34. ドミナ宅にて
ドミナの自宅へと到着し、クラヴィスが扉をノックする。すると、中からひょっこりフェキレが顔を出した。
「お久しぶりです、……なんて言うほど、経ってないですけど」
照れ臭そうに笑うフェキレに、サフィラは「お久しぶりです」と自然と笑みがこぼれた。クラヴィスは「元気そうだな」と呟き、扉を閉じた。
「入ってください。ご飯、用意してあるので」
たしかに、辺りにはおいしそうな匂いが漂っている。その、とフェキレが照れ臭そうに頭をかいた。
「俺が作ったんで、お口に合えばいいんですけど。こっちに来てからはじめて料理を習ったんで、そんなに上手くはなくて……」
クラヴィスが興味なさげにフェキレを一瞥する。
「食えればいい」
こら、とサフィラはクラヴィスの背中を強くはたいた。ぱしんといい音が鳴り、フェキレは驚いた顔をした後、くすくす笑う。
「仲がいいんですね」
「そうだ。俺とサフィラは、仲がいい」
まるでフェキレを威圧するようにクラヴィスが言うので、「こらこら」とサフィラはクラヴィスの腕を引っ張った。途端に大人しくなるクラヴィスに、フェキレがまた笑う。
「ああ、それと。今日は俺の学校の先輩も来てるんですけど、大丈夫ですか?」
おずおずと尋ねるフェキレに、サフィラはクラヴィスと顔を見合わせた。言い訳のようにフェキレが続ける。
「俺、うっかり今日、先輩を誘っちゃったんです。俺のうっかり、なんですけど……」
「いや。気にするな」
クラヴィスが首を横に振る。
「俺は構わない」
「僕も、大丈夫です」
よかった、とフェキレは肩の力を抜いた。
「ドミナさんにも、前まえに言っておけばよかったんですけど、言えていなくて。ありがとうございます」
家の奥から、ドミナが顔をのぞかせる。彼女は三人を手招き、フェキレを呼んだ。
「はやくこっちへ来たまえ。せっかくの料理が冷めてしまう」
それから、手洗い場はあちらだ。ドミナに指さされるまま、三人は手を洗って食堂へと入る。
と、サフィラの目が、先客とぱちりと合った。背の高い青年で、燃えるような赤いくせのある髪。
「アルス!?」
「兄さん!?」
二人は素っ頓狂な声を上げ、お互いを指さし合う。あれ、とフェキレが二人を交互に見た。
「きょ、兄弟……?」
アルスはどたばたと立ち上がり、サフィラに向かって突進するように抱き着こうとした。が、それはクラヴィスに軽々と防がれる。
「俺は無視か。いい度胸だな」
「ぐっ……!」
悔しげに顔を歪めるアルスに、サフィラは「挨拶しなさい」と呆れたようにため息をついた。
「いい加減、挨拶もできるようにならないとダメだよ」
「こいつ以外にはしてる!」
ぎゃんぎゃんと吠えたてるアルスを、フェキレはぽかんと眺めていた。離席していたアウクシリアが、コップに入った酒を煽りながら戻ってくる。
「なんだ。面白そうじゃねぇか」
「きみたち、ひとまず席につきたまえ」
ドミナの一声で、クラヴィスとアルスはしぶしぶ席に着く。サフィラは「すみません……」とちいさくなりながら席についた。
「もうアウクシリアがはじめてしまっているから、きみたちも自由に食べてほしい。作った人はどうかな」
ちらりとフェキレを見ると、「はい」と彼ははにかみながら答えた。
こうして、六人の賑やかな食事がはじまった。フェキレの料理は具の切り方がふぞろいで、煮物は多少煮崩れている。それでも、心づくしの料理は、おいしい。
皆が食事を平らげたところで、フェキレとドミナが食器類を片付ける。アウクシリアもそれを手伝っていた。サフィラも手伝おうと立ち上がり、くんと服の裾を引っ張られる。
「兄さん」
ちいさな声で、アルスが呼ぶ。振り返ると、彼は気まずそうに外を指さしていた。
「話したい、ことがある」
なぜか、ぎくりと身体が強張った。クラヴィスはちらりとこちらに視線を向けて「行ってこい」とまたそっぽを向く。
「ドミナ卿たちには、俺から言っておく」
サフィラは、アルスに頷いた。
兄弟そろって外へ出て、夜風に当たる。少し冷えた風が、食後の火照った身体に心地よかった。
「……クラヴィスとの旅はどう?」
先に口を開いたのは、アルスだった。「楽しいよ」と、サフィラは偽りのない本音を口にする。うん、とアルスは頷いた。
「謝りたい、ことがあるんだ」
「なにを?」
本当に心当たりがなくて、サフィラは首を傾げる。アルスは、意を決したようにサフィラを見つめた。同じ色の瞳が交わる。
「俺、兄さんの気持ちを無視してた。……俺の側にいてほしいって、そればかりで」
アルスの芯の通った声に、サフィラは思わず彼をじっと見つめた。最後に会ったのはそれほど前ではないのに、随分と大人びて感じる。
「それで、何が言いたいかって言うと」
アルスは、緊張を少しほどいた様子で、わずかにため息をついた。
「ごめん。兄さんを、尊重していなかった。恩返しがしたかったのに」
「……ううん。そんなの、全然いいのに」
大きな身体を縮こまらせて、アルスが「うん」と頷く。それが無性におかしくて、かわいくて、サフィラはその髪をぐしゃぐしゃにするように頭を撫でた。
「立派になった」
その静かな声に、アルスは「ありがとう」とはにかんだ。
「俺、国費留学生の話、受けるよ」
「うん」
「それで、……留学が終わってこの国へ戻ってきたら、また兄さんと一緒に暮らしたい」
ふ、とサフィラの息が詰まった。アルスはやわらかい表情で、サフィラを見つめた。
「もちろん、兄さんには兄さんの人生がある。俺にも、俺の人生がある。だから、帰ってくる頃には、違うことを言っているんだろうね」
だけど、とアルスは続けた。
「今の俺がこう思うくらい、俺にとって兄さんは、大事な人なんだよ」
分かってる、と言おうとして、言葉が喉に貼り付いた。サフィラはただじっと、弟を見上げている。
「話はそれだけ。……留学先でも手紙を出すよ」
だからね、と、アルスはサフィラの肩を掴んだ。
「絶対、俺が帰ってくるまで元気でいて。クラヴィスに何かされたらすぐに呼んで」
後半は冗談じみた声で、アルスは言った。サフィラはなんとか頷く。
「兄さんには、兄さんの人生と意志があるって、分かってるけど」
ぽつり、とアルスが呟いた。サフィラは顔を上げて、「うん」と頷く。
「俺たちにだって、俺たちの人生と意志がある。兄さんのことが本当に大事だし、ずっと、そこにいてほしいよ」
うん。サフィラはちいさく頷く。その胸の中に、ちいさな炎が揺れるような苦しさがあった。それの正体が何であるのか、サフィラには分からない。
だけど何かが、サフィラに芽吹こうとしていた。
「戻ろうか。夜は冷えるし」
アルスは軽い調子で言って、家の中へと戻っていった。サフィラはしばらく一人で空を見上げる。
どこまでも広がる星空は美しかった。その輝きのひとつや、海の波や自然のひとつに、サフィラはなりたい。
そのはず、だった。
ドミナの家に戻ると、クラヴィスが皿を拭いていた。
「おかえり」
振り返って、サフィラに微笑みかける。一瞬、サフィラの中で時が止まった。
「ただいま」
だってクラヴィスと結婚すれば、きっとこれが当たり前になる。お互いを二人の家に迎えて、送りだして、それを毎日繰り返す。
きゅう、と胸が切なくなった。ろうそくの火がゆらめくような心もとないそれは、じんわりとサフィラの身体を温めはじめている。




