エピローグ
女学校の帰り道。大二の引く人力車に揺られながら、桜子は改めて、事件の詳しい顛末について、新伍と話をした。
大筋は、与一が逃げている間に、宮前から聞いている。だが、実際に新伍が何を考えて、何をしていたのか、桜子は知らない。
特に大二のことは、時津が調べると言った後、どうなったのか気になっていたので、ちゃんと解決していたと知って、安心した。
桜子は、目の前で力強く車を引っ張る大二を見た。筋肉の盛り上がった逞しい肩と背中。幼い頃から桜子を見守ってくれていた大二に、大切な人が出来たのは、素直に嬉しい。
「いつか私もオクノさんに会ってみたいわ」
そう声をかけると、大二の背中が優しく緩んだ気がした。
「それにしても、どうして勝川警部補は晶子さんを疑わなかったんですか?」
桜子は、ずっと気になっていたことを新伍に尋ねた。
「勝川警部補は、八重子さんが犯人でないと、勘づいていたのですよね? それならば、八重子さんが庇おうとする人は娘の晶子さんに決まっているわ」
あの勝川ならば真っ先に疑っているはずだ。晶子を疑って、もっと踏み込んで調べれば勝川の手で解決することもできたのではないか。
「勝川警部補が晶子さんを疑わなかった理由の一つは、『家庭教師』です。彼女は藤助さんが家に戻ってから亡くなるまで、家庭教師である内倉マキエと共にいた。もともとマキエさんは、あの家には関係のない第三者だと思われていたので、基本的に犯行不可能と判断されました」
確かに状況だけ見れば、そうかもしれない。
「でも、いつもの勝川警部補なら、家庭教師ごと疑ってもおかしくないかと思うのですが」
勝川は基本的に、万人を疑っている。誰でも彼でも、新伍でさえも容疑者だと言ったのだ。
ちゃんと晶子を疑っていれば、真犯人である家庭教師の内倉マキエまで繋がっていたのではないか。
「勝川警部補が疑わなかったもう一つの理由は、晶子さんが子どもだったからです」
「子ども……というのは、確かにそうですが」
「か弱い子どもの晶子さんが、大の大人の韮崎藤助さんを手にかけることなどできるとは考えなかった。単に体格差だけの問題ではありません。精神的にも無理だろうと判断した。何故なら、男性が苦手な晶子さんは、勝川警部補が聴取したときに、まともに会話することすらできなかったんですから」
晶子は男性が苦手だ。勝川警部補みたいな厳しい男性は、特に駄目だろう。何を聞かれても俯いたまま、禄に会話にならない晶子の姿が目に浮かぶようだ。
「まともに話もできない幼い子どもが、あのような犯罪を起こせるわけがないと、警部補はごく自然に、晶子さんを容疑者の枠の外に置いてしまった」
「晶子さんは確かにあまり社交的ではないようでしたが、話をすれば、しっかりしていましたよ。女学校に入れるように頑張りたいと言っていました」
桜子が話しかければ、答えてくれた。
その様子は年相応か、むしろ年よりしっかりしていたと思う。
「僕もそう思います。引っ込み思案だからと言って、幼いわけでも、無邪気なわけではない。心のうちには父を貶めた叔父への恨みを抱えていた。それでも、晶子さんは子どもでした。そして厄介なことに、子どもであるがゆえに未熟なその心を、操る人間がいた」
女学校を楽しみにしていた晶子。
彼女の抱える心の闇に付け入り、引き込んだ女性のことを、桜子は許せないと思った。
「あの……晶子さんはどうなりますか?」
いくら唆されたとはいえ、晶子も自ら毒を盛っている。犯罪に手を染めているのだ。
「帝大の理学研究室の友人に頼んで、ある花の毒について実験をしてもらっています」
「実験? 花の毒というと、もしかして……」
「えぇ、あの花です」
八重子が言っていた毒性の花だ。
花の生けてあった玄関の花瓶は大きかった。白い花はたった数輪。あの水の量で、実際の時間と同じ通りに生けて、採取した水に、どの程度の毒性があるのか調べるための実験だという。
「どうやって調べるのですか? まさか人に……?!」
「いや。人ではなくて、実験用の……」
新伍はそこで言葉を切った。
「細かな話は、やめておきましょう。どちらにしても、桜子さんが気分よく聞ける話ではないと思われます」
何となく予想がついたが、新伍の言う通り、深く聞くのはやめておいた方がよさそうだ。
「その実験で、何かわかるのですか?」
「上手くいけば、晶子さんが飲ませた水に致死量の毒はなかったと証明できる……かもしれません」
「本当ですか?!」
もしそうなら、晶子にとっては朗報だ。
「あ、でも逆に、致死量の毒が入っていた、と分かってしてしまう、こともあり得るのではないですか?」
「勿論、その可能性もあります。また、仮に致死量の毒がなかったと証明されたとして、有利な証拠として採用してくれるとは限りません。場合によっては、何の意味もなさないと判断されるかもしれない」
新伍の険しい顔から、簡単なことではないのだと分かる。
「少しでも罪が軽くなるように、祈ることしかできないのね」
何となく居た堪れない気持ちになって、桜子は景色に目を向けた。街がゆっくりと流れていく。
決死の覚悟で娘と縁を切り、守ろうとしたオクノ。自ら罪を被ろうとした八重子。あぁ、そういえば、トワもいたな。
桜子は亡くなった母に会いたくなった。寂しくて、胸の奥がツンと痛くなる。
すると、不意に髪を引っ張られた。
驚いて振り返ると、すぐ近くに新伍の顔があった。新伍は何故か目を丸くして、残念そうに「あぁ…」と、嘆いた。
「え?! 新伍さん?」
「スミマセン。痛かったですか?」
「いえ、あの……私に何か?」
後ろ髪に重みを感じて手をやると、指先がスベスベとした布地に触れた。これはーーー
「リボン?」
取り付け方が甘かったのか、桜子が触ると手のなかにスルリと落ちてきた。
見覚えのある大きなリボン。韮崎洋品店の展示会に行ったときに飾ってあった物だ。そして、新伍が盗人からの予告状を解決したらもらえると約束していたはずの品。
「でも、韮崎洋品店は……?」
藤助も八重子もいなくなり、潰れたはずだ。
「店は一旦潰れましたが、大部分を辻本さんが引き継いだそうですよ」
「辻本さんというと、宮前さんの幼なじみの、展示会の時に受付をしていた方ですか?」
「えぇ。そうです。彼は、『藤助さんにも八重子さんにも、自分は大変お世話になった。せっかく育ててもらったのだから、このまま、この仕事を続けたい』と申し出たのだそうです。それを八重子さんも了承して、ほとんどの資産と権利を彼に譲った。その時に、このリボンだけはと、僕にくれました」
もともとは、新伍が怪盗からの予告状を防ぐことができたら、お礼として貰えるはずの品だった。
「予告状自体が狂言だったから、お詫なのだそうです。ですから、これは約束通り、桜子さんに」
「い、いいのですか?」
「勿論です。それと……」
新伍はコホンと一つ咳払いした。
「もう一つ、別の依頼のお礼をいただきました。よければ、このまま少し遠出をしませんか? 胡条の旦那さまには、許可をいただいています」
「遠出ですか? 別の依頼のお礼って、どういう……?」
今日は、何故か女学校の迎えに、大二とともに新伍がやって来た。何か用事があるのだろうと思っていたけれど……
すると、大二が後ろをチラリと振り返った。
「私が、お嬢様の行きたいところに、お二人をお連れします」
「あ……」
どうらや大二の依頼の報酬らしい。
「二つとも、一応、僕が自分の力で稼いだものですよ。受け取っていただけますか?」
新伍がフワリと笑う。
難敵を相手にした時や推理で相手を追い詰めている時とは違う、どこか照れたような笑顔に、桜子の心が少し、くすぐったくなった。
「はい、勿論」
喜んで、と答えると、新伍が照れくさそうに黒い髪をクシャリと掻きあげた。
「どこか行きたいところはありますか?」
新伍に問われた桜子は、少し考えてから、「紅葉が見たいです」と、答えた。
「辺り一面の木が紅や黄色に染まり、その葉が落ちて出来た道の上を、新伍さんと歩きたいです」
きっと、サクサクと小気味よく踊るような音がするだろう。
「紅葉か、いいですね。僕も見たいです。大二さん、お願いできますか?」
新伍が賛同すると、大二が「かしこまりました!」と、威勢良く返事する。
人力車がカラカラと音を立てて、速度をあげる。
秋の涼やかな風が、高鳴る桜子の胸と頬を優しく撫でていった。
ーー Ⅱ 虚構の怪盗 完 ーー
第Ⅱ部を最後までお読みいただき、ありがとうございます。長編に「完」の文字を打つときは、いつも感慨深いです。
さて、いろいろと反省点の多いⅡ部でした。
途中でプライベートな事情により書けない期間があったり、書き進めてしまってから「ここはこうしておけば良かったな」的な後悔もたくさんあったり。
書籍化の際に削ってしまった「大二とオクノ」を入れられたのは良かったのですが、もっと話の展開にやりようがあったなぁという苦い思いも多々あります。
マイナスばかり言っていても仕方がないので、その反省を、今後の作で生かしていけるよう精進していきます。飽きずにお付き合いいただけると幸いです。
『桜子さん〜』については、今後も短編・長編ともに書きたい内容はあるのですが、時期未定につき、ここで一旦、ステータスを「完結」とさせていただきます。
また書き始めた時には、よろしくお願いいたします。
最後に……只今、別の連載中作品が2つあります。
特に『名探偵ムーンと迷子の令嬢』を現在、メインで更新中です。ファンタジー要素があり、少し系統が違いますが、探偵出てきます。
PV伸びなくて切ない(悩み。。。)ですが、大変楽しんで書いているので、是非お立ち寄りいただけると嬉しいです。
今後も里見作品をよろしくお願いいたします。
以上




