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19 加代の焦燥


 静かな昼下がり。自室の扉の開く音に、桜子は女学校の課題をしていた手を止めた。


「申し訳ありません。お呼びしたのですが、返事がなかったものですから……」


 集中していて、呼ばれたのに気が付かなかったらしい。部屋の入口で、イツが軽く頭を下げていた。


「何かあったのかしら?」


 桜子が課題に取り組んでいるのは知っている。いつもなら「さっさと課題を終わらせましょう!」と急き立てるのは、むしろイツのほうだ。呼びに来るとは、余程の用事だろう。


「加代さんが、訪ねておみえです」

「加代さん? どうしたのかしら?」


 宮前が、41号の足取りを調べてくれると請け負ってくれたのは、少し前のこと。今は宮前からの連絡を待っている状況のはずだ。何か進展でもあったのか。


「とても急いでいるようにお見受けしました。差し出がましいですが、その……お顔色も、あまりよろしくないようです」


 イツは行きがかり上、加代の事情を知っている。無闇に口は挟むことはしないが、心配なのだろう。


 急いで応接間に行くと、加代が緊張した面持ちで座っていた。出された紅茶には、全く手をつけていないみたいだ。


 加代とは親しくなったとはいえ、彼女にとって一人で胡条家を訪ねるのは気後れするはず。余程のことがあったに違いない。


「加代さん、突然どうしたの?」


 桜子の姿を見るなり、加代が立ち上がった。机についた手が小さく震えている。イツが言うように、焦りと動揺がありありと浮かんでいた。


「桜子さん、どうしよう! サチが……」

「サチさん? 入院していたサチさんに、何かあったの?」

「今朝、お見舞いに行ったら、熱が高いって……咳も酷くて…」


 加代が要領を得ない様子で、「あの、それで……」と繰り返す。いつも明瞭に発言する彼女には珍しく、先の言葉が続かない。サチは結核だ。病状が悪化したのだろう。


「加代さん、落ち着いて」


 桜子は近寄り、加代の背を擦った。手を握り、ゆっくりと背を上下に撫でる。多少効果があったのか、加代は気を取り直して、病院でのことを話し始めた。


「最初は熱が高いから会えないと断られたの。だけど看護婦さんから、サチが呼んでいると言われて、病室に入った。そこで、サチと話したわ」

「サチさんは、なんて?」

「兄さんに会いたいって…早く連れてきてほしいって、泣いていた」


 やはり、と思った。焦る加代の様子から、多分そうだろうと予想はついていた。


 サチの兄ーーーつまり怪盗41号は、正体こそわかっていても、所在は知れず。

 病床のサチの希望を、加代は何とか叶えてあげたい。桜子だって、力になりたい。そのためには、どうすればいいのか。


「宮前さんのところには、行ったの?」


 加代が、ふるふると首を横に振る。


「そう、よね。宮前さん。真っ先に浮かんだのが桜子さんだったから、つい」

「一人で行くのは不安よね。いいわ。加代さん、一緒に行きましょう」


 少し前に、大二が戻っていたはずだ。桜子はイツに準備を頼んだ。


 とりあえず、諧文堂(かいぶんどう)。それでダメなら新伍だ。

 でも、新伍は他にも事件や依頼を抱えている。今から新伍に頼んだとて、何が出来るだろうか。


「桜子さま、大二さんの準備が出来ました」


 あっという間に戻ってきたイツが、桜子と加代を急き立てる。考えている時間は勿体ない。


「大二さんはこの後、次の予定があります。お戻りの人力車は別で手配しておきますので」

「ありがとう」


 桜子は加代の手を引いて、玄関へと向かう。


 二人並んで人力車に座ると、大二がすぐに発進させた。

 行き先は心得ているらしい。桜子が何も指示しなくても、見覚えがあるあたりにやって来て、あっという間に人力車は止まった。

 少々古めかしい、二階建ての建物。大二が足元に台を用意し、加代と桜子が順に降りた。


 諧文堂の中までついて行かなくて大丈夫かと心配そうな大二を帰宅させ、加代とともに階段を登る。


 諧文堂と表示の貼られた扉を叩こうとした、そのとき。戸が突然、内側から開いた。


「うわっ!」


 驚き声をあげたのは、まさに探していた当人、宮前悟だ。


「あぁ、君たちか。どうした? 俺は、チョット急いでいるんだが……」

「宮前さん、出かけるところですか? 少し、お話したいんです」

「いや、本当に急いでいるんだ。悪いが、また後で」


 宮前は、すげなく断り、歩き出す。


「こちらも急いでいるです」


 桜子は負けじと、足を速めた。加代も後から着いてくる。

 足を止める気のない宮前に、桜子は、歩きながら一方的に加代の事情を話した。


「……そんなに良くないのか?」


 歩調は緩めぬまま、しかし加代に尋ねる声色には案じるような響きがある。


「はい。とても熱が高くて……お医者様は、ひょっとしたら危ないかもしれないと仰っていました」


 しばらく無言のまま何か思案していた宮前は、ついに「分かった」と頷いた。


「とりあえず、ついて来い」


 諧文堂の建物を出てから大通りを歩き、既に二つ、三つ、角を曲がっている。

 宮前の目的地は決まっているのだろう。足取りに迷いはない。


「どこに向かっているんですか?」

「韮崎家だ。新しい店じゃなくて、家の方」

「え……どうして、宮前さんが?」


 宮前が、あの事件に関心を持っていたのは分かっている。新伍を紹介したもの桜子だ。だが、いつの間に、韮崎家を訪ねるような関係性になったのか。


 すると、宮前が意外そうな顔をした。


「これから、あそこでちょっとした()()()()が行われる。君の知り合いの書生探偵クンから聞いていないのか?」

「話し合いですか? いえ、聞いていません」


 韮崎洋品店の事件のことは、桜子は完全に蚊帳の外だ。父や時津は知っているかもしれない。だが、桜子にはあまり関わらせないようにしているようだった。


「君の知り合いの探偵クンは、例の事件の犯人がすでに分かっている」

「え、新伍さんが? そう言ったんですか?」

「……新伍さん?」


 宮前の眉がピクリと動いた。

 桜子は、新伍のことを、単に『知り合い』だと告げただけだ。ややこしいことになっても困るから、婚約者候補であることは言っていない。

 知り合いにしては親しげだと思われたのかもしれない。宮前の問いかけるような反芻を、桜子は聞かなかったことにした。


「では韮崎家で、これから五島さんの犯人明かしの推理ショウが始まるのですね?」

「推理ショウか。なかなかいいな。記事の見出しになりそうだ」


 以前、園枝有朋が亡くなった事件のことを思い出す。新伍は胡条邸の応接間に関係者を集めて、推理を披露した。今回も同じようなことをするのだろうか。


「どうして宮前さんが、そのことを?」

「事前に探偵クンに聞いたんだ。実はいうと、今回の犯人探しには、俺も一役買っていてね」

「宮前さんが?」


 宮前といえば、誇張して記事を書く男だ。何か余計なことをしたのではないかと、つい疑ってしまう。


「韮崎家に『銀狐』の予告状が届いたことはお嬢さんも知っているんだろう? …あぁ、勿論、偽物の」


 宮前が慌てて『偽物』と言葉を足したのは、加代が早合点しないようにだろう。韮崎邸での事件を知らない加代に、桜子が掻い摘んで説明する。

 それを、宮前が引き取って付け足した。


「その偽物怪盗は、藤助氏が亡くなった当日、韮崎邸の一階の旧店舗に忍び込んで宝石類を盗んだ。そして、その犯人が昨日、警察に自首したのさ」


 盗人犯は女中のタツ江の兄で松野浩太という。宮前によると、その自首は、自分の功績が大きいのだそうだ。


「探偵クンから頼まれて、俺は怪盗41号の取材のふりをして、松野浩太に近づいた。それで、実は警察が松野を疑っていること、後ろ暗いことがあるなら、さっさと自首をしたほうが身のためだということを、それとなく助言したのさ」


「宮前さんが、そんなことを?! それで本当に自首したというんですか?」

「なかなかの手柄だろう? 正直言うと、単なる取材の何倍も緊張したさ」


 頼んだ新伍も新伍なら、そんなことをやり遂げる宮前も只者ではない。


「でも、その話からすると、五島さんは、タツ江さんのお兄さんが盗人だと分かっていたということですよね?」

「断定はできないと言っていたが、それなりに確信があったんだろうな」


 自分の成果が上手く実を結んだからだろう。宮前はやや得意げだ。


「でも、私が探しているのは偽物ではありません」


 加代が不満を漏らした。

 確かに、ここまでの話に彼女は何の関係もない。切迫している加代には、わけの分からぬ話の顛末に付き合う余裕はない。


「まぁ、まて。この話には続きがある。探偵クンは初めから、『まずは偽物を捕まえる』と言っていた。だが、どう見ても彼の照準は、その先に向いていた。それで俺は、別れ際に『本物の41号を捕まえる算段はあるのか』と聞いた。そしたら、探偵クンはニヤッと笑ったんだ。『逃さないように気をつけます』ってな」


「逃さないように気をつける? 本当に?」


 桜子と加代が顔を見合わせた。

 ということは、逆にいえば、既に何かをつかんでいるということだ。


「もしかして、今回の関係者の中に……?」

「探偵クンの口ぶりから、いる可能性が高いと、俺は思ったね。今日は関係する者たちを一堂に集めると聞いた。そいつらの顔を見れば、戸田クン、君なら分かるかもしれない」

「分かる……でしょうか、私で?」


 加代の声が少し上ずっている。大きな不安や疑念と僅かな希望が混ざったような高揚。


「41号は化けるのが上手いと聞く。性別さえも容易く偽る。見た目は全く別人かもしれない。俺も正直、友人に化けていても見破る自信はない。……だが、それは君が頑張って見分けるしかない」


「でも41号…じゃなくって、与一さんか捕まってしまっては、加代さんは困るのではないかしら?」


 加代は、与一をサチのいる病院に連れていきたいのだ。せっかくみつけても、刑務所にいかれては意味がない。


 桜子の指摘に、二人は少しの間、黙った。

 宮前が「見つけられないよりは、マシだろ。そっから先は捕まえてから考えろ」と呟いた。



 その後も、三人は黙って歩き続けた。

 あまり運動の得意ではない加代は、先ほどから遅れがちになっている。疲労も相まってか、やや息苦しそうだ。宮前に「急げ、急げ」と咳立てられて、コクコクと頷いた。

 韮崎邸に行くと分かっていれば大二に無理言って、加代だけでも送ってもらえばよかったと後悔した頃、件の家が見えた。 


「加代さん、すぐそこよ」


 隣の友を励まして前を向くと、少し先を歩く婦人に気がついた。


 藤色の訪問着に、落ち着いた臙脂色の羽織を重ねて着ている。品の良よい羽織と背筋を伸ばして歩く姿勢に、何となく見覚えがある。

 事件のあった日、韮崎邸の2階の八重子の部屋から見下ろした時に、ちょうど真下を歩いていた貴婦人と似ている気がする。


 方向からすると、韮崎邸の1階の店に向かっているのかもしれない。事件の後も、店は再開しているのだろうか。


 しかし婦人は、韮崎家の一階の店舗の前を素通りした。店の客ではなかったのか。

 彼女はそのまま脇を抜けて、韮崎家の玄関へと向かっていく。


 今、あの家の中では推理ショウが行われているはずだ。こんな最中に、呑気にお客様が来るのかしら。


 韮崎邸の玄関の前には、若い警官が一人、立っていた。これは、いつものことなのか。あの事件以来、足を運んでいない桜子には分からない。


 前を歩いていた女性は、臆する様子もなく、警官に会釈した。

 警官は横にずれると、顎をクイッと動かし、女に「入れ」と合図する。その様子から、女が来ることは、あらかじめ話が通っているのだろうと思った。

 だとすると、何らかの関係者なのだろう。


 女の姿が家の中に消えた頃、ちょうど桜子たちも玄関着いた。


「諧文堂の宮前だ。帝国大学の五島さんの紹介で」


 宮前が警官に声を掛ける。


「諧文堂の宮前さんですね。そちらは……貴方の連れですか?」


 若い警官が、桜子と加代に視線を寄越した。女学生風情の二人を訝しんで、無遠慮に検分してくる。


「あぁ、そうだが」

「申し訳ありません。宮前さんは通って構いませんが、他の方は通せません」


 言葉に反して、たいして申し訳ないことでもなさそうに、警官は断った。


「できたら、一緒に連れて入りたいのだが」

「警部補から、そのような指示は受けておりません」


 口調は丁寧だが、とりつく島がない。加代が焦燥を滲ませ、「どうしましょう?」と宮前に尋ねた。


「仕方がない、俺だけで行こう」


 宮前によると、新伍から告げられていた約束の時間より、すでに遅れているという。

 今頃は、推理ショウの真っ最中の可能性が高く、桜子たちを連れて入るための許可を待つ余裕はない。また、仮に頼んだとしても、入邸許可が出るかどうか分からない。いや、出ない可能性が高いと宮前は判断したのだろう。


「二人はここで待っていろ」


 加代が何か反論しようとしたのを、桜子が袖を引いた。


「待っていましょう」


 前に胡条邸で同じような推理ショウをした時、激昂した真犯人の貞岡しを乃は、新伍を刺した。


 今日も人を集めたのだから、きっと新伍には犯人は分かっている。その人間を、新伍は追い詰めるのだろう。十分に警戒しているはずだが、何が起こるかは分からない。


 新伍は、推理ショウが行われることを桜子に伝えていなかった。桜子に来てほしくなかったのだ。彼の足を引っ張るのは嫌だ。


「この集まりは、怪盗41号を捕まえるためのものではないわ。私たちが入っていっても、混乱を招くだけ。それなら、ここで一旦待ちましょう」


 桜子の説得に、加代は不承不承引いた。


 宮前が警官から、向かう部屋の位置を教えられ、家の中に入った。桜子は加代と二人で見送った。



◇ ◇ ◇



 廊下を歩く足音が近づいくる。


「助っ人というのは、晶子さんがとても信頼を寄せている方ですよ。あぁ、ちょうど見えました」


 新伍が言った直後、応接間の扉が開いた。

 若い警官に連れられてきたのは、品の良い藤色の着物を着た中年女性だ。


 女性にしては背が高いほうだろう。背筋がまっすぐに伸びていて、薙刀を握ったら様になりそうな、威厳のある女教師といった装い。


「先生? 今日は家庭教師の授業は、お休みだとお伝えしたはずですが……」


 女性は、晶子の家庭教師だった。名は内村マキエという。

 突然現れた想定外の来客に、八重子は困惑していた。


「タツ江さんに伝言を頼んだんですよね? 僕がその伝言を撤回しておきました」

「そんな……何のために?」


 八重子は、新伍が来訪を予告した時点で、ある程度、話の内容を予測していたのだろう。自分が犯人だと、罪を告白することも、腹に決めていたのかもしれない。


 だから、晶子を遠くへ逃がし、彼女の家庭教師を休みにしたのだ。


「勿論、この話をするためです」

「先生は関係ないでしょう?」

「いいえ。晶子さんの話の裏付けには、彼女の証言も必要です」


 不満と不安の入り混じった八重子の視線を、新伍は無視して、晶子に話しかけた。


「晶子さん、先程までの話を聞いていたのなら、分かるでしょう? お母さんは自分が藤助社長に毒を盛ったと言っています。では、それに対して晶子さんの意見はいかがですか?」


 再び水を向けられた晶子は、先ほどよりも落ち着いていた。家庭教師が登場したことで、覚悟を決めたのかもしれない。


「母が言っていることは、違っています」


 決然とした言葉に、八重子が息を呑んだ。


「晶子、何も言わないで……」

「黙れ!」


 勝川の、唸るような一喝。晶子の肩がビクンと震える。怯えで口が強く結ばれた。

 

「晶子さん、続けてください。藤助社長を殺害したのが八重子さんでないのなら、一体誰ですか?」


 萎縮した晶子を刺激しないように、新伍が優しく先を促す。

 気を取り直したように、晶子が続けた。


「叔父さんに毒の入った水を渡したのは、母ではありません。私です」


 晶子の自白に、応接間は水を打ったように静まり返った。



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