31. 二人の本音
翌朝。サフィラたちは食堂で集まり、食事をとった。食後に水を飲みながら、「さて」とアウクシリアが改まった態度で向き直る。
「これで、俺たちが最初に立てた目標は、だいたい達成できたわけだ。創世の蛇は実在するらしいし、太陽神テストゥードーはそこらへんを泳いでる」
サフィラはぎこちなく頷きつつ、「あと二週間」と呟いた。クラヴィスは黙って、追加したパンを優雅に千切って食べている。
「いずれにせよ、俺はサフィラにアウレア島での押収物を見てもらいたい。あれが解読できるのは、お前だけみたいだからな」
「はい」
サフィラは、ちらりとクラヴィスを見た。彼はパンを食べ終えると、「俺もついていく」と口元を拭く。
「サフィラの側にいたい」
アウクシリアはひゅうと口笛を吹き、サフィラは俯いてテーブルの下で指を組んだ。決まりだ、と言わんばかりにアウクシリアが手を叩く。
「じゃあ、一旦あちらへ戻るか。サフィラ、また水流操作を頼む」
「もちろんです」
胸を張って答えると、クラヴィスが立ちあがった。一緒に行くぞ、と言わんばかりにサフィラの腕を引っ張る。
「どこに行くの」
サフィラもされるがままに椅子を引いて立ち、クラヴィスに導かれるまま歩く。背後でアウクシリアが「食後の散歩はほどほどにな」とからかう声が聞こえた。
クラヴィスは無言で、自身が泊まっていた部屋へとサフィラを連れ込んだ。あまり乱れていないベッドの上にサフィラを座らせ、自身も隣に座る。
「聞きたいことがある」
「なに」
サフィラの手を握り、クラヴィスはひたとそのアクアマリンの瞳を見つめた。しばらく無言で視線が絡み合い、クラヴィスはゆっくり口を開く。
「お前は、遠くへ行くつもりなのか?」
「……なに。いきなり」
怪訝な顔をするサフィラに、クラヴィスは「そのままの意味だ」とサフィラの手に指を絡めた。
「テストゥードーと、何を約束した」
どうしてここでテストゥードーが出てくるのか。半分図星のサフィラの背に、ひやりと冷たいものが走る。
「別に。マーレを倒すために、勇者を助ける力を与えてもらっただけだよ」
クラヴィスの顔を真正面から見られなくて、サフィラは目を逸らした。クラヴィスは「サフィラ」と名前を呼び、手を引く。
「サフィラは、すぐ隠しごとをする。俺は、そんなに頼りないのか?」
「……そうじゃない、けど」
ぽつりと呟くサフィラに、「じゃあ、頼ってほしい」と、クラヴィスが手を握る。
「俺は、お前を、テストゥードーから取り戻したい」
サフィラは、のろのろと顔を上げた。クラヴィスの目には強い光がたたえられている。
「俺の側から離れないでくれ。俺は、お前がいないと生きていけない」
サフィラの胸が、どきんと跳ねた。罪悪感のような高揚のような、鋭くて甘い痛み。クラヴィスは密やかな声で続けた。
「……俺も、サフィラに、隠しごとがある。お前が隠しごとを教えてくれたら、話したい」
隠しごと。クラヴィスに似つかわしくない響きだった。サフィラの知らないクラヴィスがいる。その不安は、サフィラの自分勝手さのあらわれだ。
だって、サフィラ自身、クラヴィスにたくさん隠しごとをしているのだから。
「僕に隠しごと、なんか、ないよ」
サフィラがなんとか嘘をつくと、「嘘が下手だな」とクラヴィスが静かに言った。彼の大きな手がサフィラの頭に伸びて、くせっ毛をもてあそぶ。
「サフィラ。愛している」
ひく、とサフィラの肩が震えた。クラヴィスはそれを熱っぽい目つきで捉えて、「何度でも言う」と続ける。
「愛しているから、俺の隣に留まってほしい。俺の隣で、幸せになるお前を見たい」
まるで結婚を申し込むみたいな、熱烈な言葉だった。サフィラが思わず黙り込むと、クラヴィスはさらにサフィラの頬を撫でた。
指の腹でサフィラの耳をくすぐり、じれったくて身体をゆするサフィラに顔を近づける。
「俺は、お前が何を考えているのか、なんとなく分かっているつもりだ。だけど本当のところはどうなのか、どうしてそう思っているのかが、全然分からない」
その声が、なぜだか泣き出しそうに聞こえた。サフィラは、なんと答えればできる限り誠実になるのか、考えている。
「ごめん」
逃げるように謝罪の言葉を口にしても、「それは受け取れない」と、優しい手つきでサフィラを愛撫する。
「俺は怒っているんだ」
サフィラの顎下を、クラヴィスの指がなぞる。喉仏のあたりにまで指の腹が触れて、ひやりとした。
「いつかお前の心の準備ができたら、俺に教えてくれ。俺は、すべて受け止めたい」
サフィラの瞳が、大きく揺れた。クラヴィスを見上げれば、彼の緑の瞳が光っている。
日が沈む一瞬の緑色の空みたいな、不思議な揺らぎをたたえて、クラヴィスはサフィラの頬を包んだ。
「愛してる。結婚しよう」
その体温の高さに、サフィラは途方に暮れてしまった。どくどくと鼓動が早鐘を打っているのなんかは、きっとバレている。クラヴィスはサフィラを抱きしめた。
サフィラもまた、クラヴィスの鼓動が早くなっていることを知った。
「……きみには、かなわないな」
サフィラはぽつりと呟いて、「なんで僕なんだよ」と彼の肩口に顔を埋めた。
「僕は、きみみたいな立派な人に、ふさわしい人間じゃない。僕といても、きみは何も遺せない」
「サフィラが側にいてくれなかったら、俺の人生に意味なんかない」
断言するクラヴィスの声は、わずかに震えていた。
「お前、ずっとそう思っていたんだな」
ごめん、となぜかクラヴィスが謝る。どうしてだろうと、サフィラはおずおずと彼の背中に腕を回した。
「キスしたい」
クラヴィスがねだる。サフィラは、どうしてとも尋ねなかった。顔をあげ、そっとその赤らんだ頬に口づけた。
そして、大きくて熱い手がサフィラの頬をとらえる。視線が一直線に交わり、二人は見つめ合った。
かちりと二人の指が絡んで噛みあい、サフィラが唾を飲み込む。
「いいよ」
サフィラがそう口を滑らせた瞬間、クラヴィスの唇が、サフィラのそれに触れた。やわらかくて乾いているそこは、朝食で食べたパンのバターの香りがする。
夢のような時間だった。お互いの熱を感じ、ただ触れ合わせるだけのそれで、二人はすっかり身体が熱くなる。離れがたくて身体を寄せて、何度も触れ合わせる。
(ああ、だめだ)
サフィラは、クラヴィスから求められるままに口を合わせる。途轍もない幸福感が押し寄せて、このまま身を任せてしまいたい。
だけど、それは、とても難しいことだった。
しばらく経って、二人がこもっていた部屋の扉がノックされる。「いるか」とアウクシリアの声がした。
「そろそろ出るぞ。支度をしろ」
やっと我に返って、二人は身体を離す。サフィラが慌ててベッドから降りようとすると、クラヴィスがその身体を捕まえた。
最後に一瞬だけ唇が触れあう。サフィラはだらしなく惚けた顔を引き締めるように、頬を軽くはたいた。
「ごめん」
サフィラが謝ると、クラヴィスは俯く。
「いい。謝らないでくれ。かえって、みじめだ」
うん、とサフィラは曖昧に頷いた。振り返らずに部屋を出て、扉の外でずるずるとへたりこむ。
(キスしちゃった)
まだ唇には、乾いた熱とやわらかい感触が残っている。震える足腰を叱咤して、サフィラは立ち上がった。
(本当は、僕だって、クラヴィスの側にいたい。結婚して、同じ家に住んで……毎日、ああやってキスしたい)
だけどサフィラは、クラヴィスの人生の枷になりたくない。たとえクラヴィスが、どれほどサフィラを求めていようと。
きっとそれは長い目で見て、クラヴィスのためにはならない。
のろりと立ち上がり、自分の部屋へと戻る。荷物をまとめなければ。
これから先の身の振り方は、よくよく考えないといけない。なのにキスの感触ばかり思い出してしまって、馬鹿みたいだ。




