23. 海を泳ぐ太陽
くらりと地面に倒れ伏す。その指に触れるように、濡れた光を放つ真っ白い、爬虫類の鼻先がのぞいた。それはそのまま地面を突き上げ、土を盛り上げ、徐々にその全容が現れる。
術者が倒れたことにより、水の籠は効果を失った。濡れた地面を掘り上げて、やがてその、白く大きな前びれが、土を叩く。
その光景に、誰もが言葉を失った。光り輝かんばかりの真っ白な海亀が、地底から現れたのだから。
土を割り、蹴り上げ、大きな身体が地面へと這い上がる。サフィラより一回り大きなその亀は、彼へよりそうようにして、その全容を表した。
「……テストゥードー」
男の一人が呟き、武器を取り落とす。次々跪く彼らに、海亀は鷹揚に頷くような仕草を見せた。
「やあ。私を呼び出したのは、そこで倒れている彼かな」
ありえないことに海亀が、流暢に人語を話す。男の声だ。
辺り一帯に、奇妙な緊張感が満ちていた。異様な雰囲気の中でも、クラヴィスが悲痛な声で、愛しい人の名前を叫ぶ。
「サフィラ!」
クラヴィスが駆け寄るよりも早く、海亀の嘴がサフィラの手に触れた。ひれになっている前脚で身体をずらし、じろじろとあちこちを見る。
「ふむふむ。ああ、なるほど。なるほど」
テストゥードーは、チャームがぶら下がっている紐を噛む。そのにおいを嗅いで、「ウォルプタースの子か」と呟いた。それから首を振って、茫然と立ち尽くすペクタスへ視線を向ける。
「きみ。命拾いをしたね」
その言葉の意味を問い直すより早く、クラヴィスがサフィラの身体を起こした。彼はぐったりしているが、その呼吸は安定している。
「なに、眠っているだけだ。じきに目が覚める」
鷹揚に言って、テストゥードーはひれでぱたんと地面を叩いた。ずりずりと身体を引きずり、水辺へと向かう。
「そこの明るい髪色のきみ」
テストゥードーは、ひれを緩慢に動かす。クラヴィスは一瞬遅れて自分が呼ばれていることに気づき、「なんだ」と警戒するようにサフィラを抱きしめた。
「取って食いやしないから、安心しなさい。その子を連れて、ここから出よう」
「サフィラは意識がない。潜って連れていくのは無理だ」
テストゥードーの目がすがめられ、ゆっくりと瞬きをした。サフィラは相変わらずぐったりとして目を閉じ、掌から血を流している。
「大丈夫だから。着いてきなさい」
そう言って、海亀は引き返してクラヴィスの靴をつつく。クラヴィスはなおもサフィラを抱きしめ、頑として首を横に振った。テストゥードーはため息をつくように首を下げ、「聞き分けのない子だな」と呟いた。
「大丈夫だ。その子は今、海中でも呼吸ができる。その傷も、海に浸せばよくなるから、試してみるといい」
クラヴィスはサフィラの身体を抱き上げる。半信半疑で水辺に寄って、だらりと垂れた指を水に触れさせた。その爪先から水が這い上がり、傷口を覆った。
みるみるうちに、傷が癒えていく。深く傷つけたために跡が残ってしまったものの、真新しい皮膚が裂け目を覆っていた。
「なんだ、これは」
クラヴィスは驚きで息をのむ。なんてことはないと言わんばかりに、テストゥードーがひれで地面を叩いた。
「さあ、行こう」
ずりずりとひれで這った跡を残しつつ、海の中へと入っていく。クラヴィスはサフィラを抱きしめ、ペクタスを振り向いた。
ぼんやりとこちらを見る彼に、クラヴィスは「元気でな」と小さく呟く。テストゥードーが「ああ、そういえば」と、男たちを振り向く。
「きみたち、そこの男の子は殺さなくていい。私は無益な殺生は好かないからね」
テストゥードーはそう言い残して、海の中へと入っていく。クラヴィスも意を決して、水の中へと飛び込んだ。
サフィラは、水中でも穏やかに眠っている。クラヴィスが焦ってはやく水面へ出ようとすると、不意に海流がその身体をすくった。テストゥードーが近寄ってきて、たしなめるように言う。
「あまり焦るな」
流されるままに、クラヴィスは海面へと顔を出した。サフィラは昏々と眠ったままだ。呼吸を確認すると、確かにちいさな寝息が聞こえる。
「サフィラ」
生きていてよかった。無事でよかった。どうしてあんなことをしたんだ。様々な思いがクラヴィスの胸をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。
そして、たった一つの言葉に集約されていった。
(嫌な予感がする)
月明かりに照らされずとも、テストゥードーはうっすらと光って見えた。岸へクラヴィスを導き、サフィラを陸の上へと寝かせる。
「自己紹介がまだだったね。いや、そこの彼が目覚めてからの方が、いいかな」
テストゥードーは、穏やかな口調で話す。クラヴィスはサフィラを抱きしめて、テストゥードーを見据えた。
「きみが、今代の勇者かい」
「勇者?」
怪訝な表情で言うクラヴィスに、テストゥードーは愉快だと言わんばかりにひれでしぶきを上げた。
「きみへ何も教えずに、私を呼び出したのか。いやはや……」
戯れのようにゆっくりと辺りを泳いで、「いいとも」と彼は言った。
「サフィラといったか。その子が起きる前に、いろいろと私が、きみに教えてあげよう」
クラヴィスは、無意識のうちにサフィラを抱き寄せていた。警戒するようにひたと見据えても、海亀が動じた様子はない。
「微笑ましいことだ」
慈しむような声色で、テストゥードーは語り始める。
「私が呼び出されたということは、この世界には危機が訪れつつあるのだろう」
一呼吸置いて、海亀は瞬きをした。そのゆったりとした口ぶりに、クラヴィスの胸にわずかな緊張が走る。
「私の妻、私の母であるマーレが目覚めようとしている。それも、正気を失った状態で」




