表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/37

23 戸村与一の真意

最終章です。


 陸軍少尉、藤高貢の竹刀が唸る。桜子は思わず目を閉じた。


 竹刀の先には、胴に簪を突き立てられ、身体を丸めて横たわっていた斎藤小平太。桜子たちから離れるように、少しずつ移動していた。

 その斎藤めがけて、貢が一気に竹刀を振り下ろした。


 パンッと胴を打つ音ーーーは響き渡らず、竹刀の先が床に当たる低く鈍い音がした。


 斎藤がいたはずの場所には、書生服が抜け殻のように落ちている。


 斎藤は一体どこに消えたのかしら。

 新伍が、脱ぎ捨てられた書生服を持ち上げた。


「やはり詰め物でしたか。()()4()1()()さん?」


 そのまま斜め上に視線を送る。桜子も同じように見上げた。

 緩やかな半円を描くように、2階へと繋がる階段。その一番上の手すりに痩せた男が足を組んで座っていた。


 男はプップと何かを吐いた。

 唾液で湿った白いものが桜子の側に落ちる。綿だ。斎藤は頬に含み綿を詰めて輪郭を変えていたんだ。

 詰め物のなくなった顔と身体は、ひょろりと痩せている。


「いつから俺の正体に気づいていた?」


 いつもの斎藤のモゴモゴとした不明瞭な話し方ではない。まっすぐに通る聞きやすい声が、新伍に尋ねた。


 その声を聞いた途端、加代が叫んだ。


「与一兄さん?!」


 それと同時に、別の何かがガシャンと落ちてきた。眼鏡だ。床に打ち付けられた衝撃で、レンズが外れて転がった。

 階段上の男が、肌着のような黒いシャツの袖口で顔を擦る。手品のように頬の痘痕が消えて、別の精悍な顔が現れた。


 顕になった素顔に、桜子は見覚えがあった。


「あなたは……あの時、病院の近くにいた?」


 サチの入院している病院の前で、加代を待っていた時だ。桜子は近くで売っていた蒸かし芋を買いに行った。その時に人混みに紛れて近づいてきた男がいた。


「お嬢さんには、加代が世話になったみたいだな。ありがとう」


 斎藤小平太こと『戸村与一』は、桜子に向けてペコリと頭を下げた。


「あぁ、それと、これは忠告だが、お嬢さんは見るからに金持ちのクセに、めちゃくちゃ隙が多い。芋屋の前でも掏摸に狙われていたし、加代と一緒にいた時だって、女中が守らなければ間違いなくお嬢さんの懐はスッカラカンだっただろうよ」


 加代が財布を摺られた時のことだ。

 イツに突き飛ばされたおかげで桜子の財布は無事だったが、代わりに加代が掏摸の犠牲になったのだ。


「一人歩きは注意することだな」

「与一兄さん、あの時、側にいたの?」

「あぁ。加代の財布は、俺が取り返していてやったんだ。掏摸返したのさ」


 与一がニカッと笑う。

 見知らぬ男性が財布を拾ってくれたとイツが言っていたが、どうやら彼だったようだ。


「ねぇ、兄さん。私、ずっと兄さんのことを探していたの。サチの調子が悪いのよ。兄さんに会いたいって呼んでるの。お願い。早く病院に行ってあげて!!」


 加代の瞳に、涙が滲じんだ。


 彼女は病弱な幼なじみのために、ずっと一人で奮闘してきた。内職で僅かな金を得て、励ますために何度も病院に足を運んだ。心身ともに友の力になっていた加代は、与一という負担を分かち合い、縋ることのできる人をようやく探し当てたのだ。


 たが、与一の反応は芳しくなかった。

 さっきまでの軽口が鳴りを潜め、表情に暗い影が差す。涙声で訴える加代に、与一はしばらく押し黙っていた。


「……すまない、加代」


 ようやく呟いた謝罪に、重苦しい空気が場を覆う。「どうして?」加代の顔が悲壮に歪む。

 加代を見つめる与一は、桜子の目には苦しんでいるようにみえた。


「与一さん。貴方が怪盗41号として盗みを働いていたのは……『斎藤小平太』として、この家に忍び込んでいたのは、病気の妹さんのためですね?」


 新伍が口を挟むと、助け舟を得たかのように、与一の顔がホッと緩んだ。


「先程の貴方の質問ーーーいつから正体に気付いていたのか。その問いに答えるなら、『最初から』です。銀座の店で出会った時から、僕は貴方のことを疑っていました」


 新伍は、放り出された書生服の中から、黄ばんだ白い布の塊を取り出した。袖らしきものがダランと垂れている。着物の内側に着ていたシャツだろうか。


「韮崎洋品店で、貴方の落とした書類を拾って渡した時、身体つきの割に指が細い方だなと思いました。しかも、まるで手先を隠したがっているかのようにブカブカの着物を着ている。それで、恰幅良く見える身体は実は詰め物で、実際にはもっと痩せているのではないかと思いました。……それに、この分厚いレンズ」


 今度は、壊れた眼鏡から外れて転がっていたレンズを拾い上げた。それを顔の前に掲げる。


「というより質の悪いガラスですが、真ん中が大きく凹んでいる。こういう形は、対象物を小さく見せる性質があります」


 新伍がレンズを当てたまま、周りをゆっくり見渡した。確かに新伍の瞳は、レンズを通していない片目より、レンズ越しの目の方が少し小さく見える。


「こんな眼鏡をかけていたら、かなり視界が悪いでしょうね。だから、貴方はしょっちゅう何かにぶつかっては物を落としているんですよ」


 挑発的な新伍に、与一が「仕方ないだろう?」と肩を竦めた。


「顔の印象を変えるのに、そいつは結構都合がいいんだ。美人芸者の変装ってのは前にやっちまったし、今回は身なりには無頓着だが、計算が得意な書生風の男にならなきゃいけなかったからな」


「なるほど、貴方は変装の名手で、どんな人間にもなりきることが可能です。ですが実は、貴方の手口は巷間で騒がれているように派手なものでも、華麗なものでもありません。もっと地味で用心深く、緻密なものだ」


 奥の方で、宮前が少しだけバツが悪そうに頬を掻いた。派手な噂話で飾り立てて、『銀狐』という耳目を集める義賊を作り出したのは宮前だ。


「へぇ? では、もしかして俺のやったことはバレているのかな?」


 問い返す与一に、新伍がにやりと笑う。難敵を相手にした際にやる笑い方だ。しかも調子がいい時に。


「貴方がここにいる間に、韮崎洋品店の帳簿類は全て押収させていただいたはずです。ねぇ、勝川警部補?」

「理由も言わず押収しろとは、全く無茶を言う奴だ。やはり狙いは、斎藤小平太だったか」


 勝川はため息を一つして、への字に曲げた口の上の髭をしごいた。しかし、その口調から、新伍の依頼の意図は理解しているようだ。


「あの……どういうことですか?」


 桜子は側に立っている貢に小声で尋ねた。


「斎藤小平太という者は、韮崎洋品店の経理を担っていたのでしょう? 帳簿類を押さえたということは、おそらくソレを改竄して金を浮かせ、私腹を肥やしていたのではないだろうか」


 貢の説明に、与一が「御名答」と拍手した。


「早い話、約一ヶ月にわたり、俺はイイ感じに帳簿の数字をちょろまかして、店の金を頂いていたわけだ。なかなか効率良く稼げる妙案だったんだが、こんなことが起きて実に残念だよ」

「わざわざ紹介状まで偽装して、手の込んだことをしたものです」


 新伍がの指摘に、与一は「なんだ。そっからバレていたのか」と今度は少し拗ねるように唇を突きだした。


「紹介状とは何の話だ?」


 宮前が新伍に尋ねた。

 新伍は答える代わりに、離れた場所からおろおろと成り行きを見守っていた八重子に問いかけた。


「八重子さん。確か以前、斎藤小平太さんは、ここで働くにあたり紹介状を持っていたと言っていましたよね?」


 突然、話を振られた八重子が、戸惑いながら頷く。


「え? ……えぇ」

「どなたからのご紹介か、覚えていますか?」

「さる政府高官の方からです。わが家とは繋がりのない方でしたが、『優秀な人物で身元を保証する』と書いて印が押してあったので……藤助は『これも縁だから』と言って喜び、即決で雇うと決めたようです」


「その紹介状、偽造ですよ」


 新伍がぴしゃりと言うと、八重子が驚きに大きく目を見開いた。


「その政府高官というのは、以前、怪盗41号が貿易商のふりをして金品を騙し盗った家です。その時に印鑑を盗んで、偽の紹介状に押したのでしょう」


 そういえば、桜子が一番最初に盗人の話を聞いた時、女学校の学友たちは「政府高官の屋敷も被害にあった」と騒いでいた。それが件の家なのか。


「やはり印鑑はちゃんと返しておくべきだっか。高そうだから、つい頂いちまったが。……探偵サン。アンタ、そんなに最初から疑っていたのに、何で俺を泳がせていた?」


 新伍はいつもやるように、飄々と肩を竦めた。


「理由は単純です。帳簿を見ていない僕は、貴方が盗んでいるという証拠を掴めなかった。『斎藤小平太』のことを怪しい人物とは思っていたが、41号であるかは分からなかった。僕が確信したのは、貴方があんな小包を送ってきてからだ」


 新伍が、事件から数日後に受け取った小包の話をした。『三善様方、新伍宛』に届いたそれの中には、八重子の日記や手紙が入っていたらしい。中には怪盗41号が自らの存在を誇示するための印である4銭1厘が同封されていた。


「こんなものをワザワザ送って来たということは、関係者の中に41号がいるということ。そして事件を解決してほしいと思っているのであろう、ということでしょう?」


「そうだな。無事に事件を解決してくれたことについては礼を言おう。まぁ、俺としては感謝半分、不満半分ってとこだけど」


 ふんと鼻を鳴らす与一。

 新伍は、与一の言う「不満」を理解しているらしい。


「そりゃあ、貴方は晶子さんを随分と気にかけていますしたからね。いや、晶子さんだけじゃない。当然、加代さん、そして桜子さんのことも」

「年下の女にめっぽう弱くてね。ほっとけねぇのさ」


 貢が、桜子にだけ聞こえるような小さな声で、呆れるように呟いた


「ふざけた男だな」

「いえ……多分、本当のことです」


 戯けるような与一の「ほっとけねぇ」は思いの外、温かかった。情がこもっていた。


 前に与一の落とした書類を晶子が拾った時、去っていく晶子の後ろ姿を追う彼の瞳は優しかった。

 桜子のために掏摸を遠ざけようとした。

 幼い弟妹の面倒をみていた長女の加代にとって、その負担を肩代わりしてくれる人だった。


 病弱な妹を持つ彼は、冗談でも格好つけでもなく、本当に年下の女の子に弱いのだ。助けたり、護ってやろうとする。生粋のお兄さんなのだと思う。


「与一さんは、藤助さんを殺害した犯人は晶子さんだと思ったんですよね? 彼女が藤助さんを深く恨んでいたことを知っていたから。そして同時に、いざというときには母親である八重子さんが娘を庇うことも分かっていた。だから貴方は僕に、『晶子さんてはなく八重子さんが犯人である』と告発させたかったんでしょう?」


「あの日ーーー社長が亡くなった日、この家を出る前に、晶子が玄関の花瓶の辺りをウロウロしているのを見た」


 与一は軽く目を伏せ、事件の日のことを静かに述懐し始めた。


「以前、あの花に毒があるという話を奥様が晶子にしているのを聞いていたし、社長が亡くなった現場では、花瓶にあったはずの白い花がなくなっていた。凶器はあの花の毒で、それを誤魔化すために花を抜いたと思うのが自然だろう?」


 桜子が韮崎邸に着いたときに、出かける与一とすれ違った。きっと、その前後の話だろう。


 与一は、早くから犯人と凶器にあたりつけていた。だが、それをそのまま伝えては晶子が捕まる。加えて、下手にあれこれ話して事件にかかわることで、自分の素性を疑われるのも困る。

 だから警察には告げずに、新伍に、八重子を犯人として告発させるよう画策した。


 そして新伍もまた、届けられた小包から、その意図を理解した。


「確かに、あれに良く似た毒性の花が八重子さんの生まれ故郷あった。八重子さんの出身が信州であることを教えるために、あの手紙を僕に渡したんですね? 僕があの花の毒と凶器の関係に気がつくように」


「俺は鈴蘭なんて名も、実は春に咲くだなんてこともらなかった。まさか似たような違う花だとすら思ってもみなかったしな」


「晶子さんと同じ勘違いですね。八重子さんが意図したわけではないでしょうが。それに、あの手紙と日記からは、亡くなった旦那さんと八重子の仲の良さが読み取れます。さすれば自ずと、八重子さんが藤助さんを殺す動機も想像できる。そうやって、僕が八重子さんを犯人として暴くことを目論んだ」


 晶子を守る。それが与一の望みだったのだ。

 盗人なのだから、事件があった家なんて、さっさと逃げ出してしまえばいいのに、放っておけばいいのに、与一は晶子のために、それをしなかった。


 窃盗は、どう考えても悪いことだ。ましてや、41号は噂されていたような義賊ですらなく、完全に私的な理由で盗みを働いている。

 だけど、桜子にはこの人を非難する気持ちがなくなっていた。彼のもつ独特の正義感に(ほだ)されていた。


「晶子は気の毒な子だ。真犯人を捕まえてくれたのは有難いが、できれば関わらせずにいたかった」


 与一の言った「感謝半分、不満半分」の真意が、ようやく桜子にも理解できた。

 結局は彼女の罪も暴かれた。彼の望むとおりに晶子を守ることができなかった。そことへの不満。


「晶子さんは、まだ子どもです。信頼していた大人に唆された。情状酌量の余地はあります。ですが、それでも犯した罪の分だけは償う必要があります」


 断言した新伍に、迷いはなかった。

 正論だったからだろう。与一も苦々しい表情を浮かべたが、反論しなかった。


「ねぇ、与一兄さん?」


 それまで黙って聞いていた加代が、再び一縷の望みに縋るように、与一の名を呼んだ。


「兄さんがサチのためにやってきたことは分かった。桜子さんを心配してくれたことや、ここの娘さんーー晶子さんとやらのためにしていたことも、兄さんらしいって思う。でも、もういいでしょう? もうこれ以上、ここにもいられないんでしょう? それならサチに会いに行ってあげてよ。ずっとずっと、兄さんを待っているのよ」


 話しながら、加代の目から大粒の涙が次々に溢れてきた。これを逃したら、与一とは二度と会えないかもしれない。


 しかし訴えは、与一の心に届かなかった。彼の答えは変わらなかった。


「……悪いな、加代」

「兄さん、どうして謝るの?」


 細かな表情を捉えられるほどの距離じゃない。なのに、桜子には、なんだか与一が泣き出しそうな顔をしている気がした。


「俺は警察に追われる身だ。サチに会いに行くことは出来ない。でも金だけは何とかする。だからサチのことをよろしく頼む」


「そんな……嫌よ、兄さん! サチに会ってよ! あの子の側にいてあげてよ! たった一人の家族じゃない!!」


「いいや。これでサヨナラだ」


 加代への、そして妹への想い。それを断ち切るように、与一は静かに微笑んだ。


「いえ、逃がしませんよ」


 切ない笑顔をきり裂くように、鋭い声が飛ぶ。同時に、貢が何かを投げた。竹刀だ。槍投げの槍ように、2階の手すりの与一の足元めがけて、真っすぐ飛んでいく。


「兄さん!!」


 あわや足に突き刺さる、というところで、与一が飛び跳ねるように避けた。そのまま鉄棒のように手すりをくるりと一回りし、与一が跳んだ。


 2階の階段上から、与一は放物線を描いて跳んで、桜子と加代の頭上を軽々越えていく。


 あんなに高い位置から飛び降りたとは思えないほど軽やかに、玄関の前に着地する。


「じゃあな、元気でいろよ!」


 くるりと背を返す直前、与一が加代に向けて何かを投げた。



「えっ?! えっ?!」


 加代は慌てて右手、左手と交互に突き出す。ぽんぽんと手のひらで跳ねて落ちかけた()()を、桜子が掴んだ。



 あっという間に走り出した与一の背を、貢と新伍が追いかけ、出ていった。


只今、別の長編も連載中です。

探偵ゲームの中に飛ばされるという、ちょっと系統の違う世界観の作品ではありますが、良ければ是非お立ち寄りください。


『名探偵ムーンと迷子の令嬢』

新伍よりも紳士的な名探偵、出ています。笑


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ