第44話 4月13日 月曜日
春になった。
良平と最後に会って、私が髪を切った日から2ヵ月経った。
完全にショートヘアのイメージが定着したと思う。
「小森さん、まとめた資料はこのフォルダに保存してあるから」
「はい。ありがとうございます」
私は仕事を辞める。
「如月さん、これからどうされるんですか?」
「実家に帰ろうと思ってる」
嘘だ。
「お仕事はされるんですか?」
「実家のクリーニング屋でも手伝おうかなって」
大嘘だ。
「寂しくなります」
「私も」
本当はどうでもいい。
小森さんと祥太は仲良くなって、たぶん付き合ってるみたいだけど、それもどうでもいい。
早く帰りたい。
今日は、帰ったらネネロンを連れて引っ越しだ。
「じゃ、皆さん、お世話になりました」
午前中に人事と退職の最終手続きを終えて、足早にオフィスを抜ける。
送別会は先週やってもらったし、引っ越し屋の配送は、昨日済ませた。
抜かりなし!
ドキドキドキドキ……
ずっと心臓が大きく鳴りっぱなしだ。
新生活に胸が高鳴る。
良平に見捨てられてからの私は最低だった。
お洒落には無関心だったし、仕事は身に入らなくて、ぶっちゃけ廃人って感じ。
それでも、ネネロンが居てくれたから、最低限、人間としての生活を維持できてたと思う。
『福岡に引っ越そうと思うんですが、住所を教えていただけませんか?』
我ながら大胆な行動だと思う。
良平のお母さんに協力をお願いしたのは先月のことだった。
『百花ちゃんには申し訳なかばってん、良平にはよか人がおるごたっちゃんね』
やり取りの中で出てきた、良平の近況。
もう恋人ができたのか……半分覚悟はしてたけど、ショックだった。
でも関係ない。私が好きだって気持ちをちゃんと言えてなかったのがいけなかったんだ。
『ご迷惑はおかけしませんので、近くのアパートを紹介してもらえませんか?』
『それやったら、知り合いが貸しに出しとる部屋があるけん、百花ちゃんの事ば話してみるね』
そうやって、こっそりお母さんの協力を得ながら引っ越しの手筈を進めてきた。
ふられてもいい。
それならそれで諦めがつく。
今のままが一番いけない。
動くって決めた。
「ネネロンただいま」
「ニャア」
残してあった一泊分の荷物を抱えて家を出る。
がらんとした部屋を見回しても、良くも悪くも思い出すことが少なかった。
「お世話になりました」
一応、お辞儀して挨拶をした。
東京駅から14:30の『のぞみ』に乗る。
福岡駅に着くのは19:30だ。
そこから在来線に乗り換えて、たぶん、アパートに着くのは20時を過ぎる。
『暗くなるけん、迎えに行くね。駅で待っとって』
良平のお母さんはそう言ってくれたけど、お断りした。
何から何までお世話になってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
私が行く事を、良平には内緒にしてもらっている。
きっとふられる。
彼女との邪魔をするつもりはない。
ただ、思いを告げて、私も新生活を始めたいだけ。
鞄のネネロンを覗く。
「出してあげられなくてごめんね」
「ニャア」
思ってた以上に落ち着いてるようで安心した。
「ほんと、真っ暗……」
思ってたほどは田舎じゃないけど、お店が少なくまばらな街灯だけだと怖いくらいに暗い。
ここから良平のお母さんがやっている猫カフェに向かう。
そこでアパートの鍵を受け取る約束をしている。
早くネネロンを鞄から出してあげたい。
焦りと高揚した気持ちが入り混じって、テンションが上がってる。
スマホで行き先案内を出して、指示通り歩いた。
「ここだ……あの……」
チリンチリンと音を立てて、ドアを開ける。
「百花ちゃん!」
急に飛び出してきた人に抱き付かれて腰が抜けそうになる。
「こんばんは。遅くなりました」
「こんな遠くまで、よう来たねぇ」
「福岡はそんな遠くないって教えてくれたのお母さんですよ」
涙ぐんで私を出迎えてくれて……有難い。
良平のお母さんが、温かい人で本当に良かった。
「良平には会わんやったと?」
「え?」
良平には私が来ることを言わないって約束しましたよね?
キョロキョロ見回すお母さんに違和感を覚える。
「駅に迎えに行ったはずやったっちゃけど?」
「えっと……」
私が入ったお店の入り口とは違うところから良平が駆け寄ってきた。
「ほらな、ほらな、ちゃんと来たっちゃろ?」
私にしがみ付いてぴょんぴょんと良平が跳ねている。
「え、なになに?」
「百花が来るのを待ってたんだよ!もしかしたら土壇場になって気が変わったらどうしようかって、冷や冷やしたよ」
「はい?」
「百花はいつも肝心なところで逃げ出すからな」
「なに言ってんの?」
顔を赤らめて、嬉しそうに笑っている良平に胸をぎゅっと捕まれたように苦しくなる。
「私が来ること知ってたの?」
「ああ。あれ、母のふりしてメッセ送ってたの俺だから」
どや顔……!
「本当ですか?」
「そうなのとよ。たまたまメールの来たとば見られちゃって、それから『俺が返事する』っち言うて聞かんもんだから、ごめんね。怒らんでね」
お母さんが顔の前で両手をすりすりしている。
「え。じゃ、付き合ってる人がいるって……」
「いねえよ。そう言ったら百花はどうすんのかなって、諦めるのかなって、試すようなことして悪かったけど、でも心変わりしなかったんだな。ちゃんと来てくれて嬉しいよ」
「はず……。良平に会いたいって、私、本人に言ってたの?」
お母さんに打ち明けた数々のメッセージを思い出して、顔が熱くなった。
「いや。嬉しかったよ。それにしても……ずいぶん思い切ったな」
「ああ髪?気分転換に、思い切って切っちゃった。変?」
「まさか、似合ってるよ。俺に逃げられてそんなに悲しかった?」
「うん……」
「俺のことそんな好きならさ、言えばよかったんだよ。チャンスはいっぱいあっただろ」
「あの時は……だから、後悔してるから……こうして思い切って来られたんだよ」
「よく頑張ったな」
良平が頭をなでなでしてくれた。
「素直になれなくて……ごめん。良平に会いたかった……」
「俺もだよ。待ってた、百花」
「きゃー、もう恥ずかしかけん、二人でどっか行ってちょうだい!」
お母さんが顔を両手で覆った。
良平に手を引かれて、店を出る。
「ネネロンもよく来たな。懐かしいか?」
「ニャア」
数百メートル歩いたところの一軒家で立ち止まる。
「昔、婆ちゃんが住んでた家で、しばらく空き家だったから痛んでるところもあるんだけど」
そう言いながら、引き戸の鍵を開ける。
玄関にびっしりと積まれた段ボールの山。
「ここに住むの?アパートは?」
「あー、まー、ちょっとした手違い?」
「はあ?」
「俺も母に一緒に住むの拒否られて、家なくて困ったなぁって思ってたら、ボロくていいならここ使っていいよって言ってもらったんだよ。百花も来ればいいなぁって思いながら過ごしててさ、まじで、ずっと待ってた。2ヵ月で済んで良かった!これ以上は無理ってギブしかけてた!」
良平に抱きしめられる。
嘘みたい。
夢みたい。
「良平あのね、私、たぶん、ずっと良平のこと好きだった」
「たぶんってなんだよ」
「いつからか分かんないの。気が付くと良平の事ばっかり考えるようになってて、でもなんかいつも余計なこともいっぱい考えちゃってて、上手く伝えられないまま……良平がいなくなってから、後悔してたんだけど、どうしていいか分からなくて……」
涙が出てきちゃった。
泣くような事じゃないのに。
「言ってくれてありがとう」
良平がほっぺを撫でる。
それからチュッてキスをした。
「しょっぺえ」
「あはは」
ネネロンを鞄から出すと、階段を登って行った。
「新居は俺が準備済みだ」
良平は胸を張って、部屋を案内してくれた。
畳のお部屋には仏壇があって、リビングダイニングにはレトロな台所と食器棚が並んでいた。
「年季入ってるからな……百花が気に入らないなら引っ越すから言って」
「あの。本当に一緒に住むの?」
「嫌なら、近くでアパート借りれば?」
「なんか、意地悪じゃない?その言い方」
笑ってしまった。
「百花が俺に意地悪した罰だ」
良平も私の事を想ってくれてたんだ。
それが何よりも嬉しかった。




