黒瀬ヒカリと藤先生(2)
藤先生は、静かに立ち上がった。
「話を聞く前に、試させてもらっても良いかしら?」
藤先生がそこに佇んでいるだけで、この空間が凍り付くような緊張感に包まれる。
「技が鈍っていたのでは、悩み以前に、」
「その性根を叩き直さねばならないと言うものよ」
ヒカリも少し困った様子で立ち上がる。
「わかりました」
「いきなり本気とか無しですよ、、、」
藤先生の手が差し出されて、その胸の高さで停止する。
「いつでもどうぞ」
「では、、」
と言うとヒカリは、その差し出された手を掴みに行く。
次の瞬間、ヒカリの身体がまるで力を失くしたように垂直に沈む。
ヒカリは、自ら倒れ込む。
抵抗すれば完全に崩されて、立ち上がる事が出来なくなるからだ。
そのまま藤先生の横に、倒れ込んだ勢いを利用して前転し受け身を取る。
そしてヒカリは立ち上がりながら、
「さすが達人、、、というか超人ですね、、」
藤先生は、ニッコリ笑うと、
「フフフ、、、そう言えば、」
「貴女が初めて私の元へ来た時の理由は、何だったかしらねぇ」
ヒカリは困ってしまった。
何故そんな事を今聞くのか?
ひょっとして私の動揺を誘って、技のキレを見ようという腹か?
再び差し出された藤先生の手と、ヒカリの手が接触する。
ヒカリは呟くように言葉を紡ぐ。
「それは、、、」
「以前の私は、心が弱い上、、」
「他人まで傷つけて、、、」
ヒカリの手が藤先生の手を握ったまま微動だにしない。
「正直、自分に嫌気がさしていたんです」
藤先生は、静かにヒカリを見据えたまま話に耳を傾ける。
「そんな時に偶然、、」
「自身や相手を守る事、」
「それに他人との融和を説いていた藤先生の事を知ったんです」
突然、藤先生の体勢が崩れる。
ヒカリは全く動いていないが、ストンと藤先生の身体が垂直に崩れた。
何も無かったように話を続けるヒカリ。
「藤先生の合気道は、私にとって目が覚めるものでした」
ヒカリの技がかかった藤先生は、しゃがみ込むように動きが取れなくなってしまう。
藤先生を見つめて微笑むヒカリ。
「だから私は思い切って、先生の元を訪ねたんですよ」
ニヤリとする藤先生。
「そうでしたね、、」
ヒカリが技を解いて藤先生から離れた。
藤先生は立ち上がると、
「お見事です、鈍っていないようで良かったわ」
ホッとした様子のヒカリ。
上座の方に戻って藤先生は腰を下ろすと、
「で、、悩みというのは、、」
「異性の方との事かしら?」
座ろうとしていたヒカリが、驚いて固まる。
「え?!」
「どうして、、わかるんですか?」
藤先生は考えるような仕草で、
「先程、一合した時ね、」
「ヒカリさん、凄く柔らかいと言うか優しかったのよね」
そしてニッコリとヒカリに微笑みかける藤先生。
「異性に対しての愛情を知った時、」
「人は変わってしまうものよね、、特に若い人達は」
ヒカリは照れた様子で少し俯く。
「さすがですね、、」
静かにヒカリを見据えて藤先生は、
「以前のあなたは、とても鋭かったわ」
「ただ単に鋭くて強いだけだった、、」
嬉しそうに藤先生は表情を変える。
「でも今のあなたは、とても柔らかくて柔軟で、」
「バランスのとれた強さで、」
「だから直ぐに分かったわよ」
「ヒカリさんのそのお相手は、あなたにとても良い影響を与えたのね」
それを聞いたヒカリは、恥ずかしくなって俯いたまま小さくなってしまう。
藤先生は不思議そうにする。
「でも変ねぇ」
「頭の中が一面お花畑のヒカリさんに、何の悩みがあるのかしら?」
ヒカリは俯いたまま話し出す。
「実は、、」
「私の大切な人が、私の前ではいつも元気で明るくて、優しいんです」
「でも本当は凄く寂しそうで、」
「解消しきれない何か、、ストレスのような物を抱えていて、、」
「どうしたらいいのか、、、」
無言で考え込む藤先生。
そして藤先生は、ヒカリを見据えて、
「ヒカリさんは、その方に言葉で何か伝えたのかしら?」
突然の質問に虚を突かれるヒカリ。
「え? 言葉ですか?」
藤先生は静かに頷く。
少し思案した後、ヒカリは顔を赤くする。
「傍に居ると、、言いました」
すると藤先生は、傍に来てヒカリの手に自分の手を重ねる。
「なら、その言葉通りに傍に居てあげなさい」
そして優しく諭すように続ける。
「人はね、寂しい時や悲しい時、それに何かあった時に、」
「大好きで大切な人が傍に居ないと、とても辛いものよ」
不安そうにヒカリは藤先生を見つめる。
「傍に居るだけでいいのですか?」
ヒカリの頭を抱えるように抱き寄せる藤先生。
「そうよ」
「それに何かあった時、あなたが傍に居なかったら、」
「あなた自身が後悔するでしょう?」
ヒカリは抱き寄せられたまま、安堵するように呟く。
「そうですね、、、」
藤先生は、ヒカリを離すと、
「もう大丈夫かしら?」
小さく頷くヒカリ。
「はい、、、」
そしてヒカリは、藤先生に頭を下げる。
「いつも悩みを聞いていただいて、ありがとうございます」
小さく笑いながら藤先生は、
「気にしなくていいのよ」
「逆にこの年寄りを頼ってくれて嬉しいし」
「それに貴女は綺麗で可愛いから、目の保養になるわぁ」
と言いながらヒカリを眺める。
「えええ?!」と困り顔のヒカリ。
その上、藤先生から立ち上がってちゃんと見せてとリクエストされる。
仕方なく立ち上がり、ヒカリは本日のコーデを見せてあげた。
藤先生は感心したように、
「ヒカリさんは、艶やかな服装が似合うと思っていたのだけど、」
「こう言った可愛らしい服装も似合うわねぇ」
照れてしまうヒカリ。
「、、、、、」
さらに追い討ちのように藤先生は、
「私は娘がいないから、貴女のような可愛くて綺麗な子が、」
「うちの子になってくれたら嬉しいのだけど、、」
ヒカリは色んな意味で居たたまれなくなった。
これはつまり、藤先生の家に嫁ぎに来いと言う事だ。
古武術の後継と言う意味もあるだろうが、ヒカリからすれば兎に角困ってしまう。
『私は、本当は男なんです、、』
なんて言える訳もない。
ここは逃げるしかないと思いヒカリは、
「そろそろ、お暇しますね、、」
藤先生は残念そうな顔をする。
「あら、そう?」
「もっとゆっくりして行けばいいのに、、」
「何か用事でもあるのかしら?」
ヒカリは申し訳なさそうに、
「は、はい、、」
「すみません、、」
特に気にした風も無く、ヒカリを見送ろうと藤先生は立ち上がる。
「また来てちょうだいね」
「何も無くても、来てくれていいのだから」
「私も嬉しいし」
ヒカリは頭を下げると、
「はい、ありがとうございます」
「見送りは大丈夫ですので、これで失礼します」
道場から静かに出て行くヒカリ。
その背を何だか楽しそうに藤妙子は見送る。
『本当に可愛らしいお嬢さんね』
そしてニヤリと笑む。
『いえ、、違ったわね、、』
『可愛らしい、、男の子か、、』




