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18 庇護者たち


「藤助に子どもがいたとは、存じませんでした」


 新伍から聞いた話に、八重子は心底驚いているようだった。


「一時期、頻繁に花街に通っていたのは知っていましたが、特定のお相手がいたなんて……でも、そう。オクノさんと言ったかしら? その方が、藤助に息子さんを隠しておきたいと思った気持ちは、よく分かります」

「藤助さんは、花街では随分と大盤振る舞いだったようですよ」


 八重子の表情に嫌悪が滲む。


「足が遠のいたのは、金が尽きたからでしょうね。藤助は、いつもお金に困っていて、昭一さんに無心をしておりました。実際、私の見ていないところで、幾ばくかは与えていたようです。けれど当時の小間物店は、そう大きな店ではありませんでしたし、無尽蔵に金を渡すわけには参りません。それで昭一さんも、途中から断っていたようです」


「そのことに藤助さんは不満を抱いていた、ということでしょうか?」


「金がないなら、もっと店を大きくすればいいと、よく零しておりました。昭一さんはそんなことを望んでいなかったのに」


 大切な妻のために行商をやめて、ようやく持った自分の店。根を下ろした場所と受け入れてくれた顧客たちを、昭一はとても大事にしていたのだろう。


「実を言うと、当時の私は、藤助の言うことにも一理あると思っていました。せっかく店を構えたのだから、もっと大きくしていくことを考えてもいいのではと、もどかしく感じていたのも事実です。それに、せっかく二人きりの兄弟なのに、昭一さんと藤助が反目しているのは寂しいことですから、私は二人の間を必死に取り持とうとしておりました」


 八重子自身は駆け落ちにより、肉親との縁が切れている。せっかく近くにいる兄弟同士が仲違いするのが、やるせなかったのかもしれない。


「ただ、私が思うように上手くはいかず……次第に私と夫の仲もギスギスするようになってしまいました」


 その心の隙間を、藤助に突かれたのだろう。

 巧妙な立ち回りで二人の疑心を煽り、すれ違いを作り出す。誤解に誤解を重ね、八重子に見捨てられた絶望で、昭一はついに自ら命を絶った。


「全ては藤助が仕組んだことだったと気づいたのは、ずっと後になってからのことです。あの人は、ちまちま金をせびるより、夫の店を奪ってしまったほうが手っ取り早いと考えたのでしょうね。事実、藤助には商才がありましたから、そう思うのも道理だったのかもしれません」


「お二人の不和の裏で藤助さんが暗躍していたと、どうして分かったのですか?」

「自分で言ったのです。夕食の席で、得意げに」


 まるで当時の光景が映っているように、テーブルクロスに向けられた八重子の瞳は、憎々しげな光を帯びていた。ひょっとしたら、藤助の発言は、このテーブルを囲んでいるときのことだったのかもしれない。


「機嫌が良く、珍しくお酒が回って、つい口を滑らせたのでしょう。彼は昭一さんが命を絶ったことは結果的に良いことだったと言いました。昭一さんが邪魔だったから、勝手にいなくなってくれて幸いだったと。悪気などなく、まるで遊戯の手札を弄ぶような言い草で……」


 八重子はそこで言葉を切った。苦しそうに胸を押さえ、何度も小さく息を吐く。悔しくてたまらないのだろう。目尻に涙が光った。


 八重子の発言は、オクノの言った『世間を遊戯のように捉えている』という言葉と重なる。多分、それが韮崎藤助の本質なのだ。


 何度か深呼吸をして徐々に落ち着いてくると、八重子は、また話を続けた。


「藤助は『今の繁栄は全て、自分のおかげだ。自分が後を継いだからこそ、韮崎洋品店はこれだけ大きくなったのだ』と、『あのまま兄キに任せていたら、いつまで経っても吹けば消える街の商店のままだっただろうよ』と、上機嫌でした」


 吹けば消えるような小さな商店を、城のように大切に守ってきた夫の想いを知る八重子にとって、この心ない言葉はいかに凶悪的に響いたであろう。


「貴女はそれで、藤助さんのことを憎むようになったのですね?」

「いつか、この手で藤助に復讐してやろうと決めていました」


 八重子が自らの手を見る。綺麗なレースを紡ぐ、細く長い指。

 その人差し指がスッと伸びてきて、花瓶に差さった小さな花に触れる。可愛らしい釣り鐘型の花が揺れた。


「あの日、藤助さんが帰ってきたのを、タツ江さんが目撃していますよね。八重子さんは、いつ藤助さんに毒の入ったコップを渡したのですか?」


 藤助が帰ってきてから遺体で発見されるまで、八重子はほとんどの時間、誰かと一緒にいたはずだ。初めは桜子と自室でレースを編んでいたし、応接間に移ってからは新伍が同席していた。


「桜子さんと一緒にいるときですよ。レースを編んでいるときに必要な糸がなくて、中座したんです。誰にも見られないように一階のお店に行き、そこで盗人の偽装工作をしている藤助を労い、お水を渡しました。」


「その時の藤助さんの様子は、いかがでしたか?」

「特に怪しむようではなく、受け取りましたよ」

「飲んだあとの藤助さんの様子です。苦しそうでしたか?」


 あまりにも直接的な表現に、八重子が嫌そうに顔を顰めた。


「……そうですね」


 言葉少なな肯定に、新伍は重ねて尋ねた。


「毒を煽ったのです。苦悶を浮かべのた打ち回り、当然、吐いたりもしたのでしょう?」

「えぇ、まぁ……」

「で、八重子さんはどうやって、それを片付けたんですか?」

「……え?」


 新伍の意図を測りかねているのだろう。戸惑う八重子に説いた。


「鈴蘭の毒は静かに、眠るように死に至る毒ではない。頭痛や嘔吐を引き起こします。藤助さんは、かなり苦しみながら亡くなったはずだ」


 だが、藤助は品行方正に椅子に腰かけ、息絶えていた。衣服にも目立った汚れはなかった。


「桜子さんから聞いたところでは、八重子さんが中座したのは、ものの数分だったかと。その数分で、一階に行き、毒入の水を飲ませるのは可能でしょう。ですが、嘔吐した後を綺麗に片付け戻ってくるには、少々時間が足りないかと思うのです」


「どうでしょう? 時間の長さは、時と場合によって、感じ方が異なります。……吐いたのは勘違いかもしれません。ただ、苦しそうにしていただけで。何分、動揺しておりましたので」


 八重子は弁明を述べたが、新伍が藤助を検分した時、口の周りには胃液のすえた臭いがした。多少なりとも吐いてはいるはずだ。


「そうですか。でも相当、苦しんだはずです。床にのた打ち回って、机をひっくり返すほどに暴れたでしょう?」


 今度は警戒してか、何も答えなかった。だが、新伍は構わず進めた。


「それほどに苦しんでいれば、物が落ちる音や人が倒れる音がしても不思議ではありません。それについては、どう説明しますか?」


 今度は八重子は、「覚えていません」と答えるに留めた。


「亡くなった状況など、別に何でもいいでしょう? あまり気分の良いものではないので、思い出したくないのです」

「八重子さん。覚えていない、ではなく『知らない』が正しいのではないですか?」


 八重子がムッと眉を顰めた。


「何をおっしゃりたいのですか?」

「貴女は藤助さんが亡くなった時のことを説明できないということです。なぜなら八重子さん。貴女は犯人ではないから」


 新伍の指摘に、八重子の表情が強張った。


「いいえ、違います」


 大きく首を左右に振ると、震える声で反論した。


「……私が犯人です。間違いありません」


 断定的だが、それだけは新伍の指摘に十分な証左を持った反論とはならない。

 壁際の従業員たちは、新伍と八重子のやり取りを固唾を飲んで見守っている。だが、やはり八重子の潔白を信じたいようだ。辻本は、先程から新伍の指摘した矛盾点に同意するように小さく頷いている。


「もう一度言います。八重子さんは犯人ではない。他の人を庇っているだけです」


 新伍ははっきり繰り返すと、先程、八重子が触れていた花に視線を移した。


「花や切り花をつけた水に、人が死に至る程の毒があることを、貴女は誰かに話しましたか?」

「誰にも話していません。そんなことは、誰も知りません」


「藤助さんが、昭一さんの亡くなった話を得意げに語った時、その夕食の席で、他に一緒にいたのは誰ですか? あるいは、貴女が自ら罪をかぶってでも守りたい人は誰ですか?」


 そんな人間は一人だろう。オクノと同様、八重子もまた母親なのだから。


 新伍が呈した疑義の向かう先に、辻本と斎藤も気がついたようだ。今度は一転して、そんなはずはないと、怒りに顔が強張った。


 二人の立っている側の扉に向かって、新伍が声をかけた。


「勝川警部補、入ってください」


 ゆっくりと扉が開く。


 現れたのは、いつもの湿った目つきに口ひげを蓄えた警部補の勝川。そして、その後ろに、小柄な着物姿が見え隠れしていた。


「中へどうぞ、()()()()


 新伍が改めて声をかけると、少女がおずおずと部屋に足を踏み入れた。同時にに、バンッと椅子が転がる音がした


「晶子ッ?! なぜ、貴女がここに?」


 勢い良く立ち上がった八重子なせいで、椅子が倒れたようだ。


「人力車を手配してあったでしょう?! どうして乗らなかったのよ!」


 八重子が焦燥混じりの叱責を娘に浴びせながら、駆け寄ろうとした。だが、勝川が二人の間に立ちはだかる。


「席に戻れ」


 勝川が睨まれ、八重子は立ち止まった。有無を言わさぬ威圧。八重子は何とかその馬に踏みとどまろうとしたが、結局は諦めて椅子に戻った。


「八重子さんの驚きは分かります。自分の実家に向かわせたはずの晶子さんが、ここにいるのですから」


 人力車で甲州街道を西に進み、途中の宿場町から手紙を書いて親族に迎えに来させる算段になっていたようだ。それを警察が先回りして、確保した。


「絶縁した生家に頭を下げるなど、余程の理由があったのでしょうね?」

「困りますな、勝手に事件の関係者を遠くにやられては」


 自分の企みが露見していることに、八重子の顔面は蒼白になった。罪を告白した先程までよりも、ずっと顔色が悪い。


 だが、残念ながら本題はこれからだ。


「晶子さんと勝川警部補には、隣の部屋との扉を少し開けて、こちらの話を聞いておいていただくように、お願いしていました。二人とも、確かにこれまでの話を聞いていましたね?」


 勝川が「あぁ」とぶっきらぼうな返事をした。晶子は青ざめた顔のまま突っ立っている。だが勝川に聞こえていた以上、疑う余地もなく、晶子も聞いていたはずだ。


「お聞きの通り、八重子さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()、自分が韮崎藤助さんに毒を飲ませた犯人だと言い張っています。そのことについて、晶子さんはどう思いますか?」


 晶子は両手を行儀良く体の前で重ねたまま、俯いて固まっていた。


「五島さん。晶子は内向的な性格なんです。ましてや、怖い刑事さんの隣。そんなふうに詰問されても答えることなどできませんーー晶子、何も言わなくてもいいのよ」


 何とか気持ちを立て直した八重子が、助け舟を出す。それに、辻本が乗った。


「そうです、お嬢さん。相手にする必要はありません!」


 辻本が恩義ある雇い主と娘を守ろうと、意を決したように前に出る。


「五島さん、あなたの口ぶりでは、まるで晶子さんを疑っているように聞こえます。失礼ですよ」

「そ、そ…そうです」


 同僚の勇気に感化されたのか、斎藤も、もごもごと同調した。


「お嬢さん、どうぞこちらへ。私たちの方へ来てください」


 二人が晶子を庇おうと、自分たちの方に呼んだ。晶子もおずおずと足を踏み出した。


「晶子さん」


 新伍が名を呼ぶと、晶子の肩がビクリと震えた。歩き出そうとした足が止まる。


「藤助さんに毒を盛ったのは、八重子さんではなく、貴女なのでしょう?」


「違います!!」


 即座に声を張り上げて否定したのは、晶子ではない。八重子だ。


 晶子は、からくり人形のようにぎこちない仕草で、ゆっくりと新伍の方を振り向いた。怯えの表情がお面のように張り付いている。


「やめてください、五島さん! 娘は何も知りません。何も言いません」

「いいえ、語っていただなくては困るのですよ」


 そうだ。話してもらわねばならない。新伍の推理は、ここからが本番なのだ。


「晶子さん。貴女が真相を語るために、強力な助っ人を呼んでいますよ。貴女がとても信頼を寄せている方です」


 その瞬間、新たな来客を迎えるように、廊下に面した扉が開いた。


この辺りも、会話が長くてゴメンナサイ…と思いながら書いていました。

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