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20 晶子の証言


 韮崎藤助に毒を飲ませたのは自分だという晶子の告白に、八重子が「違います!」と叫び声をあげた。


「晶子ではありません。私です。先程申し上げたでしょう? 私なんです。ね、刑事さん。分かってくださいますわね?」


 新伍と勝川に向けて繰り返し訴える憐れな母を、勝川は冷ややかな視線だけで突き放していた。


 ふと気づけば、勝川の後ろに、諧文堂の宮前悟が立っている。先程、内村マキエが入った時に、彼女に続いて入室したのだろう。これから新伍がどうするつもりなのか、高見の見物を決め込んでいるようだ。


 立ち上がった新伍は、宮前から視線を外し、一堂を見渡した。


「八重子さん、落ち着いて。まずは晶子さんの話を聞きましょう。晶子さん。藤助さんに毒の入った水を渡したのは、いつのことですか? 藤助さんが帰ってきた頃、貴女は家庭教師の授業を受けていたのたでしょう?」


 晶子がマキエに、不安げな視線を向ける。自分だけで話すことに自信がないのか、助けを求めているようにみえた。


 マキエが横の警官に許可を得て、晶子の側まで歩み寄った。流石に教師というべきか、こんな場面でも、足取りは落ち着いている。マキエが励ますように晶子の背にそっと手を添え、優しく頷いた。

 二人の間にだけ通じた何かがあったのか。力を得たように、晶子は話し始めた。


「五島さんの仰るとおり、家庭教師の時間でした。ですが、先生に頼んで授業を中断してもらい、叔父さんのいる一階に行きました。そこで片付けをしている叔父さんに水を渡したんです。飲み終わって少ししたら、叔父さんは苦しそうに心臓を押さえて、床に……」

「倒れたんですか?」

「……机に寄りかかって、膝をついて…それから、床に寝転がったと思います」


 思い出しながら語っているせいか、ゆっくりとした話しぶりだが、状況説明は具体的だ。


「それから叔父さんは、何度か吐きそうに、えぇっと、苦しそうな感じで、ウッて……」

「えづいていたということですか?」

「そうです。何度も繰り返し、そうしていました」


 新伍の確認に、意を得たりと頷く。まだ10歳の彼女には、状況を的確に言語化するのは、難しい部分もあるようだ。


「実際に、吐いてはいないんですか?」

「吐いて……は、」


 少し考えている。よく思い出せないのか、晶子がまた、マキエを見た。マキエは、ずっと彼女の背に手を添えている。


「少しだけ、吐いていたと思います。そういえば口元を手拭いで拭きました」

「先程、藤助さんは床で寝転がったと言いましたが、僕が店内に入った時、藤助さんは椅子に腰掛けていました」

「それも、私です。叔父さんの身体を抱えて、私が椅子に座らせました」


 息絶えた後なら、抵抗されることはない。意識がない男性はかなり重いが、時間をかければ不可能ではないだろう。


 新伍は晶子から、隣のマキエに視線を移した。


「晶子さんの言うとおりなら、全て済ませて、彼女が部屋に戻ってくるまで、それなりの時間がかかったのではないですか? そんなにも長い時間、晶子さんが席を外して、貴女は不自然に思わなかったのですか?」


 新伍はマキエに尋ねたつもりだった。だが、女教師の唇は固く結ばれたまま微動だにしない。それに答えるのは自分ではないと誇示しているかのようだ。


 家庭教師と新伍を交互に見やっていた晶子が、マキエより先に口を開いた。


「あの……先生は、全て知っていました。亡くなった父のこと、母のこと、おじさんを憎む私の気持ち。誰にも話せないようことを、先生はずっと優しく聞いてくれたんです。だから、」


 晶子は一瞬、迷うような視線をマキエに向けてから、意を決したように告げた。


「だから全部知っていて、私の復讐に協力してくれたんです」


 晶子は、ひどく内向的な性格だ。人見知りが激しく、自分の気持ちを打ち明けたり、相談したりできる人は限られている。新伍とも、まともに会話できるようになるまで時間がかかった。


 毎日通っている家庭教師は、晶子にとって、心強い相談者だったということなのだろう。


 晶子の証言を確認するために、改めてマキエに問う。


「内村マキエさん。貴女は晶子さんが授業を中断して部屋から出ていったとき、彼女が何をしているのか知っていましたか?」


 マキエはそれまできつく縛って抑えていたものが抜けていくように、長い溜息をついた。目頭を押さえ、鎮痛な表情を浮かる。

 今度は、答える気になったようだ。


「本当に、晶子さんが気の毒で……」

「先生は悪くありません! 私が叔父を許せなくて、頼んだのよ」


 こんな声を出せたのかと思うような力強い否定の叫び。一時(いっとき)は韮崎邸で同居して、彼女を間近で見ていたはずの従業員の辻本と斎藤も、驚きに目を瞠っている。


 晶子が激しい感情をぶつけるように、頭をブンブンと振った。


「母の話を聞いていたのなら、分かるでしょう? お父さまを自殺に追いやったのは叔父です。お父さまとお母さまの不仲の原因になった女中。ベタベタと父に触ろうとする気持ちの悪い女! あの女中を、父にけしかけたのも叔父なんです。しかも私、あの女が着物を乱して、叔父と抱き合っているのを見て……」


 晶子がウッと口を覆う。気持ちの悪いものでも目にしたとばかりに、二の腕をさすって身震いした。

 彼女が男性が苦手な原因は、ひょっとしたら、この一連の出来事のせいなのかもしれない。


「晶子さん。水に毒を入れたと言いましたが、その毒はどうやって手に入れたものですか?」


 新伍が質問を変えると、晶子は気を取り直して答えた。


「……玄関の花瓶の水を取りました」

「水溶性の毒が、切り花の先から花瓶の水に溶け出しているのを知っていたから?」

「そうです」


 ほぼ八重子の証言と同じだ。晶子の答えは、新伍にとって望むに足るものだった。


「よく分かりました。それでは晶子さん。水溶性の毒を持つ花を、この中から選んでください」


 机の上の花瓶を手のひらで指し示す。

 晶子は恐る恐る近づいてきて、戸惑いながら指をさした。迷いはない。

 細い指の先に、白い花が揺れている。


「この花の名は?」

「鈴蘭です」


 自信満々な晶子の答えに、新伍はすぐに「違いますね」と否定した。

 八重子がハッと目を見開く。


「鈴蘭は春に咲く花です。この時期には、まだ球根だ。これは、鈴蘭と良く似た外国の花です」


 今は、日毎に寒くなる季節。鈴蘭が咲くのとは真逆の季節。新伍がそう明言したことに、八重子が唖然としていた。


「五島さん、ご存知だったんですか?」

「帝大の理学部には植物学研究室があるんです。そこに友人がいて、彼に教えてもらいました」


 韮崎邸での抑留を解かれた新伍は、この花を一輪失敬して、その足で帝大へ行った。そこで、学友に、いくつか調べ物を頼んでいた。


「貴女がこの花を鈴蘭だと誤認したのは、先程までの僕と八重子さんの会話を部屋の外で聞いていたからだ」


 新伍が八重子と話していたのは、彼女の生まれ故郷と、そこに咲く『鈴蘭という花の毒性』についてだけ。互いに意味ありげに白い花に視線を向けたり、触れたりしていたが、この花が鈴蘭だとは、一度たりとも明言していない。


「あの…もしかして、この花は毒がない、のですか……?」


 自分が何かまずいことを言ったのかと、晶子は戸惑っていた。


「友人によると、異国の花ではありますが、鈴蘭の仲間で、やはり有毒な可能性が高いようです。あまり明確に解明されていないそうですが。八重子さんもそう思ったから、娘さんに注意を促したのでしょう?」


 新伍の説明に、今度は、全員がキョトンとした。八重子でさえ、訳が分からないと困惑していた。


「話が見えんな。結局、毒があるのなら、何の問題なかろう?」


 それまで黙っていた勝川が、皆を代表して口を挟んだ。


「いえいえ、問題大有りです」


 真犯人のくせに、名前すら理解していない曖昧な凶器。

 その曖昧さを分かっていながら、彼女を庇うために、同じく、それを凶器だと主張して、自白する母親。


「随分と粗い筋立てなんですよ」


 新伍の言葉に、その場にいた者たちは皆、不審に眉を顰めたり、訳が分からぬと頭を傾げたりしていた。


「皆に分かるように整理して話せ、探偵気取り」

「いいでしょう」


 腰掛ける八重子、青ざめた顔で手を胸の前で組んでいる晶子。教師らしく背筋を正した姿勢で晶子に寄り添う、内村マキコ。少し離れたところには、韮崎洋品店の制服姿の辻本とヨレヨレの書生服の斎藤がいる。


 そして、隣の部屋との扉の前には勝川警部補と宮前がいた。


 新伍は、皆が見渡せるように、部屋の真ん中に歩み出ると、ゆっくりと告げた。


「それでは改めて、韮崎邸にまつわる三つの事件について、順を追って説明しましょう」



作中に明確には書かなかったのですが、鈴蘭に似た花は、秋咲きスノーフレークを想定しています。

春に咲くスノーフレークは強い毒性があるようですが、アキザキスノーフレークの毒性については実は、明確な記述を見つけられませんでした(私の調べ方が悪いのなもしれません)

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