第36話 1月31日 土曜日
駐輪場でバイクを洗ってたら、キャリーケースを引いた女の人が通り過ぎた。
綺麗な人……歳はお母さんくらい?おばさんだけど、色が白くて小顔で美人だ。
「あの、ここに行きたかとですけど、分かりますか?」
スマホでマップを見せてくれた。確かにこの辺だけど、同じようなマンションが立ち並んでいるから見分けがつかない。
「マンション名は分かりますか?」
「えっと、なんて言ったっけね……」
チャットをスクロールしながら履歴を辿っている。仕草が可愛い。
「あった、あった。ここたい」
良平のマンションだった。
「それならこの裏です。そこを曲がって行くと右にエレベーターホールが見えますよ」
指をさしながら説明したら、その先から良平が走ってきた。
「なん迷っとーとや!」
「しょうなかろうもん。初めて来たとやけん」
良平の砕けた態度に息が止まった。いつも自然体だと思っていたけど、違ってた。本当の良平はこうなんだ……
「百花、悪い。母親」
そう言って、美人マダムに親指を向けた。
「え、あ、ど、同僚の如月百花と申します」
「あら、あんたが百花さんね! 良平から話は聞いとーよ!」
「嘘言いなんな。百花の話なんてしたことなかろうもん!」
「電話で話しんしゃったろ。百花、百花って、鼻の下ば伸ばしとったとよ」
「そげんことなかバイ……」
真っ赤になって、子どもみたいな良平に笑いが止まらなくなった。
「あはははは!っちょ……と……ははは!良平……うける……!」
「笑ってんじゃねぇよ」
怒ってるけど、ちっとも怖くない。今日の良平はひたすらに可愛い。
「じゃな。ほら、行くばい」
そう言って、良平がお母さんのガラガラを手に取った。
ふぅ、笑った、笑った。そう思いながら、袖口で涙を拭う。
「百花さんも一緒にどうね?」
「え?」
「なんば言いよるとや。見ればわかるやろ、百花は今、忙しかとよ」
「そ。残念やねぇ……」
しょんぼりと肩を落として良平の後を付いて行くお母さんに、私は大きく声を掛けた。
「あとで……洗車が終わったら、伺ってもいいですか?」
「もちろんとよ。待っとーけんね」
あんぐりと口を開けている良平の顔は見なかったことにした。これ以上、笑ったら悪いもんね。
付き合ってるわけじゃないから、どういう格好でいくべきか迷わないで済んだ。近所のおばさんに(異様に美人ではあるけれど)会いに来ただけだ。
家にあった、ネネロン用の缶詰を持ってきた。
人間の食べ物のストックが我が家には無かったから。
「よう来んしゃったね」
「ニャア」
「あら、ネネロンが懐いとー! めずらしかね!」
「そげんとよ。やけん、ネネロンは百花に貰ってもらおうと思っとーと」
良平がコーヒーを入れてくれた。
「そのことやけどね、良平。うちはあんたの手伝いなんかいらんし、東京の仕事が大変かは知らんばってん、実家に逃げ帰ってこられても困るとよ。今日はそれを言いに来たっちゃん」
「なにも百花の前で言わんでもよかろうもん。こっちにもいろいろあるとよ」
「百花さんは、どう思っとーと?」
「えっ。私ですか?」
良平とお母さんにじっと見つめられ、本当の事を言っても大丈夫な気がしてきた。きっとこの人たちは私の言うことをそのまま受け取ってくれる。
「私は……寂しいです。良平とはずっと一緒に働いてきたし、お酒飲んだり、気の合う友達だったから。私、友達少ないし」
「そうね。良平はどうね? 百花さんのこと、好きっちゃろ?」
「うるさか。関係なかろうもん」
「はいはい。お昼ご飯作るけん、ちょっと待っとってね」
お母さんはキャリーケースの中からいくつもタッパーを出して、冷蔵庫に入れていった。
「百花さん、食べられんもんはある?」
「いいえ。なんでも食べます」
良平と部屋に残されて、気まずいまま座ってみる。
「なんで来たんだよ」
「だって……誘われたから……だめだった?」
「だめじゃないけど、恥ずかしいだろ」
ひそひそ話してるつもりだけど、たぶん、この狭さじゃお母さんに聞こえている。
「良平さ、お母さん、帰ってこないでって言ってるよ?」
「あんなの強がりに決まってんだろ。もう年寄りなんだから、助けが無いと一人暮らしは無理なんだよ」
「聞こえとーよ」
「げっ!」
こっちを睨みつけるお母さんの顔は般若のようだった。美人が凄んだ顔は、想像以上に恐ろしい。
「強がっとーわけじゃなかよ。良平が帰ってきたっちゃ、手のかかる猫が一匹増えるごたんもんやし、ちっとも嬉しくなかとやけん。百花さんが一緒なら話は別やけど……」
「なんや。百花がおればよかと?」
「そりゃそうたい。良平だけは嫌やけど、百花さんが一緒ならよかよ」
「だって。どうする?」
はあ?どうするって言われても……
私は良平の顔もお母さんがいる方も見られなくなって、変な汗が止まらなかった。
「さあ、ラーメンのできたばい! 伸びんうちに食べんしゃい!」
ラーメンで助かった。黙々と啜って、おしゃべりをする暇がない。
「百花、ビール飲む?」
「うん!飲む!」
「あんたたち、昼から飲むと?」
びっくりしたお母さんの様子に『しまった』っと思った。こんな酒飲み、息子の彼女に相応しくないって思われたかな。
「うちにもちょうだい」
「ああ」
平然と缶ビールを3本取り出し、テーブルに置く良平。いいの……かな……?
「さあさあ、乾杯しようや!」
お母さんに急かされて缶ビールを掲げる。
「ぷはぁーっ! うまかぁー!」
「なー?!」
「ねー!」
こんな家族がいいな。こんな食卓がいいな。私、良平と一緒になりたいな。




