表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/49

47. 決着

「テストゥードー。俺との契約を覚えているか」


 クラヴィスは剣を携え、テストゥードーへと歩み寄った。ああ、と彼は応じる。


「マーレを正気に戻したら、サフィラを助けると言ったね」

「では、その前だ。サフィラとは、どういう契約を交わした」


 ふむ、と、ガラス玉のような瞳が瞬きをする。クラヴィスはサフィラの衣服をゆるめ、そっと地面へ横たえた。


「少しだけ待ってろ。すぐ助ける」


 そう言って、彼は立ち上がる。すらり、と剣を抜く音がした。テストゥードーと戦うつもりらしい。


「私と戦う気か? 神に逆らうとなれば、私も容赦はできない」

「やってみろ。俺の方が、お前を殺してみせる」


 クラヴィスが吠えた。テストゥードーがため息をつく気配がする。声が降る場所が高くなった。ひたり、と二本足の足音が、クラヴィスの他にもうひとり分聞こえる。どうやら、テストゥードーは人型になったようだった。


「では、こうして殺すしかないか。残念だ。きみはよくやってくれたのだが」


(やめろ。やめてくれ)


 しかしサフィラに、それを止めるすべはなかった。身体は動かない。星々の輝きですら、視界が霞んで見えない。


 だからサフィラは、腕を天へと伸ばした。

 サフィラにできることは、たったこれくらいしかない。


(だめだよ、クラヴィス。戻らなくちゃ)


 サフィラは荒い呼吸を繰り返しながら、必死に意識を留める。指と指を絡ませ、組み、掲げた。


(マーレよ。あなたの命は、もとの形へは戻らない。でも)


 ちりちりと、手首のチャームが揺れる。


「海の女神、すべての、母。偉大なる、マーレ……その長子、冥界の、あるじ。ウィータよ」


 遠くでクラヴィスが泣いている。怒った声を上げて、サフィラを思って傷ついている。


(ごめんね。僕は、きみを傷つけてばかりだ)


「我が肉体……が、朽ち果てる、とき。我は、魂を、汝らへ捧げん」


 必死に、魔法の知識と伝承の知識をすべて引き出す。脳裏には幼いアルスと、在りし日の両親と――ちいさかった頃のクラヴィスとの思い出が、浮かんでいた。


 サフィラには、ほんの小さな勝算がある。


 軋む身体で祈った。文字通り血まみれの言葉を紡ぎ、咳き込みながら、サフィラは詠唱を続ける。


 クラヴィスはテストゥードーへと切りかかり、吠える。その声と剣戟の音を聞きながら、サフィラもまた必死で、神へと捧げる言葉を続けた。


「我が魂は海への贄に。我が肉体は海へと還る。幾星霜の罪、が、そこにあり」


 ウォルプタース家は何度もマーレを復活させ、殺してきた家だ。


「かつての寵愛のしるしが、汝への贖いに、かなうならば。我が喜び、は、その放棄にあり」


 サフィラは、その特権を手放すことに決めた。

 それ以外に神へ捧げられそうなものはないし、何より、サフィラはそんなもの、いらない。


(こんなもの、滅んでしまえ。神官としての、伝承の守り人としてのウォルプタース家は、僕でしまいだ)


 サフィラの手首で、血塗れの白いチャームが揺れた。


 クラヴィスが憤りながら泣いている。何度もテストゥードーへ切りかかり、挑み、倒れ伏している。


 それでもなお、彼は立ち上がっていた。咳き込み、荒い息を吐き、それでも。


 だからサフィラも、これしきのことで、負けるわけにいかないのだ。


 サフィラの祈りに応えるように、海亀の形をしたチャームが熱くなる。血が巡り、身体が火照る。


 クラヴィスが雄叫びを上げて、テストゥードーへと向かっていった。


「汝が堕ちた昏迷は、最後の神官が払う。我が家門は滅び、されど汝らは永遠なり。母なる女神、始祖の蛇マーレよ。冥界の主、魔物の王ウィータよ」


 これまで受け継がれてきた歴史を、思いを、サフィラはこれから贄に捧げる。


 死と再生を司る名前を、サフィラは呼んだ。指をほどき、腕を大きく広げる。


 これから先の運命は、どうなっても、文句はない。


 だけど贅沢を言うなら、次の朝日を、クラヴィスと眺めたかった。


「我が贖いに応えるならば、契約の鎖を解きたまえ。我はサフィラ、ウォルプタースの末裔なり。因果の糸をほどき、明日の先を紡がん」


 クラヴィスのうめき声がすぐそばに落ちて、彼が転がった。クラヴィスとサフィラの上に、白い影が降りる。


 そしてサフィラはちょうど、呪文の最後が間に合った。


「汝は聡明なるマーレ。汝は理知あるウィータ。今、我はことわりの天秤に乗れり――!」


 軽い音を立てて、海亀の形をしたチャームが割れた。

 サフィラの肩口から染み出る血が、地面へとにじむ。

 その他には、何も起こらない。


 しばらくの沈黙の後、テストゥードーが天を見上げる。海へ視線を滑らせ、ぽつりと言った。


「……マーレは、応えなかったようだな」


 テストゥードーはクラヴィスをどかし、サフィラの顔を覗き込んだ。

 サフィラは息も絶え絶えに、その目を睨み返す。


「あなたに命乞いするより、ずっといい最期です」


 その言葉に、テストゥードーがサフィラの首根っこを掴んだ。そのまま持ち上げ、引きずる。


「きみの魂は、マーレへと捧げる。そういう契約だ」


 終わりか。サフィラの胸に、静かに暗闇が広がった。冷たくて、重たくて、安らかで、虚ろで、夜の海のようにサフィラの心を満たした。


 それに抗うように、クラヴィスが立ちあがる。なおも剣を抜き、サフィラを引きずるテストゥードーへと切りかかった。


 最後の力を振り絞り、獣が吠えるように叫び、剣を振り下ろす。


「哀れだな」


 まるで憐憫の欠片もない声色でテストゥードーがクラヴィスを睥睨する。その刃はテストゥードーへと届き、触れた。


 音も立てず、テストゥードーの腕が切断される。


 サフィラの身体が地面へと転がり、クラヴィスは剣を放り出した。

 大切に大切に抱きしめて、助け起こす。


「クラヴィ、ス」


 咳き込むサフィラは、ふと、いつも通り息ができていることに気づく。

 血を失った身体はふらつくが、魔法を振るうことはできるだろう。


(だけど、これまでみたいな魔法は、使えないだろうな)


 自分の中にあった魔力の泉は、なくなっていた。きっとサフィラが先祖の罪の償いに、神官としての力を捧げた結果だろう。


 それでも、サフィラは杖を構える。


「サフィラ。援護を頼む」


 クラヴィスは一言だけ言い残し、剣を拾いなおして上段に構えた。サフィラは呪文を唱え、暗闇に明かりを灯す。


 海の上を風が吹き、闇の中に立つ二人の肌を撫でた。


 テストゥードーはといえば、二人に見向きもしない。「そうか」と、海を見つめて、ひとり呟いている。


「あなたは、そちらを選ぶのだな」


 そのテストゥードーの視界の真ん中に、クラヴィスが入る。自らを誇示するように、彼は声を張り上げた。


「こちらを見ろ、テストゥードー!」


 そしてクラヴィスはテストゥードーの肩から腹を袈裟切りに、剣を振り下ろした。

 抵抗は、なかった。テストゥードーの大きな身体は、呆気なくクラヴィスによって切り裂かれる。大きく身体を横断する切り傷からは、光があふれだした。


 やわらかな果実が潰れ、果汁があふれるように、白い光が弾ける。


 咄嗟に目を庇う二人の目の前で、それは海へと溶けだしていった。荒れる水面に立つ波が、白く輝く。

 幻想的な一瞬は過ぎ、やがて一筋の線へと光は収束した。


 東へ一直線に白く奔り、やがて消えていった。


「……終わった?」


 サフィラは膝をつき、くらむ頭を抱える。クラヴィスは、彼の身体を支えた。


「生きている。生きているんだよな」

「うん」


 サフィラはクラヴィスを抱きしめ、背中をさする。波の音が、穏やかに耳に触れて、遠ざかっていく。

 遠くから人の声がした。きっと、魔物と戦っていた人々がこちらへ向かっているのだろう。


「ねえ、クラヴィス」


 サフィラはクラヴィスの頬を手で包み、額を合わせた。二人の視線が、至近距離で交わる。


「あんな形で言っちゃったけど、僕はきみのことが好きなんだ」


 知ってる、とクラヴィスが穏やかに言った。サフィラは「うるさい」と額を軽くぶつける。鼻が擦れ合い、静かな沈黙が二人の間に満ちた。


「それで、きみが散々僕にしてきた結婚の話なんだけどさ」

「ああ。結婚するんだろ?」

「もうちょっとだけ、僕の話を聞いてくれ」


 いい? と、サフィラは念を押すように言った。


「僕はしがない研究員で、薄給だし、貯金もない。いわゆる、甲斐性なしだ」

「うん」

「僕ときみは男同士だから、子どもを作れない。僕と結婚すれば、きみは子どもを残せない」

「分かっている」

「だからきみが僕と結婚することによる利点は、きみにはないんじゃないかって、今も思う」


 クラヴィスが反論しようと口を開く。サフィラは、その唇に噛みついた。


 驚くクラヴィスの顔を見て、サフィラは笑った。刺された腹の傷跡はまだ引きつるし、肩の傷も痛い。


 それでもサフィラは、クラヴィスを捕まえて離さなかった。


「要するに僕は、こういうつまらない言い訳をしないと、きみから離れられなかったみたいだ」

「今もまだ、言い訳をするのか?」


 泣き出しそうに顔を歪めて、クラヴィスが微笑む。サフィラは、もう一度唇をすり合わせた。


「しない」


 きっぱり言い切るサフィラを、クラヴィスが抱きしめた。鎧が当たって痛いし二人とも血まみれで泥まみれで、最悪だ。


 それでも離れたくない。ずっと一緒にいたい。


「クラヴィス。死んでも、海の底で一緒に暮らそうね」

「もちろん」


 馬鹿みたいに言い合って、二人は唇を合わせた。東の空からは太陽が昇りはじめ、二人と、新しい島を照らす。


 たくさんの足音が聞こえた。振り向けば、騎士たちが戸惑った顔をしつつも走ってくる。アウクシリアもいた。


 救護担当の騎士が、サフィラの応急手当てをしてくれる。アウクシリアもしゃがみこみ、二人と視線を合わせた。


「お前ら、生きてるな?」


 念を押すような言葉に、二人は頷いた。


「……お前らが、あのデカいシーサーペントを倒したんだよな?」

「ああ」


 クラヴィスは頷く。アウクシリアは口をへの字に曲げた。畏怖の念とも喜びとも安堵とも分からない表情で、「これから大変なことになるぞ」と頭をかいた。


「お前たちは、どうしたい」


 サフィラとクラヴィスは、顔を見合わせる。先に返事をしたのは、クラヴィスだった。


「俺は、この島で暮らしたい」


 そうか。アウクシリアは頷く。


「じゃあ、そうするといいさ」


 しばらく経って、サフィラは即席の担架に乗った。ここから船に乗り、一番近い島へと運ぶらしい。

 当然のように、クラヴィスも同じ船に乗った。二人は行きよりはゆっくりと、日常へと帰っていく。


 こうして、サフィラたちの旅は幕を閉じた。だからここから先は、彼らの後日談である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ