7. 公海上の別れ
霧雨が、降る、夜だった。
渤海湾の、冷たい、海の上で、二つの、船が、静かに、寄り添う。
義成と、李霃帘は、高速艇へと、乗り移った。
「…どこへ、行くの…?」
李霃帘が、尋ねた。
「君は、南へ。祖苑が、手配した、南米の、小さな国へ。そこには、君の新しい人生が用意されている。名前も、顔も、変えて生きるんだ」
「…あなたは?」
「俺は、東へ。帰るべき場所へ」
二人の間に、沈黙が流れた。
「…なぜ…?」
李霃帘の、目から、涙が溢れた。「なぜ、私を、助けてくれたの…?私は、あなたを、終始利用しようとした、ただの、悪女なの…」
「…さあな」
義成は、夜の海を、見つめながら言った。「先も言ったはずだ。君の、その、美しい、魂が、あの醜悪な男たちの欲望の中で、完全に腐り果てていくのを見ていたくなかった。それだけだ」
ちがう、彼女はもう一度同じ答えを聞くために、もう一度同じ質問をしたのではなかった。資格もその権限も自分にないとは分かっていたとしても、李霃帘は、本当は義成に違った、自分で考えても、ありえない答えを求めて見たかったのだ。
しかし、それは叶わないこと、とも知っていた。それでも・・・
彼は、そっと、彼女の、頬に、手を伸ばし、その涙を拭った。
「元気でな、ディアオリェ-ン」
それは、彼が、彼女に見せた、最初で、最後の本心から発する優しさだった。
彼は、彼女の額にそっと、別れのキスを、落とした。
そして、彼女に、背を向けた。
高速艇が、エンジン音を、響かせ、闇の中へと走り去っていく。
李霃帘は、遠ざかっていく、義成の、姿が見えなくなるまで、甲板の上で、ただ、立ち尽くしていた。
彼女はすべてを失った。
だが、その、心の中には、生まれて初めて知った恋という名の温かい光が、灯っていた。
龍は、女帝を救った。
そして、彼は自らも、この長く暗い、チェス盤から、その姿を消した。
すべての駒は、取り除かれた。
彼の、中国での聖戦は終わりを告げたのだ。
彼は日本へ帰る。
彼を、待ち受ける新たな運命へと。
そして、彼が、本当に守りたかった、たった一つの、光の元へ。
その船が向かう先は、もう闇ではなかった。
夜明けの光が、東の水平線を染め始めていた。




