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24 追跡


 韮崎邸を飛び出した新伍と貢は、与一を追いかけた。


 与一はぴょんぴょんと家々の塀や屋根の上を軽やかに跳んでいく。


「一体、あの男の脚力はどうなっているんだ」


 並走している貢が、新伍にぼやいた。

 そう言いながらも貢だって、その与一相手に息一つ上がらず、しっかりついて行っている。


「優秀な鳶職人だったそうですよ」

「鳶職人にしても非常識な脚力に思えますが……」


 貢がちらりと新伍を見て言った。


「五島さんは、あの男のことが随分と気に入ったようですね」


 貢の指摘に、思わず苦笑した。

 図星だった。


 怪盗41号ーーー戸村与一は盗人であり、義賊ではない。盗みを働く理由は完全に自己都合。だが、決して私腹を肥やすためではない。

 そして、己が守りたいと決めたもののためには、危険を省みない。


 しかも新伍にとって、一筋縄ではいかない難敵でもある。


 与一には、妙に惹きつけられる不思議な魅力がある。彼を追っていると、何とも言えない高揚感を掻き立てられた。


「そうですね。気に入っています。そして心の底から、捕まえたいとも思っていますよ」


 新伍が素直に認めると、貢はやや呆れたように、フンと鼻で笑った。だが、苦言を呈することはなかった。


「それでは、追い続けるしかありませんね。無論、逃すつもりはありませんが。……それにしても、一体どこまで逃げる気なのやら」


 与一は人気のない方へと向かって跳んでいく。今はまだ、ギリギリ新伍や貢が追いつける範囲だが、これ以上、離されたらキツイだろう。


 与一がまた、北東の家の塀へ飛び移った。

 新伍と貢も角を曲がる。


 そのとき、ちょうど対向から馬車が走ってきた。その馬車と出会い頭に、あわやぶつかりそうになる。


 新伍はサッと隅に避けたが、馬は貢の真正面に突っ込んできた。貢は高く跳び上がり、空中で馬を躱した。そのまま馬車の縁に片手をついてから、一回転して着地した。


 与一に引けを取らぬ軽業だ。


「少尉!」


 貢は無事なようだ。だが、問題は馬車だった。


 突然、面先(つらさき)を貢が横切ったせいで、混乱した馬が「ヒヒン」と前脚を上げた。


 御者が慌てて宥めようとしたが、馬はブルンブルンと左右に大きく首を振る。後ろに繋いだ車がグラグラ揺れて、今にも横転しそうだ。


「あっ、子どもが!」


 誰かが叫んだ。

 暴れた馬の目の前に、幼い女の子が立っている。少女は突然の事態に、恐怖でしゃがみ込んだ。「きゃああ」と叫ぶ女性の悲鳴。


「クソッ!」


 貢が馬の前に飛び込んで、少女に手を伸ばした。

 このままでは、女の子は馬に踏まれる。

 間に合わないーーー!


 その時、大きな布がバサッと馬の前に降ってきた。馬の視界が塞がれる。


 それと同時に、黒い影が馬の前に降りて、すぐに飛び立つ。

 次の瞬間、もうそこに少女はいなかった。


 飛び込んだ貢が、馬車の前で一回転して停まる。片手と片膝を地面についたまま、辺りを見回している。


「少尉、あっちです!」


 新伍が声をかけた。


 少し離れたところに、さっきの少女が泣きながら立っていた。母親らしき中年の女性が「良かった」と強く抱きしめている。

 その脇から跳び上がるのは痩せた男。


 怪盗41号。


「あの男が助けたというのか?」

「おそらく」


 少尉が「信じられない」と驚愕した。


「私たちより離れた場所にいたはずだが」


 だが、轢かれそうな女の子に気づいて、戻ってきた。そして助けた。


「本当にどんな脚力なんだ……」


 新伍と貢は仕切り直して、再び与一の逃げていった方に走り出した。だが、もう背中は遠い。

 あっという間に見えなくなって、見失った。


 新伍と貢はついに足を止めた。

 これ以上は無理だろう。交わした視線には、互いに諦めが浮かんでいる。


 与一の消えた方に、貢が鷹のような三白眼を鋭く向けた。


「私のせいです。申し訳ない」

「少尉が謝ることでは……」


 貢は「いいや」と遮った。


「五島さんの意図は明確に理解していた。呼ばれてワザワザ出張ってきたのに、あの距離からとらえ損ねるとは痛恨の極みです。加えて、あの馬車」


 言葉にこそしなかったが、自分のせいで危うく大怪我をするところだった少女を助けてもらったことに、貢は内心複雑な心境なのだろう。


 並外れた身体能力。他人に化けて盗みに入る豪胆さに、帳簿を改竄できるほどの頭の良さ。状況を掴む洞察力、馬車の前に飛び出す度胸、そして機転も利く。


「41号が簡単な敵ではなかった、ということでしょう」


 確かに逃げられた。

 分かっていたのに、追い詰めたのに、取り逃がした。

 悔しい。なのに、どこか清々しい。


「……全く。正直、盗人風情にしておくのが惜しく感じる程です」


 まるで新伍の心の内を代弁するように、貢の素直な称賛を口にした。



 *  *  *



 新伍と貢が与一を追いかけて出て行ったあとの韮崎邸では、後処理に警官たちが慌ただしく動き回っていた。


「それにしても、お嬢さまは随分と面白い探偵クンを紹介してくれたものだ」


 宮前が桜子の方へ近づいてきて言った。


 新伍を宮前に紹介したのは、桜子だ。

 もとは韮崎邸の事件に興味を持っていた宮前に、41号の正体を記事にしないことを条件に事件に関わっていた新伍を紹介した。


 新伍と交わした話や依頼されたこと、そして屋敷の中に入ってからの出来事、韮崎邸の事件の真相について、宮前は一通り教えてくれた。


「宮前さんって、実は結構すごいんですね」


 話を聞いた桜子は、思わず感心した。


 調子が良くて、ちょっと胡散臭い記者だと思っていた。なんせ雑誌を売るために多少の誇張くらい何の問題もないと言い切る男だ。

 だが今回は、新伍の推理に則って、偽の『銀狐』に自首させ、真犯人の素性を暴くという八面六臂の活躍をしていた。


「俺だって、記者の端くれだ。真実を明かせるなら、それに越したことはないさ。それに……つい、あの探偵クンに引っ張られちまった」


 宮前が少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


「新伍さんに、ですか?」

「手伝ってくれと言われたとき、俺は正直、迷っていた。だが、探偵クンの推理を聞いているうちに、それが本当に真実なのか、真相は何なのか、知りたくなったんだ。お嬢サマの恋人は凄いな」


「こ、恋人では……」


 ない、と否定するのも違う気がする。否定したくもないし。


「おや、違うのか? じゃあ、まさか婚約者?」

「………秘密です」


 正確には婚約者候補だ。一応、まだ。


「その親しげな呼び方で、無関係は無理があるぞ」


 宮前は誂うように言った。


「しかし彼は『どこぞのお坊ちゃん』ではないだろう? アレを一人娘の婚約者に据えるとは、胡条氏はなかなかの変わり者というか、思い切った男というか……いつか取材してみたいものだ」


 それは当たっている。桜子の父、重三郎は大財閥を率いている割には、そういったことに拘らない柔軟な思考の持ち主だ。そして娘に甘い。


「取材は遠慮したいですね。それより、今回の事件も雑誌に載せるんですか?」


 晶子のことも、それを庇おうとした八重子のことも、そして加代やサチのことも、できれば記事にして欲しくはない。


 しかし、宮前は「悪いが、記事にする」と、はっきり明言した。


「……そうですか」


 仕方がない。それが宮前の仕事だ。

 全てを止めることはできない。


 すると宮前がフッと優しく笑った。


「心配するな。お嬢サマが心配しているような書き方はしない」

「え?」


 宮前の視線が加代に向く。

 加代は何を思っているのか。与一や新伍、貢が走り去った先を、ずっと見つめている。


 宮前は「情が移ったな」と桜子にだけ聞こえる声で呟いた。

 驚いて見上げると、彼がくいっと顎で加代を指す。視線が「励ましてこい」と言っている。


「加代さん」


 宮前に背中を押され、加代の側に歩み寄った。名を呼びかけると、加代がゆっくりと振り返った。


 まだ与一が逃げていってしまったことが受け入られないのか、呆然としている。


 加代の手には、与一が去り際に投げて寄越した包が握られたままだ。


「それ、中を開いてみたらどうかしら?」

「……い、いいのかしら?」

「加代さんに渡したんだもの。加代さん宛じゃない?」


 麻の紐で十字に縛られた小包は、加代の手のひらにすっぽり収まっている。


 紐を解いて包み紙を開けると、拾円札が1枚と4銭1厘。そして鍵と小さく折り畳んだ紙が入っていた。


「これ、何の鍵だろう?」


 加代は鍵を取って、持ち上げた。その耳元で、宮前が囁いた。


「鍵より、拾円札を隠しておけ」

「え、どうして?」


 宮前は質問には答えず、さっと拾円を取って加代の着物の袂に落とした。


 そのとき、ちょうど新伍と貢が帰ってきた。

 同時に、晶子を人質にしていた女を連れて行った勝川が戻ってきた。


 いつの間にか、晶子や八重子、韮崎洋品店の従業員もいなくなっている。皆、警察に連れていかれたのだろうか。


「その中に、何が入っていたのか見せなさい」


 勝川がいつもの仏頂面で、横柄に加代に命令した。


「あの、これは加代さん宛てで……」

「関係ない。怪盗41号が残したものだ。盗んだものがあるかもしれん。あやつには大勢の被害者がいるんだ」


 桜子の僅かな抵抗は、勝川に一蹴された。

 勝川の後ろで、新伍も小さく首を振る。逃れることはできない。


 加代は仕方なく、箱を開けてみせた。


 中を見た勝川が紙片を取り出した。ざっと読んでから、鍵をとった。


「手紙は読んだか?」

「いえ。読んでいません」

「これは何の鍵か分かるか?」

「分かりません」


 勝川は加代の様子を注意深く見ていたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らした。

 手に持っていた紙を開いて加代に突きつけた。


『サチへ

 お前の手箱の鍵を返す』


 サチが与一の妹であること、病気で入院していることを説明してやると、勝川は「それなら病室を調べさせてもらう」と言った。


「け、警部補さんがみえるのですか? サチの病室に?」


 無愛想で威圧的な見知らぬ男性警官が病気の友人の病室に来るのは嫌だろう。加代は露骨に困った顔をした。

 差し出がましのはわかっていたが、つい桜子が手をあげた。


「あの……私が行って調べるのでは駄目ですか? この箱の中を見ればいいんですよね?」


 だが、その申し出を、勝川は「駄目だ」と即座に切り捨てた。


「申し訳ないが、胡条のお嬢さまは信用していない」


 じとりとした目で、はっきりと言う。

 仕方がないかもしれないが、信用していないと明言されると、あまりいい気はない。


「では、僕が調べましょう」


 今度は新伍が言ったが、勝川は「それも駄目だ」と断った。


「お前の推理力は認めているが、この手の判断においては信用しておらん」


 桜子への情で手心を加えかねないと言う。

 新伍が肩を竦めた。


「それでは、私でどうでしょう?」


 名乗りを上げたのは、貢だった。


「藤高少尉が?」


 勝川は訝しげに眉を顰めた。予想外の立候補だったようだ。


「私も五島さんにはお世話になっています。ですが、だからと言って手心を加えたりはしません。陸軍少尉、藤高貢の名にかけて、正々堂々調べてまいりましょう」


 それから、意味ありげに新伍に視線を投げて、「聞けば、今回の事件解決は、五島さんの手柄もあるのだとか」と付け足した。


 暗に借りを返せと言われ、勝川はやや憮然とした様子で口をへの字に曲げたが、結局は了承した。


「良かろう。ただし、病室の前まではついていくからな」


 日を改めて、サチの病室に向かうことが決まった。



エピローグ含め、あと2話です!

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