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21 教唆


 新伍は応接間に集う面々に、この新興洋品店に纏わる事件について、順を追って語った。


「まず一つ目は、盗人『銀狐』の予告状。これは先に述べたように、藤助氏による自作自演でした」


 銀座の新店舗から帰宅した藤助は、盗人が入ったかのように小間物店の店内を荒らした。夕方に訪ねてくる新伍相手に騒いで見せて、証人にでもするつもりだったのだろう。


 その偽装工作の最中、晶子が現れた。

 晶子は水溶性の毒の溶け出たコップを藤助に渡す。蜂蜜を混ぜて匂いと色を誤魔化した水を、藤助は何も気付かず口にした。


「これが二つ目の事件、韮崎藤助氏の殺害です。その毒で藤助さんは死に至り、晶子さんはその場を片付け、部屋を後にしたーーーそれで間違いありませんか?」


 新伍が整理した一連の流れに、晶子は「そうです」と頷いた。


「ちなみに晶子さんは、片付けた時に部屋の花瓶から花を抜きましたか?」


 晶子は「花、ですか?」と首を傾げた。明らかにピンときていない。

 なるほど、と新伍は心の中で呟いた。可能性があるのは二人だった。それが晶子でないなら、八重子の仕業だ。


「晶子さんが部屋を去った後に、藤助さんの元を八重子さんが訪れた」


 桜子とレース編みをしていた八重子は、必要な糸が足りないから取りに行くと言って、部屋を出ている。


「糸を取りに行った八重子さんが、どうして藤助さんの様子を見ようとしたのかは不明ですが、ともかく、その時に八重子さんは、藤助さんが亡くなっていることを知った」


 勝川が睨みをきかせているせいだろう。八重子は先程までのように取り乱した否定はしなかった。納得のいかない表情のまま、唇を固く結んでいる。


「現場を見た八重子さんには、晶子さんがどうやって、何の毒を盛ったのか、察しがついた」


 新伍は花瓶に生けられた白い花に指先で触れた。それは先程、晶子が凶器だと示した花だ。


「僕が藤助さんを発見した時、あの店の花台には水滴が乾いた跡がありました。おそらく花瓶に、これと同じ白い花が挿してあったのでしょう。凶器と思しき花が同じ部屋にあるのは好ましくない。だから、八重子さん。貴女は咄嗟に花瓶から、その花を抜いたのではないですか?」


 凶器を隠さなくては、という心理が働いたのだろう。そんなことを考えるのは犯人か、犯人や凶器を知っていて、それを庇いたい者だけだ。

 晶子に心当たりがないのなら、八重子ということになる。娘を守るために、そうしたのだ。


「花台に落ちた水の跡。僕と八重子さんが部屋に入った時にはあったものを、勝川警部補は『なかった』と言う。あの時、あの場所に足を踏み入れた関係者は他にいませんから、八重子さんが拭いたのは分かっていました」


 新伍と一緒に部屋に入った時に、それに気がついた八重子は、思わず水跡を拭いた。新伍がすでに、それに気がついているとは思わなかったのかもしれない。


 八重子が誤魔化すためにとった行動は、彼女に対する疑念を抱かせた。勝川も当然、八重子を疑ったはずだ。

 だが、八重子にとっては、それでも良かった。


「八重子さんは自ら、犯人だと自供しました。しかし実際には、八重子さんは犯人ではない。彼女は娘を守るために自分が犯人だと嘘をついた。そして先程、八重子さんにとっては最悪の展開ですが、晶子さんが犯人として名乗り出ました」


 母の想いを踏み躙ったことへの申し訳なさだろうか。さっきまで真っすぐ前を見ていた晶子は、新伍の言葉に俯いた。

 八重子は尚、反論の糸口を探しているのか、もどかしげに唇を噛んだ。


 新伍は勝川警部補に視線を移した。


「ですが、ここで少々気になる点があります。まず、晶子さんは植物の毒性を正しく理解していないということ。何に毒があって、どれくらいの量で人が亡くなるのか、彼女はよく分かっていないのです」


 有毒な可能性が高いと母に教えられた花は、確かにあった。水にも毒が入るから触るな、とでも言われていたのかもしれない。だが、それは伝え聞いた程度のおぼろげな知識だ。


「それに何の問題がある?」


 勝川は口をひん曲げて、異議を唱えた。


「有毒な可能性の高い花があり、それを生けた水を飲んで人が死んだ。その結果が全てだろう?」


「警察の皆さんにとっては、それで十分でしょうね。自供があり、結果があり、そして、それを否定し得ない状況がある。そうであれば、罪を疑う必要はない。起こった事件を解決することこそ、警察にとっては第一義なのでしょうから」


 だから八重子が自白し、それらしい凶器ーーー毒があれば、八重子を犯人として、この事件は決着をみたはずだった。

 桜子の言う「ほんの数分しか席を外していない」という反証など、思い違いで片付けられる程度のことだ。自供を覆すほどの強力な問題など、どこにも存在しない。


 何より、彼女には動機があった。藤助を憎み、殺すだけの理由があったのだ。


 勝川は不機嫌な顔で鼻を鳴らした。


「当て擦りのつもりか? まるで警察は、解決しているように見えさえすれば、間違いでも構わないと言っているように聞こえるが?」


「勝川警部補は、そうではないと信じています」


 あえて、にこりと笑ってみせる。


「逆にお伺いしますが、この程度の状況が出揃っていて、警察は彼女の自供を疑い、容疑を晴らすために捜査をしますか?」

「……この花が鈴蘭でないことくらいは、調べただろう」

「ですが、同じく有毒な花だと判明すれば、それで終わりです」


 新伍が相対した瞬間から、八重子は犯人として名乗り出るつもりだった。いや、新伍が来なくても早晩、そうしただろう。そのために晶子を遠ざけていたのだから。


 もし八重子が自白してしまえば、結論を覆すのは難しい。その必要性もなければ、そこに割くべき労力もない。明治の世になってできたばかりの警察という、まだ未熟な組織の限界だった。


 新伍の指摘に、勝川の眉間に深い皺が浮かんだ。


 犯人は韮崎八重子ーーーおそらく勝川は、その結論に納得していなかった。


 熟練の警部補の勘という程度の違和感だったのかもしれない。

 だが彼は、その結末を良しとしなかった。


 だから、数日前に新伍のところにやって来て、本来ならば言うはずのない予告をした。


 それは、勝川の警察としての立場を踏み越えた依頼。ならば新伍は、その期待に応えねばなるまい。


「作り上げられた嘘は、真実と辻褄が合わず綻びがでる。だから酷く雑にみえるのですよ」


 間違いや綻びを丁寧に取り除かないと、真実は上手く取り出せない。

 新伍はそのために、最速で、しかし丁寧に準備を積み重ねていた。


「晶子さんは、父の(かたき)ともいえる藤助さんを相当憎んでいた。強い殺意を持っていた。だけど、その割に殺し方が随分と雑でしょう。普通は、そんなに曖昧な方法で、雑な計画で、人を殺そうとはしません」


「子どもの浅慮と捉えられるのではないか?」


 心からの反論というよりは、新伍の推理を先へと進めるための誘導のような問いかけ。


「仰る通り。晶子さんは、まだ子どもなんです。子どもの浅はかな計画。普通は上手くなんていくはずがない。実行に移せるかですら怪しい。ですが、それを励まし、唆し、可能に変えた人がいる」


 語りながら、新伍は晶子の隣に立つ女性を見ていた。

 手本のように美しい姿勢、上品な着物は寸部の隙すら見せない。


「貴女は、晶子さんの想いを知って、彼女の計画を聞いて、『大丈夫だ』と励ました。そして晶子さんのためにと()()を申し出た」


 女は教壇に立つ教師さながらに凛として、「仰っている意味が分かりません」と言う。その立ち姿には、微塵の動揺も見えなかった。

 むしろ焦っているのは、晶子のほうだ。


「違います。先生は確かに私のために、嘘をついてくれました。ですが、それ以上のことは何もしていません。私が自分で決めて、そうしたんです!」


 庇う様が、先ほど八重子が晶子にしたのとよく似ていた。心を許せる人の少ない晶子にとって、彼女は大事な人だったのだろう。

 だが、それが本当に頼りにして良い人だとは限らない。未熟な娘に同情するふりをして、近づく腹の黒い大人もいるのだ。


「いいえ。内村さんの関与は『偽証』などという消極的なものではない。もっと積極的で深い関わりだ。何なら、藤助さんを最終的に殺めたのは貴女と言っても過言ではない」


「違います!違います!!」


 晶子の悲壮な叫びを、勝川は完全に黙殺していた。


「お前がそう考える理由は何だ?」

「二つ目の気になる点です。晶子さんは、嘔吐した藤助さんの口元を綺麗にしたと言っていましたが、口の中まで手を突っ込んでは拭いてはいないでしょう?」


 亡くなった藤助の口の周りには、糸のような繊維がついていた。おそらく嘔吐したのを清拭するときに付着したものだろう。

 だが、勝川は、藤助の口の中にも同じ繊維がついていたと言っていた。


「内村さんは、気分が悪くなった藤助さんの口に手拭いを突っ込んで塞いだのはないですか? 藤助さんが声を上げ、助けを呼ばないように。だから口内に糸のような繊維がついていた」


 それまで黙って聞いていた宮前が、不意に呟いた。

 

「口を手拭いで塞いだ? となると、もしかして藤助氏の死因は……?」


「遠因は毒物です。ですが、直接的な原因は、むしろ窒息ではないかと」


 宮前が新伍と勝川の二人に尋ねた。


「遺体に窒息の症状はあったんですか?」


 関係者でもない宮前が、突然、口を挟んできたのが面白くなかったのか、勝川がムッと唇を突きだしたまま、頷いた。


「嘔吐物が喉に詰まったことによる症状だとみられていたが」


「実際には、口を直に塞いだことによる窒息の可能性が高い。大の大人相手に、そんな芸当、まだ子どもの晶子さんには出来ないでしょう?」


 マキエなら例えば、気分が悪くなって床に倒れこんだ藤助に馬乗りにでもなって、押さえ込むことは可能だろう。口内に繊維がついていたのたら、おそらく丸めた手拭いなりを突っ込んだのだ。


「内村マキエさん。貴女がしたのは、微力な協力などではない。まだ子どもの晶子さんに犯罪を教唆し、しかも彼女の復讐心を隠れ蓑にして、むしろ積極的に犯行に及んだ」


 追求する新伍に対し、内村マキエは、冷ややかな教師の目を崩さなかった。手のかかる児童を宥めるときのように、鷹揚に言った。


「随分と想像力豊かだこと」

「逃げられませんよ。貴女のやったことは、晶子さんが知っている。彼女が庇うのをやめたら、一転して貴女の犯行は顕になる」


 裏切られないという自信があるのか、それとも往生際が悪いのか、マキコの表情に動揺はない。


「待ってください、五島さん。どうして、先生がそんなことをなさるのか、さっぱり分かりません」


 新伍とマキコの睨み合いに、八重子が恐る恐る口を挟んだ。

 今の今まで娘が犯人だと思っていた。だからこそ、自分が犯人になるつもりで腹を括っていた。新しく提示された別の可能性に縋りたいが、半信半疑といったところなのだろう。


「いくら晶子に目をかけてくれていたとしても、そのために人を殺めるなど、信じられません」


「別に、先生は晶子さんのために手を汚したのではありませんよ。ねぇ、内村……ではなく、内倉(うちくら)マキエ先生?」


()()()……?」


 初めて、マキエの眉がピクリと動いた。ほんの僅かな動きなのに、不快感が滲み出している。


「この方の本当の名は内村ではなく、内倉です。そして、内倉マコさんのお姉さんだ」


 マコ、という名が出た途端、八重子と晶子が青ざめた。


「内倉マコさんを、お二人はご存知ですよね?」


 彼女について新伍に教えてくれたのは、宮前だ。


「おマコは……タツ江の前に雇っていた女中です」

「えぇ、そうです。八重子さんの夫である韮崎昭一さんとの不義を疑われ、昭一さんが亡くなった後、ここを出ていった。そして……亡くなりました」


 久しぶりに耳にした女中の近況に、二人は少なからず衝撃を受けていた。


「そんな! どうして、今更おマコなんて……もう3年以上前の話ですよ。亡くなったことも今、知ったくらいで」


 頑なに自らの罪を繰り返し主張していただけの八重子は、今や明らかに狼狽していた。


「内倉マキエさん」


 改めて不遜な家庭教師の本名を呼ぶ。


「貴女は妹さんを死に追いやった復讐をするために、韮崎邸に入り込んだのですか? 娘の晶子さんの家庭教師として、機をうかがっていた。そういうことですか?」


 一堂の視線が、内倉マキエに集まった。

 彼女の素性が暴かれたことで、そのどれもが疑心に満ちている。


 マキエは緊迫した空気を解くかのように、「やれやれ」と緩慢な動作で首を振った。


「誰が復讐なんてするものですか。ばかばかしい」


 大きな溜息をつくと、真っすぐに伸びた背筋はそのままに、言い放った。


「私はね、あの愚妹が大っ嫌いだったんですから」


あと1話で3章終わります。

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