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25 サチの手箱


 事件の翌日、病院の門の前で、桜子と新伍は、加代と貢と待ち合わせた。


「行きましょうか」


 新伍に声をかけられた加代は、やや緊張した面持ちで頷いた。


 以前、大二の人力車で加代を送ったときに、病院の前まで来たことはあるが、院内に入るのは初めてだ。


 母が長く患っていた桜子にとって、病院はあまりよい思い出ではない。

 当時の記憶のせいか、入院病棟というのはもっと陰鬱な場所だと思っていたけれど、想像していたよりも廊下は広くて明るい。窓から日の差し込む木の床を踏むと、キシっと軽い音を立てた。


 廊下を歩きながら、加代が新伍に遠慮がちに尋ねた。


「あの…五島さん。質問してもいいですか?」

「僕に分かることであれば、何なりと」


「与一兄さんは、五島さんに送った小包の中に、どうしてワザワザ4銭1厘を入れたんでしょうか?」


 韮崎邸での新伍と与一のやりとりだ。


 加代の指摘する通り、あの小包に4銭1厘を入れなければ、新伍に41号が周辺にいると確信させることはなかった。


 あんなものを送りつけられれば、新伍なら探そうとするに決まっているし、絶対に見つける。


「そうですね……」


 新伍は腕を組んで少し考えてから、「これは推測ですが」と前置きをした。


「私的な物を盗むというのは、本来、怪盗41号---戸村与一さんの主義には反するんです」


 与一が盗みを働くのは、病気の妹、サチの治療のためだ。彼にとって必要なのは、あくまで金銭的価値のあるものだけ。手紙や書簡なんてものは、その対極で、当人以外には価値がないものだと新伍は言う。


「だからこそ、『誰が』、『何のために』盗みを働いたのか、与一さんは明確に示したかった。黙ってコソコソと私的な物を盗み見するのは、彼の趣味ではないでしょうから。正々堂々……というのもおかしな話ですが、彼なりに筋を通したかったのでしょう」


 そもそも与一が4銭1厘を置き始めたのは、模倣犯を牽制するためという話だった。加代によると、正義や義賊を騙って盗みを正当化するのが与一は気に食わないのだと。


 やっていることは犯罪でも、与一には与一なりの筋がある。きちんと会話を交わしたのは少しのことだけど、桜子も与一のことは嫌いではない。加代が彼を頼り、慕う気持ちが分かる。


「そういわれると、とても兄さんらしいと思います」


 新伍の考察に、加代は納得した様子で頷いた。



 病室の扉の前で、加代が「サチの部屋は、ここです」と、足を止めた。


 いつの間にやって来たのか、勝川が少し離れたところに立っていた。薄暗い廊下の陰からこちを見てる。どうやら話しかけて来るつもりはないようだ。


 桜子が会釈をしても、勝川はムスッとした顔のまま何も返さない。気づいた加代が教えてくれた。


「皆さんが来る前に、勝川警部補から手箱の鍵を返して頂いたんです」


 昨夜遅く、加代は病室に来て、与一のことをサチに話したという。与一がくれた手箱の鍵は、事件の後、勝川警部補に預けられていた。勝手に開けて、中身を隠されては困るからだ。

 手箱を持ち出す事ができないように、いつ与一が現れてもいいように、サチの病室には外から見張りがついている。


「事件のことは、全てサチに説明してあります。昨日、今日は比較的体調が良いようでした」


 そう言いながらも、やや緊張した面持ちで、加代は扉をノックした。「はい」と、か細い返事が扉越しに答えた。


 加代を先頭に、4人は病室に入った。部屋にはベッドが4つ。相部屋だが、今は他の患者はいないようだ。

 ひょっとしたら、与一のことがあったから、他の患者の部屋を移したのかもしれない。


 サチのベッドは窓際の奥だった。白くて細い少女が、半身を起こして、こちらを向いていた。


 加代が側に寄って、言葉を交わす。


 その間に、貢と新伍が壁や床、ベッドの隙間を見て回る。まるで、どこかに与一が隠れているかもしれないと探しているように。


「何かありましたか?」


 桜子が尋ねると、新伍も貢も「特には」と、首を振る。

 元々、部屋は病院が決めたものだし、いつ何時、移動することになるか分からない。部屋に特殊な隠れ場や隠し場所はないだろうと二人が言った。


 3人は改めてサチに挨拶をして、本題に入った。

 サチがベッド脇の小さなチェストを指した。


「一番下の引き出しの中を見てください。黒い塗りの箱の中に、兄さんの言っていた手箱を納めています」


 手箱とは、装飾品を入れるための小さな箱だ。

 引き出しの下の段を開けると、確かに黒い漆塗りの箱が出てきた。


 新伍が手を伸ばして箱を取り出した。持ち上げたとき、彼の一瞬だけ眉がキュッと寄った。


「五島さん、どうかしましたか?」

「いえ……結構重いな、と思いまして」


 貢が「貸してください」と持ち上げて、「本当ですね」と、すぐに新伍に返した。


 新伍は小さなチェストの上に漆塗りの箱をおいて、蓋を空けた。どうやら文箱として利用しているらしい。中には何通かの手紙と、片手に乗せられる程に小さな、朱色の手箱が入っていた。手箱の表面には白い花の絵が書いてある。

 新伍がそれを取り出した。


「ここに鍵穴がありますが、今ままで開けたことは?」

「ありません」


 新伍の問いに、サチの細い首が小さく左右に揺れる。


「この手箱は兄がくれたものです。兄は、今は鍵がないけど、そのうち持ってくるからと言っていました」


「鍵を開けてもいいですか?」


 新伍が尋ねると、サチは「構いません」と頷いた。

 許可を受けて、加代が鍵を差し込んだ。ゆっくり回すと、カチリと錠が開く音がする。


 蓋を開くと、中から大小の宝石が5つも出てきた。加代が思わず声をあげる。


「これ……って?」

「盗品ですね」


 貢がにべもなく断じた。中から一つ取り出して、光に透かす。


「おそらく、どこぞの家から盗んだものでしょう。……あぁ、印鑑もある。例の政府高官の家から盗んだものですね」


 宝石と印鑑の他に、拾円札が束になって入っている。ざっと10枚くらいはありそうだ。


 これだけあれば、サチの治療費は随分と助かのだろうけれど、やはりこちらも懐に入れるわけにはいかないお金だ。


「この手箱は、全てお預かりさせていただくことになりますが、よろしいですか?」


「はい、勿論です。全てお持ちください」


 サチは即答したが、加代が声を上げた。


「あの……! 手箱も持っていくのですか? 箱は返していただけないでしょうか?」


 貢の三白眼がギョロリと睨む。加代は僅かに身を竦めたが、グッと踏ん張り、言い返した。


「その手箱は、盗品ではありませんよね? 与一兄さんがサチにあげたもので…」

「加代っ!」


 サチが遮った。加代に向けて大きく頭を振った。痩せ細った病身で、しっかりと貢を見据えて答える。


「少尉さま。どうぞ、持っていってください」


 サチの言葉に迷いはなかった。


 貢が紙幣の束から、紙を1枚取って、サチに渡した。札ではなく、ただの紙だ。紙には、何か書いてある。


 サチが声に出して読んだ。


『サチへ


 金のことは兄ちゃんが何とかするなら、心配しないで治療に専念しろ。離れていても、ずっとサチを見守っているならな。


          与一』


「兄さん……」


 サチの目からポロリと涙が伝う。


「お金のことより、兄さんに会いに来てほしかったな」


 今や犯罪者として警察に正体の割れた与一は、もう簡単にサチに会いに来ることはできない。

 金銭的な支えと引き換えに、サチは心の支えを失った。


 それが本当に彼女にとって、良いことなのか。桜子は口を挟む立場にないけれど、やるせないような気持ちになった。


 貢は、宝石と札と印鑑、そして手箱までも全て回収していく。

 勝川警部補に宣言した通り、ただの1枚も誤魔化すことはしない。


 韮崎邸で小箱を明けたとき、同封されていた拾円札を宮前が加代の袖に隠したのは、こうなるのを見越していたからだ。「情が移ったな」と、ぼやく宮前を思い出した。


「念のため、他に隠せる場所や仕掛けがないか拝見しても?」


 貢は新伍から手箱を受け取り、上下ひっくり返したり、底や蓋を叩いたりした。


「……特に仕掛けは無さそうですね」

「僕もそう思います」


 新伍が加代のサチに優しく声をかけた。


「手箱は特別に価値の高いものでもないでしょう。調べが終わったら、手箱だけ返却してもらえないか、願い出てみましょう」


 貢は手箱に元の通りに金品を全て納めると、鍵をかけた。


「それでは、外で待っている勝川警部補に渡してきます。私はこれで、失礼しますので」


「よろしくお願いします」


 サチが細い肩を小さく窄めて、頭を下げた。


 貢は部屋を出る直前で、ふと足を止めた。


「あぁ、五島さん。馬車の借りは返しておきますから」


 謎掛けのような言葉を新伍に残して、貢は部屋を出ていった。


 新伍は、貢の言葉を特に問い返すこともなく、黒い漆塗りの箱をまじまじと検分している。無地で面白みのない、ただの黒い箱。


「新伍さん、馬車の借りとは何ですか?」


 桜子が尋ねると、新伍が返事のかわりに箱の底をコツンと打った。


「サチさん、もしかして、この文箱も与一さんからもらったものではないですか?」

「え?……えぇ、そういえば、そうです。入院して少し経ったころに、兄さんが持ってきてくれました」


 新伍がやにわに、懐からペーパーナイフを取り出した。


「新伍さん、そんな物を持ってきたんですか?」

「こういうことも、あろうかと思ってね。ちょっと傷をつけていいですか?」


 サチの許しを得て、新伍がナイフで、箱の底面の端の方をガリッと削る。すると黒い漆に傷ができ、黄金色の筋ができた。


「これっ……て?」

「わかりますか? この箱の底面は、金でできているんです」


 新伍によると、金の板を底にして、その周りを木で囲って繋いであるのだという。


「与一さんは盗んだものの一部を金に換え、加工してここに隠した。だから箱を持ち上げた時に、妙に重かったんですよ」

「そんな! では、これも盗んだものですか? さっきの方に言わないと……」


 弱々しい手を伸ばして、ベッドから出ようとしたサチを、新伍が止めた。


「必要ありません。おそらく、藤高少尉も気づいていました」

「えっ? 気づいていらしたのですか?」


 桜子の目には、冷静沈着で淡々とした、いつもの少尉に見えたというのに。


「それに気がついていたのなら、どうして持っていかなかったのですか?」


「馬車の借りだと言ったでしょう?」


 新伍によると、41号を追いかけていた時に、貢は馬車とぶつかりそうになった。それを貢が避けたら、馬が暴れ、周りにいた女の子の方に突っ込んでいった。あわや女の子が踏まれそうになったところで、41号がその子を助けたのというだ。


「与一さんが引き返してこなければ、女の子は助からなかった。だから少尉にとっては、借りなんです」


 その借りを返すために、貢は、箱の底に隠した物に気が付かない振りをして、部屋を出た。おそらく貢なら、幾らか自分で手箱に金を足すだろうと、新伍が言った。


「ですから、この箱はサチさんのものです。与一さんが残したものを、大切に使ってください」


 新伍がサチに黒い塗り箱を返す。サチはそれを大切そうに、それを胸に抱いた。


「……兄さん」


 加代が隣に寄り添い、そっとサチの背中を撫でた。

 親友たちは互いに支え合うように、静かに兄に思いを馳せていた。


「……僕らは、もう行きましょうか」

「えぇ、加代さんたちだけにしてあげましょう」


 桜子と新伍はそっと部屋を出ようとした。すると桜子の着物の袖を、加代がひく。


「桜子さん。あの……いろいろ、ありがとう」


 ささくれだった加代の指。女学校に通うために、友のために、一生懸命働いてきた手。


「何かできることがあったら言ってね」とか、「加代さんと仲良くなれて良かった」とか、そんな言葉が頭に浮かんだ。けれど、どれも今、伝える事ではない気がして、代わりに桜子は、加代の美しい手を包むように、ギュッと握った。


「加代さん。また、学校で」


 加代は他にも何か言いたそうに言葉を探していたが、やがて、「えぇ、また明日」と微笑んだ。


 ずっと張り詰めたような顔ばかり見てきた。でも今は笑顔が、どこか晴れ晴れとしているように見えて、桜子は嬉しくなった。



 新伍が15話で「人が死んでるんです。どうあったって、後味は悪いに決まってるでしょう?」と言っていましたが、作者の心持ちとしては、「結末において、登場人物たちに、できるだけ後味の良い形での決着をつけさせてあげたい」と思っています。

 多少強引かなと思う展開もあるかもしれませんが、そのように温かい気持ちで読んでいただけると嬉しいです。。。


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