3、煩悩と戦え、黒ヒョウくん!
がんばって書きました。
「ね、眠れなかったわ……」
ベッドから起き上がった公爵令嬢ライラ・ペルセインは、開口一番にこう言った。
彼女の目の下には、くっきりと濃い隈が浮かんでいる。
(あの男のせいで……!)
頭には大嫌いな男の顔が浮かび、彼女の眉間に深い皺が寄った。
何を隠そう、昨日のことだ。ライラは義弟であるアレンに一矢報いようと薬(下剤)を盛る決意をした。しかし、あっさりと彼にバレてしまう。それならばと、反撃のため「跪きなさい」と命令し、彼が動揺したところまではよかった。
(あんな、あんな破廉恥な……!)
ライラは布団を掴みながら、その手をプルプルと振るわせた。
あの時、アレンはライラに跪くだけでは飽き足らず、なんと彼女の足に口付けまでしたのだ。しかも、そのあとは唇にまで――。
今でも思い出すだけで、今でも顔中に熱が集まる。
その熱を振り払おうと、彼女は首を必死に振った。
(しかも、あの男は『そんなに俺のことが好きなんですか』とか言ってのけたわ!)
勘違いも甚だしい……! そんなわけ無いじゃない! 何をどう解釈すれば、そんな考えに至るのよ!
(し、しかも……『かわいい』だなんて……)
再びライラの顔に熱が勢いよく集まった。
一瞬、自分が勝ったと思ったのに、むしろ反撃されたわ。いつもそう。あれがあの男のやり方なのよ!
堪らなくなって、ライラは布団を何度も叩く。
突然のことに動揺してしまったけれど、もう同じようにはいかないわ。
……でも、あの時のアレンは妙に熱のこもった瞳をしていた気がする。いつも何を考えているのか分からないような静かな目をしているのに。
そこまで考えて、ライラは首を横に振った。
(考えても仕方ないわ。これ以上、あの男のために悩むのは時間の無駄だわ!)
今日こそ、あの男の涼しい顔を崩してやるのよ。
◇
今日は、社交パーティー。
ライラはいつものように一人で壁の花となり、ワインを片手に爪を噛んでいた。とても淑女とは思えない立ち振る舞いだ。けれど、彼女は気にすることなく目の前の光景を睨んでいた。
(本当にどこまでもムカつく男だわ……)
ライラの視線の先には、アレン・ペルセイン。いつもの涼しい顔で、奴は複数人の令嬢に囲まれている。
「アレン様、今日も素敵ですわ」
「この前の剣術大会でも優秀な成績を納められたとか」
「いえ、それよりもこの前のアカデミーでの試験で主席だったことの方がすごいわよ!」
周りの令嬢たちは、次々にアレンを褒め称えている。アレンは表情ひとつ変えずに「ありがとうございます」とだけ答えている。
ライラはそれが非常に面白くなかった。
(何よ、もう少し嬉しそうにしたらどうなの!? どこまでも嫌味な男ね!)
――今朝もそうだ。
それは、朝食の席でのこと。
食堂に着くと、アレンが先に席に着いていた。ライラは一瞬だけ彼の姿を確認すると、無言で着席する。
けれど、どうしても昨日の記憶がチラついてしまい、上手くアレンの顔が見れなかった。
食事をする気にもなれない。今日は大好きなエッグベネディクトなのに。
目の前の食事を静かに見つめていると、向かいの席から声がかかる。
「おはようございます。姉上」
顔を上げれば、なんてことない普通の顔でアレンが口を開いていた。挨拶を終えると、それはもう無駄に美しい所作で食事を口に運び始めた。
その瞬間、ライラは苛立ちで身体が震えそうになるのを必死に堪える。
(昨日はあんなことをしておいて……!)
ライラの頭には、昨日の口付けやアレンの言動が思い浮かぶ。
やっぱりあれは私への嫌がらせだったのね!
私だけ気にしているだなんて、我慢ならないわ!
ライラはキッとアレンを睨むが、彼が気づく様子はなかった。
――そして現在。
会場の中央で令嬢たちに囲まれているアレンを、今朝のように睨む。
(……また、あの顔よ)
何事もなかったかのような、涼しい顔。普通、男なら令嬢たちに囲まれていたらデレデレとだらしない顔でもするのでは?
でも、昨日あんなことをしておきながら、今朝も平然と「おはようございます。姉上」などと言っていた男なのだ。本当に、余裕ぶっちゃって!
(本当に、何もなかったかのように……!)
ライラの胸の奥で、ふつふつと怒りが湧き上がる。
(……絶対に許さないわ)
それに今は今でなんだか面白くないのだ。
ライラの視界にふと、一人の令嬢がアレンの襟元に触れている様子が映った。
「……あら、アレン様。埃がついていますわよ? 取って差し上げますわ」
「ありがとう」
どうしてこんなにも面白くないのかは、ライラ自身にも分からなかった。
ただ一つ分かっているのは――。
(今日こそ、あの涼しい顔を崩してやる……!)
という決意だった。
とにかく今はアレンにとっても大事な社交の場。それならそうね、邪魔してやろうじゃない。
ライラは近くのテーブルにグラスを置くと、アレンのいる会場の中心へと足を進めた。
その瞬間だった。先ほどまで談笑していた人々の声が途切れる。
ライラが歩くたびに、まるで彼女の姿を追うように視線が集まっていく。
普段のライラは、社交の場でも決して目立とうとはしない。人々の視線を嫌い、壁際で静かにワインを傾けていることが多い。
そして今、ライラはというと――アレンの邪魔をするということに集中しているため、会場中の人間が自分を見つめていることにまるで気づいていなかった。
「……あれがペルセイン公爵令嬢か」
「いつ見ても……」
「本当に、息を呑むほど美しいな」
彼女はただ、ゆっくりと優雅な足取りでアレンの元へ向かっていく。
先に彼がライラの存在に気がついたのか、到着する前に目が合う。
けれど、彼はすぐに視線を逸らした。そのまま周りを確認するようにぐるりと周囲を見渡す。その時、彼の目がほんの一瞬だけ細められたような気がした。
(……ん?)
言いようのない違和感を感じたけれど、とにかく今は目的を達成することが一番。
そうしてライラは、アレンに冷たい視線を向けながら口を開く。
「私を連れ出してちょうだい」
その瞬間、会場が静まり返った。誰もが二人のやりとりを見つめている。
けれど、ライラ本人だけはそんなことに気づかない。
アレンはチラッとだけ周りを見た後、しばらく彼女を見つめる。やがて、ふっと息を吐いた。
そして、アレンはジャケットを脱ぎながら、ライラの元へと向かっていく。
(な、何……?)
予想していなかった彼の動きに、ライラの身体が固まる。アレンは立ち止まると、彼女の肩へ自分のジャケットをふわりとかけた。
「何をす――」
なんのつもりかと尋ねるよりも早く、ライラの身体が宙に浮いた。
「えっ」
次の瞬間には、彼女の身体がすっかりとアレンの腕に収まっていた。状況を理解したライラは、顔中に一気に熱を集める。
「ちょっと! 急に何を!」
「……姉上が連れ出して欲しいと」
「それはこうしろという意味じゃないわ!」
思わずアレンの胸を叩く。けれど、アレンは答えず、再び周囲へ視線を向けた。そして、ライラを隠すように抱き上げ直す。
「……少し、大人しくしてください」
「なっ……!」
ライラの顔はますます赤くなる。
(ちょっと邪魔しようと思っただけなのに! こんなことは望んでなかったわ!)
そして、アレンは彼女を抱き抱えたまま、会場を出ていったのだった。
◇
会場の外へ出ても、アレンの足は止まらなかった。
「姉上。今日はもう帰りましょう」
アレンの表情自体は、いつも通りに見える。でも、なんだか――妙に苛立っているようにも見えた。
その顔を見て、ライラはほんの少し胸が軽くなったような感覚を覚える。
(やっぱり、この男は命令されるのが嫌いなのだわ!)
この前だって、跪けと言ったときも一瞬動揺していたもの。その後は反撃を喰らってしまったけれど、このやり方は間違っていなさそうね!
それならとことん使用人のようにこき使ってやろうじゃない!
「そうね。帰りましょ」
◇
ライラとアレンは無言で馬車に揺られ、やがて公爵家に到着した。
「姉上、部屋までお送りします」
やけに気遣うアレンの様子に、ライラは気分を良くした。
(ふん。これよ!)
ライラの私室まで来ると、アレンは踵を返そうとした。しかし、ライラは彼の腕を掴み、その足を止めさせた。
「……姉上?」
「疲れたわ」
「……? 侍女でも呼びましょうか?」
アレンはわずかに首を傾げた。でも、今日はこのまま返すわけにはいかない。なんとしてでもこの男の表情を崩してやるわ。
「肩が凝ったの。肩を揉んでちょうだい」
「……俺が、ですか?」
「今、あなた以外に誰がいるのよ」
すると、アレンは一瞬目を丸くさせ、すぐに視線を逸らした。そして、しばらく考え込むような様子を見せると、ようやく口を開いた。
「……わかりました」
◇
ライラはアレンを自室に招くと、ソファーに腰掛ける。その背後に、アレンは移動した。
「じゃあ、お願いね」
ライラは淡々と告げ、アレンに肩揉みを促す。
「はい」
やけに素直なのが少し引っかかったけれど、気分のいいライラはこれ以上気にしなかった。
(これで、この男に屈辱を与えることにするわ! こんな使用人のような行為は、さぞ不愉快でしょうね!)
ライラは口元を緩ませたが、その時ふと、身体がむず痒くなる。
「ちょっと、弱いわよ。それじゃ、くすぐったいわ」
なんだか肩の表面を撫でられているような強さで、全く物足りない。どうせならちゃんとして欲しい。
「……すみません」
アレンは短く謝ると肩揉みを再開するが、やっぱりどうにも力が籠っていない。
「ねえ、もっと強くしてちょうだい」
その時、息を呑む音が聞こえた気がした。
「……もっと、強く……?」
「そうよ。足りないわ」
「足りない……」
なんだか歯切れの悪い反応に、ライラは少し苛立つ。
「いちいち繰り返さなくていいから、早くしてちょうだい」
そう告げると、肩に触れているアレンの手がわずかに震えた気がした。そして、彼は無言のまま再び肩揉みが再開する。
ライラは目を閉じながら、身を委ねていた。
(さっきよりは、いいけど……でも、まだなんか……)
なんで、今日はこんなに要領が悪いのか。
「ほんと弱いわね」
「…………」
アレンは無言のまま、力をこめる。
「もっと、もっとよ。もっと力を入れなさい」
その時、アレンの手の動きが止まった。
「……これ以上を、お望みで?」
「そうよ!」
やけにいい含んだ言い方が気になったけれど、ようやく満足いく強さになってきた。
「そうよ。そのくらい強くよ」
「……承知しました」
なんだかいつもよりも低い声が耳に掛かると、再びアレンは肩を揉み出す。
――ライラは、大変満足していた。
(ふふん。ようやく私の言うことを聞くようになったわね!)
いつも淡々と何事もこなす男だけれど、今回はやけにおぼつかない。やっぱり不愉快に感じているに違いないわ。
そうね。ようやくアレンに一矢報いることができそうだわ。
じゃあ、今この男がどんな顔をしているのか見てやろうじゃないの。
そう思ったライラは、後ろを振りかった。
その瞬間だった。ライラの動きがぴたりと固まる。
「……姉上……?」
目の前に飛び込んだアレンの顔は、ひどく困った顔をしていたのだ。そして、彼の耳はほんのりと赤みを帯びていた。
「か、かわいい……」
「……え?」
思わず、口に出してしまったことを理解すると、ライラはすぐにその口を手で隠した。
(……え? 私、今、何を……)
みるみるうちにライラの顔が赤く染まっていく。堪らなくなった彼女は勢いよく首を逸らした。
「姉上、今なんと――」
「も、もう良いわ! 出て行って!」
「え?」
「もう、満足したわ。出て行ってちょうだい!」
「しょ、承知しました……」
アレンは首をわずかに傾げながら、出ていった。
静まり返った部屋に、ライラが一人残される。
しばらく無言でアレンが出て行った後の扉を見つめていた。
そして、わけもなく部屋中を歩き回りだした。
どのくらいそうしていただろうか。しばらく経つと彼女はベットの方に向かい、ゆっくりと腰を下ろした。
息を整えながら、膝の上で手をぎゅっと握りしめた。
「か、かわいいって……何よ……」
もう心臓がうるさくて仕方なかった。
一方、その扉の向こうでは。
アレンは扉に寄りかかりながら、無言で床を見つめていた。
そして、息を深く吐くと、片手で顔を覆う。
「…………あれは、耐えられるわけがないだろ……」
その声は、誰にも届くことなく消えていったのだった。
えーっと、皆様は何を考えましたか?
怒らないのでぜひ教えてくださいませ。




