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22 偏狭な正義


 自らの妹を『愚妹』だと断じた内倉マキエに、新伍は問うた。


「復讐でないのなら……妹さんのためでないのなら、何のために藤助さんを手に掛けたのでしょう?」


 マキエの妹に対する反応は、新伍が想定していたものと違った。だからこそ心底疑問だった。


 マキエは殊更に背を伸ばし、教え諭す教師然として、新伍の疑問に応えた。


「私の妹、マコというのは、見てくれは悪くないけれど、ともかく頭の悪い子でしてね、そのくせ甘えるのだけは上手い。あちこちで厄介事を起こしては両親が謝罪に行脚する、そんな子でしたよ……ホントに可愛くないことで」


 吐き捨てるように付け足したのが、マキエの本音だろうか。妹のことを苦々しく感じていたらしい。


「あの娘のせいで父も母も気苦労が絶えなかったのでしょうね。私が教師になって帝都に離れ、数年もしないうちに、二人とも次々死んでしまったんだもの」


 まるで両親の死の責任の一端は、我儘な妹にあるとでも言わんばかりだ。恨みというよりは、家族ごと突き放すような諦めの念に聞こえた。


「それは……ご愁傷様でした。残されたマコさんも大変だったでしょうね」

「大変なもんですか。初めは父が、そのすぐ後に母がパタッと倒れて、2人ともあっという間に逝ったんだもの。まぁ、私はいずれも後で知りましたけど」


 自立した姉と社交的で甘え上手な妹。両親は手のかかる妹を優先したから、3人と1人。両親の死を後から知ったというのは、マキエと彼女以外の家族との間の溝を感じさせた。


「それでもね、私にとっても親ですから。二人を偲ぼうと教師をやめて戻ってみれば……あの娘は、また余計なことをしでかしていました」


「マコさんが、こちらで女中をしていたときの話ですか?」

「えぇ、そうです」


 マキエの顔つきが険しさを増した。妹を断罪する言葉が淀みなく溢れてくる。


「雇い主の男に手を出そうとして、家庭不和を引き起こし、あげく追い出された? ありそうなことだわ。あの娘らしい。だって、昔からそういう娘なんですもの。自分の欲望を我慢できない。だから、高価な報酬をチラつかせればすぐに飛びつく。本当に頭の弱い子なんです」


 韮崎邸の女中として働いていた内倉マコは、韮崎藤助に唆されて、当主である昭一に色を仕掛けた。それを八重子が目撃したことで、おしどり夫婦の仲はギスギスしていった。


 駆け落ちまでして一緒になった八重子との関係が修復不可能なほどに悪化し、さらに藤助にあることないこと吹き込まれ、昭一は絶望の果てに自ら命を絶った。

 昭一の死後、マコは八重子に追い出された。


「妹さんは、こちらを出てからどのような暮らしを?」

「随分と派手にやっていたようですよ。一時のことですが」

「女中を辞めたのに、派手に…ですか?」


 いくら報酬なり口止め料なりを貰ったにせよ、一生遊んで暮らせる程の額ではないと思うが。


「結局、分不相応だったのでしょう。過ぎたる金の使い方が分からなかった。だから湧水のごとく男に貢いで、あっという間に元の貧しい暮らしに逆戻り。それで病気になったら治療に必要なお金もないなんて……馬鹿の極みでしょう?」


「妹さんは、こちらを辞めた後、お仕事はしていなかったのですか?」

「できるわけないでしょう。あんなことをして、悪評がたっているのに」


 マキエの口元が皮肉に歪んだ。


「学もない、女中しか出来ないような女ですよ。それなのに雇い主とのゴタゴタなんて致命的。働き口なんてなかったはずですよ」


 働く当てがないにも拘らず、貰った金をあっという間に使ってしまった。マコというのは、相当に楽観的な女だったのだろう。厳格なマキエが気に食わないのも納得できる。

 彼女の言葉の端々には、明確に妹に対する侮蔑が見て取れた。


 だが、だからこそ聞けば聞くほど、分からない。 妹に対して、そこまで悪感情を抱いているのなら、何故、マキエは韮崎藤助に手をかけたのか。


「金が無いから、病気を患っても、ろくに治療も受けられない。私が家に戻ったときには、妹の病状は手の施しようがなかったわ」


「それでも貴女は、妹の最期を看取ったんですね?」

「放っておくわけにはいきませんからね」


 宮前によると看病をしていたのは間違いないという。姉としての責任感なのか、肉親の情なのか。


「しかし韮崎家に来たのは、妹の復讐ではない?」

「えぇ、違いますよ」

「では、何のためにこちらに?」

「初めは単純に興味、かしらね」


 マキエは応接間と韮崎家の面々を、ぐるりと見回した。


「妹が死んだ後、これからどうしようかと考えていたときに、ふと思い付いたんです。馬鹿な妹を追い詰めた男を一目みてみようかしらって。そしたら折良く、韮崎家が娘のための家庭教師を探しているという噂を耳にしました。それで、すぐに飛びついたわ」


 自分の話題が出てきたことに、晶子がピクリと反応した。マキエの言葉を聞き漏らさないように 懸命に耳を立てている。

 彼女はずっと家庭教師を信じていたのだ。


 だが残念ながら、この教師から、晶子が望むような言葉はなでないだろう。

 マキエは晶子の様子など、全く気にも留めず、淡々と自分の話を続けた。


「実際に会ってみると、韮崎藤助というのは、なかなかの曲者だったわ。利に聡く、頭の回転が早い。そのくせ、どこか冷淡。妹は、目の前に餌をぶら下げられたら一も二もなく飛びつく子だから、あの男は簡単に御せたでしょうね。都合よく扱われたのだと納得したわ」


 慰めのつもりか、マキエが八重子に向けて「お気の毒様」と言った。


「でもね、八重子さん。貴女も表面的には韮崎藤助に感謝していたけれど、心の底では憎んでいたでしょう? その悪意を晶子さんは敏感に感じ取っていました。貴女に影響されて、晶子さんは叔父に殺意を抱いた。私は、それに手を貸しただけ」


 その指摘は、八重子に堪えたようだ。ギュッと唇を噛み締めて俯いた。膝の上で握りしめた拳が震えている。堪らず、新伍が言い返した。


「内倉さん。貴女は曲がりなりにも元教師。分別のない子どもがそのような考えを抱いたのなら、本来、止めるべきでは?」


 しかしマキエは、「どうしようもないこともあるんですよ」と聞き分けの悪い生徒に教えるように言った。


「世の中にはね、自分勝手な人間がいるんです。正しく善良に生きている人間を、自分のために痛めつける。そして、そのことを何とも思わない。あの男は、そういう類の男でしょう?」


 ハッとした。

 ようやくマキエという人間がわかってきた。新伍は根本から考え違いをしていた。


「韮崎藤助は生きていたって、他人に害悪になる。妹みたいな考えの足らぬ馬鹿者が利用されて、八重子さんや晶子さんのような人が苦しめられるんです」


 マキエの言には一切の迷いがなかった。韮崎藤助という人間を排除することは、マキエにとって至極当然の行いで、当たり前のことだと思っている。


 あぁ、もしかして、この人はーーー


「随分と歪んだ正義ですね」


 これ以上ないほどに適切な表現で指摘をしたのは、宮前だった。マキエの眉間に、不快げに皺が寄る。


「先程から時折口を挟まれていらっしゃるけれど、貴方は何者なのかしら?」


 宮前は「あぁ、失敬」と謝ると居住まいを正して名乗った。


「ご挨拶が遅れまして。諧文堂の宮前と申します」


 諧文堂という名に、マキエの眉間の皺がさらに深まる。


「あの何とかいう盗人を殊更、褒め称えて、持ち上げている雑誌ですか?」

「否定はしません」

「盗人は、どう繕っても盗人ですよ。それをあのように戯作のごとく書き立てるなんて」


 マキエの言葉はあからさまな攻撃性を孕んでいたが、この手の悪意には慣れているのだろう。宮前は「そうですか」と軽く受け流した。


「それより貴女の話をしましょう。私なりに貴女のこと、少々調べさせていただきましたよ」


 懐からメモ帳を取り出す。その動作の合間に、新伍に向けて、一瞬の目配せをした。


「貴女が教職についていた小学校に聞き込みしました。面白いことに、現地での『内倉先生』の評価は真っ二つです。片や、誰よりも清廉で一切の不正を許さぬ教師の鏡と絶賛する人がいる」


 マキエは胸を張って、「当然です」とばかりに、鷹揚に頷いた。


「帝国民を教え導く教師ですから、全ての者の手本であらねばなりません」

「ところがどっこい、もう一方では真逆のことを言う人間も少なからずいる。つまり、『内倉マキエは独善的で、狭量な正義で人を断じる』と。その上、『人の話を一切聞かず、人情のかけらもない』というのです」

「心の弱い人間の言う戯言です。聞くに値しないやっかみですわ」


 己は正しいのだと、心の底から信じてる人間の態度だ。


「先程、貴女は両親を偲ぶために帝都に戻ってきたとおっしゃいました。でも、実際は違いますよね? 貴女は校長先生に嫌われて、学校を追い出されたのでしょう?」


 マキエの頬がピクリと引き攣る。宮前の質問に答えるかわりに、「()()ですって?」と問い返した。


「若い女教師と関係を持っていた狸のことかしら? 挙句、その女ばっかり依怙贔屓するものだから、皆の前で注意してやったら、顔を真っ赤にして怒っていたわ。教育者の風上にも置けない輩です」


「そのお気に入りの若い女教師とやらの頬を、平手で打ったそうですね。それが暴力沙汰となって追い出された。貴女が帝都で妹さんの看病をしたのは、単に放っておけなかったからではなく、教師を辞めされられて、帰る場所がなかったからではないですか?」


 限られた日数で、宮前はよくこれだけのことを調べたものだ。新伍が協力を依頼した後、すぐにマキエのいた小学校に人を送ると言ってきた。だがここまで詳細に調べ上げてくるとは。期待以上の成果だ。


 宮前の追求を、マキエは否定しなかった。それどころか「全く理解に苦しむことです」と認め、嘆いた。


「あの汚らしい女のせいで、私が追い出されるなんて。今でも何かの間違いではないかと思っているわ」


 人前で校内の最高権力者に恥をかかせるなど、普通はしない。ましてや手をだすなど。しかしマキエは、自分には一切非がないのだと信じている。


 行き過ぎた、潔癖な正義感。それが内倉マキエの本質だ。


「では、韮崎藤助さんも貴女にとって間違った人間だから、手を下すことに躊躇いがなかったんですか? 父を奪われた晶子さんが復讐をするととは当然だと考えた。そういうことですか?」


「晶子さんが言ったでしょう? 私はほんの少し手助けをしただけです。彼女が出来ないところを代わりにしてあげただけ」


 マキエにとって重要なのは、誰が何を、どの程度行なったかではない。『誰がそれを望んだのか』なのだ。

 だから、この犯行の主体はあくまで晶子であり、それに手を貸したに過ぎないという主張なのだろう。


「残念ながら、その言い訳は世間一般には通じませんよ。貴女は晶子さんを唆し、そして共に犯行に及んだ。しかも悪質なことに、最初に晶子さんに毒を飲ませる役を与えたことで、彼女が主体であることを本人の意識に刻みつけている」


「当たり前でしょう? 藤助さんを押さえる時だって、彼女も一緒にやりましたよ。人を害しようとしたのですもの。それくらいの覚悟は自分でしなくてはね」


 彼女の怖いほど真っ直ぐな言い振りに、新伍の胸の胸に、じわりと嫌悪感が広がった。


 哀れな晶子が今や、真っ青になっている。彼女が受けていたのは一種の精神的支配だ。そして信頼していた家庭教師の本質が暴かれたことで、その支配が解けかけていた。


 新伍にとっても、内倉マキエは理解しがたい相手だった。

 はっきり言うと分かり合えない。どうすれば、彼女自身に罪を自覚させられるのか術が思い浮かばないのだ。


「……もう、いいだろう?」


 勝川がゆっくりと前に出てきた。


「これ以上、掘り下げても、この女からはお前が納得するような言葉は何も出てこない。時間の無駄だ。そもそも私にとっては、初めから動機などどうでも良いことだしな」


 この場の主導権を寄越せと、暗に新伍に迫っていた。


「お前は事件を解き明かした。やったことさえ分かっていれば、私がしょっぴく。それで終わりだ」


 周りの警官に「捕らえろ」と合図した。その瞬間。

 晶子の身体が大きく揺れた。あっという間もなく、マキエに拘束される。首元には鋭く尖ったものが突き立てられている。


 マキエの解けた髪から、それが簪なのだと分かった。


 八重子が悲鳴をあげた。


「晶子ッ!!」


 近づこうとしたが、マキエが首元に当てた簪をグッと押しつけ牽制する。その気になれば、切っ先は喉を貫く。


「困ったわね。私は手伝っただけだと言っているでしょう? ましてや相手は、殺されて当然の男。捕まえられる謂れはないというのに」


 妙に淡々とした口調が、かえって空恐ろしい。


「せん……せぃ…」


 恐怖だろうか。それとも落胆だろうか。捕らえられた晶子の目尻から涙が伝う。

 迂闊に飛び込んでは、晶子が危うい。全員が遠巻きに見ていた。


 *  *  *


 邸内から響く女性の悲鳴に、桜子は加代と顔を見合わせた。


 玄関を見張っていた警官が、何事かと持ち場を離れて屋敷の奥へと駆けていく。桜子と加代もそれに続いた。


 前を走っていた警官は、すぐに足を止めた。


「桜子さん、アレ…」


 加代の声が震えている。

 当然だ。晶子が誰かに拘束された状態で、こちらにジリジリと向かっている。しかも抵抗出来ないように、喉元には簪が突き立てられていた。


 捕らえているのは、宮前の少し前に邸内に入っていった女性だろう。着物の柄で分かった。

 ただ、隙なく結われていたはずの髪が、不気味にうねって広がっていた。簪を解いて、凶器にしたようだ。


「どいてちょうだい。近寄らないでね」


 晶子の首に簪の先を突きつけながら、女が言った。激昂するでもなく、凄むでもなく。尋常小学校の教師が、小さな子どもたちに「危ないから」と注意を促す時に似ていた。


 桜子と加代は警官よりも前に出ないように気をつけながら、事態の推移を見守っていた。


「外に出たいの。前を空けてちょうだい」


 若い警官が、これ以上先へは行かせまいと左手を伸ばしている。右手は腰から下げた刀の柄を握っていた。


 それに気づいたのだろう。突きつけた簪の先が晶子に食い込む。


 女の後から着いてきたのだろう。奥に、新伍と勝川、八重子、宮前、そして韮崎洋品店の従業員二人がいた。若い警官は、指示を仰ぐように、勝川警部補に目を向けた。


 警部補が軽く頷く。警官が一歩、二歩、すり足で、ゆっくりと後退した。

 全員が攻めあぐねていた。そのとき。


「どきなさい」


 低い声とともに、桜子と加代の身体が左右に押しやられた。その間を割って、長身が飛び込んでくる。


「藤高少尉ッ?!」


 二人の間から陸軍少尉、藤高貢が竹刀を構えて飛び込んだ。桜子たちの前にいた警官を器用に避け、あっという間に女の手首を打つ。


「う”……」


 簪がカランと床に落ちた。

 同時に、新伍と韮崎洋品店の従業員二人が飛び出した。受付をしていた人ーー確か宮前の友人だという辻本が、晶子を奪還した。


 人質を奪われた女は、加代の方によろめいた。新伍が女を捕まえよう動く。それより僅かに速く、女が簪を拾った。そして、すぐ近くにいた加代に、それを勢い良く突き立てた。


「加代さんッ!!」


 巻き添えだわ。手を伸ばした。間に合わない。刺されるーーー


 ブスリと鈍い音。


「あ……」


 腰を抜かしたようにペタリと座りこんだ加代の上を、巨体が覆っていた。


「斎藤さん?!」


 書生服姿の斎藤が、加代を守るように覆い被さっている。簪は斎藤の腹あたりに根元までと突き刺さっている。

 斎藤の顔が苦痛に歪む。傷はかなり深そうだ。

 斎藤が加代の横にドサリと転がった。


「大丈夫ですかッ?」


 桜子は近寄って簪に触れようとしたが、斎藤がそれを止めた。代わりに何か答えたが、モゴモゴと言うばかりで何を伝えたいのかサッパリ分からない。

 斎藤は簪を自分で抜いて、腹を押さえた。桜子に触れられるのを嫌がるように少し後ずさった。

 額には玉のような汗がびっしり浮かんでいる。ハンカチを取り出して拭おうとしたが、それも断られた。


「だいじょうぶ…です」


 かろうじて聞き取れた単語に、ホッと胸を撫で下ろす。ふいに桜子の上を影が覆った。見上げれば、藤高貢が立っている。


「ご友人に怪我はありませんか?」


 桜子が加代を見る。加代がコクコクと頷いた。


「びっくりしましたけど、どこも痛くはないです」


 良かった。斎藤が助けに入ってくれたおかげで無傷だったようだ。


「お助けいただき、ありがとうございます。あの……でも、何故、ここに藤高少尉が?」

「僕が頼んだんです」


 答えたのは、新伍だった。完全に拘束した女を、警官に引き渡しているところだ。


「少尉に相談に行ったら、ちょうど非番だと聞いたので、可能ならお力を借りたいと。ご協力ありがとうございます、少尉」


 陸軍少尉、藤高貢は、新伍の礼に軽い会釈で答えた。


「役に立てたのなら良かった。ですが、五島さん。私を呼んだのは、この女のためではないでしょうね?」

「無論、違いますよ」

「そうか。では……やはり、こちらか」


 言うが早いか、藤高貢の竹刀が再び、風を切って唸りを上げた。



ようやく少尉が出てきました。

ここで出てくることは最初から決まっていましたのですが、長かった。(私の筆が遅かったから)


そして、ここまでで3章終わりです。

先行してアルファポリスさまで掲載しており、そちらがもう少しで終わりますので、完結後にまた、一気に更新します。

よろしくお願いします。


別の連載もしていますので、他作品にもお立ち寄りいただけると、嬉しいです(^^)

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