第33話 1月22日 木曜日
22:30
ピンポーン
「帰って来たよ!」
ネネロンを抱っこしてドアを開ける。
「お帰り」
「おう」
疲れてそうな顔をしている良平が目の前に立っている。
「元気にしてたか?」
「ニャア」
ネネロンは私に抱っこされながら両腕を伸ばし、良平に触ろうともがいている。
「おうおう、寂しかったか?」
良平がネネロンの額に鼻をくっ付けてすりすりしている。
私の胸元でいちゃつくネネロンと良平に胸がギューッとなった。
「これ、空港で買ったお土産」
「ありがとう」
「明太子の煎餅。酒のつまみに最高」
「今度、一緒に食べよう」
「ああ」
一瞬、良平の顔が曇ったのが気になった。
「良平、なんか食べたの?お腹空いてない?」
「食べてない。実はめっちゃ腹減ってる」
「ハンバーグならあるけど、食べてく?」
「まじで?いいの?」
なんとなく想定していたこの流れの為に、私は一生懸命準備をした。
祥太は料理が得意で、私の手料理なんて恥ずかしくて出せないんだけど、良平なら気にならない。どうせ外食か買ってきた総菜で済ませてばかりの私の舌と変わらないはずだから。
「料理なんて出来たんだ」
「上手じゃないけどね」
でも、今日のはよくできた方だ。ちゃんと夕飯に自分で食べたから自信を持って出せる。
キノコをたくさん入れたデミグラスソースの煮込みハンバーグに、茹でたブロッコリーを添えて出す。
「ご飯とパン、どっちがいい?」
「ご飯がいい」
サラダが無いから彩は地味だけど、ビールと並んだ料理に、良平は私の想像の10倍くらい喜んでくれた。
「うまっ!え、百花、旨いよ!マジで。すげー」
「ありがと。喜んで貰えてよかったよ」
私はビールだけ飲みながら、良平の夕飯を見ていた。
「お母さんはもういいの?」
「ああ。もう無理が利かない歳なのに頑張り過ぎたらしい。ぶっ倒れたときに打ち所が悪かったらどうすんだよって、医者に怒られてた」
「お店で倒れてたの?」
「らしいな。叔父さんが野菜作ってんだけど、配達に来たときに見つけてくれて救急車呼んだらしい」
「猫ちゃんたちは?」
「腹減り過ぎて、皆、めっちゃ凶暴になってたけど、食ったら直った」
「そっか」
沈黙が辛くない。良平とは会話が途切れても、話さなきゃっていうプレッシャーが無い。
「俺が、5年生の時さ……」
「うん」
「父親が死んだんだよ。珍しい癌って言われて、治療する間もなくころっと」
「……」
「専業主婦だった母親がさ、家で俺が一人ぼっちにならないようにって自宅を改装して猫カフェを始めたんだ」
「そうだったんだ」
「両親は昔から猫好きで、俺が生まれる前から、常に何匹も家にはいてさ。ほとんどが保護猫なんだけど『皆でお客さんをもてなすのよ』って言うのが母親の口癖でさ……」
「素敵だね」
「……俺、さ」
お皿にはまだ半分くらい残っているけど、良平の手が止まった。
「ん?」
「仕事辞めて、実家帰ろうと思うんだ」
「……」
良平が福岡に……頭の整理が追い付かない。
「俺が行ってもそんな役に立たないだろうけど、母親が倒れた時にすぐに発見できるし、猫たちが腹空かす心配もしなくていいだろ?」
「でも……」
何を言おうとしたのか自分でも分からない。でも、考え直して欲しかった。
「母親には嫌がられたけど、正直、俺は、もう東京で企業戦士やっていく気が失せちゃってて、それを話したら、分かってくれたって言うか、折れてくれたって言うか……」
「そう。いつ?」
「そこまではまだ決めてない。明日、会社で人事に相談して、後任とか引き継ぎとか迷惑かからないようにスケジュール組むつもり」
「ふうん」
「百花にも迷惑掛けるかもだけど、ごめんな」
「謝んなくていいけど」
『一緒に来るか?』って言ってくれないのかな。
「そんなわけで、これ食ったらネネロンと引っ越しの相談しなきゃだから帰るわ」
「うん」
ぽっかりと胸の真ん中にブラックホールでも開いたみたいに、何も思わなくなった。悲しいも寂しいも浮かんでこない。良平の居ないオフィスを想像したけど、どんな感情も湧いてこなかった。
「ご馳走様」
そう言って、良平は自分の食べたお皿を洗ってくれた。「やっとくからいいよ」って言ったんだけど、「これくらいやるよ」と断わられた。祥太にはやってもらうばかりだったのに、良平には世話を焼きたがってしまう。私って天邪鬼なのかな。
良平はネネロンを連れて帰ってしまった。
ずっと一人暮らしなのに、一人暮らしを『今この瞬間』だけは寂しいと感じていた。
良平もネネロンも、ここには居ないのが普通なのに、私はいつも通りをいつも通りと思えていない。どうしてしまったのだろう。ずっと変わりたくないと願っていたはずなのに、良平とネネロンと一緒に居たい。変わりたいと思っている自分の気持ちに戸惑っている。




