第35話 1月30日 金曜日
良平が退職願を出したことはすぐさま部署に伝えられた。部長が実家の都合であるという詳細を話さなかったので、『如月さんを皆藤さんから寝とったらしいよ。一緒の職場になるのが気まずいんでしょ』というゴシップが流れている。私たちはそれを聞こえないふりをしている。
「百花……あのさ……」
「なに?」
「今日さ、祥太が来る」
「そうなの?なんで?」
「俺の後任、祥太になった」
「あ」
祥太の古巣の商品だもん。まったく知識の無い人に引き継ぐより合理的だ。
「あっちも4人も営業要らないって言われてたみたいで、祥太が担当替えを進んで受けてくれたらしい」
「そう」
彼らしい。周りの空気を読んで、必要とされているところに飛び込む勇気があるんだよな。
「んで、祥太が相手だと説明することそんなないから、俺、たぶん、来週には要らなくなるかも」
「え。どういうこと?」
「引き継ぎ期間は1週間もあれば足りるだろうって。どうせ辞めるなら、さっさと有休消化に入って居なくなれってことだろ」
「部長が言ったの?」
「人事だよ」
「なにそれ。人のこと何だと思ってるの」
「コストだろ。ただの人件費だよ」
暗い気分になった。良平が退職するって決まっても、会社に来れば会えるから実感が伴っていなかったんだ。
「よ。お疲れ様」
「祥太、わざわざ悪いな」
「いいよ。仕事だし」
祥太は私の向かいの席に座ることになった。商品説明は不要だし、顧客管理ソフトはバージョン違いとは言え、両社は同じものを使用していた。引継ぎは、継続中の案件の説明と、癖の強いお客さんの注意点くらいだろう。
「百花もいるし、『担当が代わりました』なんて日常茶飯事だから、引継ぎなんて無くても大丈夫だろ。ちょっと外そうぜ。俺、オフィスって息苦しくて嫌いなんだよ」
祥太がそう言って、良平を連れ出した。
噂のふたりが揃って出掛ける様子を、オフィスの皆は好奇の目で見ていた。
「あの、如月さん、少しいいですか?」
小森さんが近付いてきて、会議室を指さしている。
ペンとメモ帳を持って席を立った。
「私、セノヴィクスの方達が早く会社に馴染めるようにって、部長から頼まれていて……」
「はい」
「皆藤さんはセノヴィクスの営業の中でも一番成績が良かったらしくて……」
「はい」
「如月さんのチームに取られちゃって、残された3人が困ってるんですけど……」
「そんな事、私に言われても」
「そんな事じゃないですよ。セノヴィクスの売上が落ちたら、皆、辞めちゃうかもしれないじゃないですか」
女の勘ってやつだけど、小森さんは祥太が私と働くのが嫌なんだろうな。
「祥太の担当してた顧客の売上が他の3人に回った方が、個人的には成績が上がっていいんじゃない?」
「如月さんは他人事のように言いますけど……」
「他人事だもん」
「如月さんって、冷たいですね」
「小森さんが相談する相手を間違えてるだけだよ。こう言うのは部長か人事にでも言ったらいいんじゃない?」
ばかばかしくて部屋を出た。
デスクに戻って、仕事をしてるふりをする。
ちっとも集中できない。やる気なんてさらさら湧いてこない。
良平が居なくなっちゃったら、ここで祥太と働くのかと思うと気が重い。
いっその事、私も退職しようかと考えてしまう。祥太を追って福岡に行ったら迷惑かな。
考えるまでも無いか。私は祥太と別れたけど、良平は美波と別れられてない。そもそも良平から好きだとか言われてないし『相性がいいから、俺たち付き合っちゃえば』みたいな軽いノリで言われただけで、本気かどうか分からない。真に受けて馬鹿みたい。
良平と祥太が帰社したのは定時を少し過ぎてからだった。
「皆藤さん!お話ししたいことがあるので、よかったらこの後どうですか?」
祥太は小森さんに連れられてあっという間に居なくなった。
「俺らも飲んでく?」
「うん」
「散らかってるけど、家来ない?ネネロンの事で相談したいことがあるんだ」
「いいよ」
いつもの通り、スーパーで総菜とビールを買ってお邪魔する。
「ニャア」
足元にすり寄ってくるネネロンの首を撫でまわす。
「やっぱり、百花にしか頼めない」
「何が?」
「俺が福岡に行ったら、ネネロン貰ってくれない?」
「え?」
「連れてけないんだよ。たぶん、こいつは猫カフェでは上手くやれない」
「そうなの?」
私には人になつかないネネロンの姿が想像できない。
「人見知りも猫見知りもするんだ。だから他の猫がいると、たぶんストレスでおかしくなっちゃう」
「ありゃ」
「ニャア」
「ふふ。困った子だね。でも、家はペット禁止のマンションなんだから……そうだな、思い切って引っ越しちゃうか」
「いや。そこまでは……」
「いいの。どうせ、3月の更新どうしようか考えてたところだし、気分変えたいかもって思ってたところだし」
あのマンションにいると、自然と祥太のことを思い出してしまうことが多い。心機一転したいというのは嘘とか強がりではない。
「じゃあ、5月まではここ使っていいよ。俺はたぶん3月のどこかで引っ越しになるから、5月まで家賃払うからさ、ネネロンと次の家見つかるまで、ここで過ごせばいいじゃん。ってか、ここの大家に掛け合って、そのまま百花が住み続けるのもありじゃね?」
「うーん」
無くはないけど、ここに居たら、今度は良平の思い出に囚われて苦しくなりそう。




