48. 遠い未来の英雄譚
騎士たちの奮闘により、マーレ復活による一連の騒動で人的被害は出なかった。しかし、海岸沿いを中心に、建物などへの被害が広がっている。
その復興のために、テストゥードー共和国全体がにわかに騒がしくなった。あちこちでひっきりなしに人が行きかい、レンガを詰み、壁を塗っている。
アウクシリアはノドゥスにある話をしたらしく、最近二人は少しぎくしゃくしている。
しかしよくよく話を聞けば、今度しばらく二人で冒険に出るらしい。アウクシリアいわく、「愛」だそうだ。
ドミナはからかうようにクラヴィスへその話をして、フェキレはしばしばアルスの話をサフィラにねだった。
サフィラの家にあった蔵書は結局、サフィラのもとへと戻ってくることになった。
解読作業をしていた部屋の、一番奥の机には古代語のメモが置かれていて、「ありがとう」とだけ書かれていた。誰も使っていないはずなのに。
サフィラはそれがなんとなく捨てがたくて、保管している。
レガリア島の神子制度は解体されることになり、神子の舞はすべての子どもに解放された。ペクタスは、その師範として忙しくしている。婚約者である少年も、ペクタスの側で暮らしているそうだ。
クラヴィスとサフィラは、あの新しい島の持ち主として無事に認められた。最もはやく島を見つけたことと、サフィラの危険予知の功績を買われてのことだった。島の名義は、サフィラになることが決まっている。
その一方で、まだ土地の測量などの調査は終わっていない。二人が暮らしはじめるのは、もっと先になるのだろう。
アルスはつい先日西方大陸への留学に向かい、サフィラの家の空いた部屋にクラヴィスが住むことになった。アルスはかなりイヤそうな顔をしたが、許してくれた。
サフィラの肩の傷は深く、治るまでかなりの時間がかかる見込みだ。腕を上げるのも億劫だと弱音を吐いたら、今度はクラヴィスにすべての世話を焼かれる羽目になった。
「今日の昼は肉を焼いたぞ」
とはいえ、クラヴィスは家事の初心者だ。この昼食の肉も、半分くらい焦げている。表面をこそぎ落としたようだが、まだ炭化した部分が残っていた。
それでもサフィラは、クラヴィスが口元へ運ぶ小さく切った肉を、ためらいなく頬張った。
じゃりじゃりと口の中で、砂を噛むような食感が広がる。サフィラはそれを飲み下し、「ん」と喉を鳴らした。
「おいしい」
「よかった」
クラヴィスはひどく幸せそうに、サフィラへ奉仕した。さすがのサフィラも、このままではいけないと危機感を覚えるくらい。
「ダメになりそう」
弱音のように言うサフィラの身体に、クラヴィスは「もっとダメになれ」と肉を差し出す。頬張るたびに炭化した部分の砂のような食感が気になるし、火が通り過ぎていて固い。だけどサフィラは、彼の料理を必ず「おいしい」と言って食べた。
「俺がいないと、生きていけないくらいになってほしい」
クラヴィスは真剣に、だけど満ち足りた声色で言う。サフィラはすっかり毒気を抜かれて、彼のされるがままになる他ない。
実際、肩の傷が痛くて家のことはあまりできないから、助かってはいる。発掘作業なんてもってのほかの体調だ。だからサフィラは今のところ、療養のために仕事を休んでいる。
とはいえ地主になるための勉強もあるから、暇ではないのだが。
食事を終えて、クラヴィスは食器を片付ける。サフィラは一切の家事を許されていない。
食卓についたまま、窓の外に目をやる。白い鳥が、二羽飛んでいた。番なのだろうか、そろって飛んでいる。
サフィラの青い瞳が、その飛ぶ軌跡を追いかけた。
「いろいろなことが終わって、新しい島に引っ越したら」
ふと、サフィラは呟く。クラヴィスが「なんだ?」と振り返った。手を拭き、こちらへやってくる。
「いや、なんでも、ないんだけど」
クラヴィスが促すように、しゃがんでサフィラの手を握った。窓から穏やかな昼下がりの風が吹き込み、二人の頬を撫でる。海鳥の鳴き声が、遠くから聞こえた気がした。
それで? と、クラヴィスが穏やかに続きを促す。サフィラは喉に引っかかる緊張を飲み下し、クラヴィスの手を握り返した。
「……結婚式を挙げよう。二人で花婿衣装を着て」
その、とサフィラはつっかえつっかえ言葉を紡ぐ。クラヴィスは泣きそうな顔で笑いながら、「うん」と頷いた。
「僕は友達が少ないし、家族もアルスだけだから、あんまり豪勢なのは無理だし嫌、なんだけど」
「ああ」
「別に式なんか挙げても挙げなくても、僕らの関係は変わらない。でも、僕は、式を挙げたい」
嬉しい、とクラヴィスがサフィラの頬に唇を押し付けた。そのやわらかい感触と、彼から香る石鹸のにおいに、サフィラは目を細める。
「クラヴィスの花婿衣装が見たいんだ。僕も着るから、見せてよ」
「俺も、サフィラの花婿姿が見たい。俺の夫になるお前を見たい」
とうとう鼻をすすって、目を赤くして、クラヴィスが泣きはじめる。傷口に障らない抱きしめ方がもどかしくて、サフィラは身をよじった。
その優しさが眩しくて、愛しくて、甘くて、胸が苦しい。
「夢みたいだ」
サフィラはいつものように憎まれ口を叩こうと思って、やめた。代わりに頷いて、彼の頭を撫でる。
「好きだよ、クラヴィス。僕と結婚してください」
子どものおままごとみたいに、サフィラはクラヴィスの手を取った。
「大いなるテストゥードーよ、始祖の蛇から生まれた泳ぐ太陽よ。汝が光り輝く限り、我らにとこしえの恵みあらん」
クラヴィスは歯に果物の繊維が引っかかったような顔をした。サフィラは笑い、さらに続ける。
「母なる海神マーレよ、偉大なる始祖の蛇よ。汝の生み出す豊穣がこの世にある限り、我らはともにあらん」
クラヴィスの手を引き寄せ、そっと唇で触れた。彼は肩をすくめ、サフィラを見守っている。
「まだサフィラは神に祈るのか? あんな目に遭ったのに」
「うん。というか、習慣になってるから。他に何かを誓う相手も、悪いことの原因を押し付ける相手もいないし」
「随分な言いようだな」
クラヴィスはからかうように目をすがめた。サフィラは「そういうものなんじゃないかな」と、穏やかにその目を見つめ返す。
「僕は、何かのせいにしないと生きていけない。弱い人間だから、なんにでもすがりたくなる」
サフィラはやわらかく微笑み、クラヴィスの手に指を絡めた。
「よかったことは、全部きみのおかげ。悪かったことは、全部神の思し召し。そういうことにして、生きていくことにしたんだ」
「それは違う」
クラヴィスは、いやにはっきりと否定した。驚いて目を丸くするサフィラを、クラヴィスはまっすぐ見据えた。
「お前の人生は、お前自身の手で切り開いたものだ。俺はお前を尊敬している。サフィラは、強い」
サフィラの浅い海の色合いをした、鮮やかな瞳が涙で潤んでいく。クラヴィスは、サフィラの頬を指の背で撫でた。
「お前が何に祈ってきても、何にすがってきても、お前が自力で歩んできた事実は変わらない。あまり、卑下するな」
それに、とクラヴィスは笑った。
「俺だって、神頼みしたいときは、たくさんあった。これからも、きっとそうだ」
サフィラは目を閉じて、クラヴィスの手に頬を寄せた。二人はしばらく指を絡ませあい、そこに座っていた。
風が吹き、海には波が立つ。人の営みは続き、神への祈りは受け継がれていく。
だけど、すべては変わっていくのだ。海の波の形はひとつとして同じものでなく、明日は明日の風が吹く。
その中でも変わらず手を繋いでいようと願うことを、サフィラは愛と呼ぶことを決めた。
「ありがとう」
サフィラのたった一言に、クラヴィスは満足そうに目を細める。
結婚式を挙げることも、二人の島が栄えることも、英雄譚として二人の生が語られることも、まだ今はない話だ。
ちいさな家の食堂で、伴侶になることを誓った若者同士が、二人で身を寄せ合っている。




