………ねえ、あなた。そう言えばいいと思っていない?」
「いえ、そんなことは」
「もう! さすがに邪魔だわ! 席を外してちょうだい!」
「……わかりました。店の前で待っています」
やっとのことでアレンを追い出す。なんだか見えないはずの耳がしょぼくれているように見えた。けれど、ライラは気にしないようにした。そして笑顔を作り直すと、ジャクソンへ向き合う。
「では、よろしくお願いしますわ」
「あ、はは……。よろしくお願いします……」
◇
ジャクソンとのお茶を終えたライラは、アレンと共に帰りの馬車に揺られていた。
「もう! 最悪だわ!」
「どうしたのですか?」
口を尖らせているライラに、アレンは心配そうに声をかける。
「どうしたもこうしたもないわ! 結局、なんの会話も弾まないで無駄な時間を過ごしたわ」
「今回はご縁がなかったのでしょう」
間髪入れず、しれっと真顔で答えるアレンに、ライラはなんだか無性に腹が立った。
「あなたのせいよ!」
当てつけのよう責めても、彼は表情を変えない。
「ですが二人きりでも会話が弾まなかったのでしょう? 相性の問題では?」
ライラは淡々と話すアレンを、じっと見つめた。すると、アレンはほんのわずかに視線を逸らす。
「ねえ、あなた……。もしかして私のことが好きなの?」
そう考えれば、今までのアレンの行動や言動にも説明がつくような気もする。
「……まさか」
アレンは心底驚いたような顔をする。
(まあ、そうよね)
胸がなんとなくちくりとして、ライラは視線を落とした。
今までアレンに何度も嫌がらせをしてきたのだ。そんな女が好きだなんて、特殊性癖にも程がある。
じゃあ、あの時キスや赤い顔は何なの――。
「姉上を好きだなんて、そんな恐れ多いことを」
「……え?」
「俺は姉上の視界に入れれば十分です」
相変わらずアレンは真顔で言っている。ただ、言動だけが何だかおかしい。
「なので……たまにこうして構ってくれたことが、本当に嬉しかったんです」
待って。この人は何を言っているの??
(構って……くれた?)
突然の理解不能な言動に、ライラは目を丸くさせた。
「あなた、私が今までしてきたこと……嫌じゃなかったの?」
「姉上が俺のためにしてくれたことが、嫌なはずがないでしょう」
アレンは当然でしょうとも言いたげに即答した。そんな彼の様子を見て、ライラは開いた口が塞がらなかった。
(えっ、本当に何を言っているの? もしかして今までのこと、嫌がらせだと認識していない??)
「……私はあなたのことを初めて心配したわ」
「それは光栄です」
アレンは目を細めながら柔らかく微笑んだ。そんな顔を見るのは初めてだった。
「えーっと……私が今まであなたに意地悪してたのはわかっている?」
自分で言うものではないとは分かってはいるけれど、それ以上にこの男がおかしい。
「まあ、多少は」
「…………それが嫌じゃなかったってこと?」
「はい。嬉しかったので」
もう、何が何だか理解ができない。
(性癖……?)
それにしても、どうしてこんなことを恥ずかしげもなく言えるのよ!
え、もしかして私がおかしいの……?
(でも……なんだろう)
ライラは再びアレンに視線を向けた。そこには、穏やかにライラを見つめる彼の姿があった。
(私は……もしかしてアレンの崩れる表情を見たかったんじゃないのかも)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
では、何がしたかったのだろう。
ライラは目の前のアレンをじっと見つめた。
(……私、何がしたいのかしら)
自分でも、よく分からなかった。
けれど、そんなアレンを見ているうちに今の状況がなんだか急におかしくなってきた。
視線の先ではアレンが首を傾げている。
ライラは、くすっと笑みをこぼした。
「ねえ、アレン。付き合ってよ」
「……え?」
「私、新しいドレスが欲しいわ」
「……そういうことですか」
アレンは目を閉じると、口元を緩ませた。
「なによ。もう護衛ごっこはおしまい?」
「……いえ、喜んで」
その返事に、ライラは満足そうに微笑んだ。
そして、馬車の窓へと首を動かす。窓の向こうでは、色とりどりの花々がゆっくりと揺れていた。
ライラは頬杖をつきながら、穏やかな表情を浮かべた。
――覚悟しなさいよね。
散々私を振り回して……今度は私の番だから。
お読みいただきありがとうございました♪
いったんここで完結となりますが、いずれどこかでアレン視点や続きも書きたいと思います。
ちなみに、アレン→ライラのイメージソングは、UNISON SQUARE GARDENさんの『恋する惑星』です。
アレンを書いていたら、なぜかこの曲が脳内で流れていました。
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