美女か野郎か黒服か
「あー……もう、俺すげぇかっこ悪い」
鼻をすすりながら掠れた声で唸るアデルが可笑しくて口元が緩む。
背中を摩る手も、抱き締められている身体も震えていない。
アデルの肩に頬をつけ、この人はやはりあの姉の親友なのだと実感した。
『へぇ……君が妹ちゃんね』
我が家の玄関で姉と押し問答をしていた彼の印象は最悪だった。
穴が空くほど上から下までまじまじと見つめられ、へらっと笑ったと思ったら妹ちゃんときた。
この人は無理。絶対に合わない。
姉の知り合いだからと軽く頭を下げその場を脱出した。
もう会うことはないと軽く考えていたのがいけなかったのだろう。
リビングのソファーで本を読みながら寛いでいた私の前に再び彼は現れた。
『よぉ、水羊羹食うか?』
姉に羽交い締めにされながら、私の好物を持って……。
憎たらしいくらいに飄々とし、決して無理に距離を詰めることはせず、置物だとでも思えとばかりに振る舞う俺様。
いつからか、私と姉と透君。三人でいることが当たり前になっていた。
「悪い、苦しくなかったか?」
「大丈夫よ」
ゆっくり身体を離し、泣いて真っ赤になったアデルの瞳を見つめ微笑んだ。
お互い随分と酷い顔をしていることだろう。
アデルの瞳がゆらゆらと揺れ、次々に零れ落ちていく涙。
あの俺様もこんなに泣くのかと茫然としながら、私の頬へ手が伸ばされるのを視界の端に捉えた。
「……泣くなよ」
「泣いているのは貴方の方でしょ」
「……そうだな」
アデルは伸ばした手を握りしめ元の位置に戻し、「もう、気軽に触れられないな」と眩しそうに私を見てぽつりと溢した。
ぽろぽろ泣いていた俺様は、切り替えが早いらしい。
「しかし……よりにもよって、それか」
顔を腕で拭い、私の向かい側へと腰を下ろしたアデルは改めて私を上から下まで観察したあと眉間に皺を寄せそう言った。
泣いていたのが嘘のように太々しい態度だ。
「……面目無い」
「お前のことだから、町娘にでもなって男を威嚇しながら一生涯独身を貫く生活かと思ってたわ」
「それが良かったわよ」
「まじか……王妃様かよ、まじか……」
「本当に面目無い」
頭を抱え項垂れる気持ちは十分過ぎるほど分かる。
「ここさ、あのゲームの世界だよな?」
「姉さんが発狂しながらやってたゲームで間違ってないと思うわ」
「だよな……にしては、何か色々おかしくないか?」
「……おかしいとは?」
「ベディング侯爵のことはもう聞いたか?」
「えぇ」
「ベディング侯爵の処罰に、近衛騎士隊の再編」
「……」
「フランに熱を上げていた王様が急に違う方向へ動き出した。夜会が終わって直ぐにだ。何があった?」
私が覚えてないだけかとも思っていたが、アデルから見てもおかしいのならもう間違いないのだろう。
先ずはと、私はラバンのお兄様の話しから始めた。ゲームでは仲が良いとはいえないレイトンとセリーヌ。
それが、何故かこの世界ではシスコンになってしまったレイトン・フォーサイス。
「は?シスコン……」と呟くアデルを横目にヴィアンに嫁いできた頃のセリーヌのこと、
記憶を思い出したあとのアーチボルトとの遣り取りまでを話しカップに口をつける。
「殴った……取り引きって……」と額を押さえるアデルにもお茶を薦め、テディとの出会いを脳筋クライヴと比較しながらいかにうちの子が素晴らしいかを熱弁してみた。
「大好きだな……テディのこと」
「当たり前よ。そこらの貴族の坊ちゃん騎士になんてうちのテディは負けないくらい優秀な優しい良い子なのよ。お嫁さんはしっかり見極めてあげないと」
「お前は、テディの保護者か何かか?」
「何をとち狂っているのよ。私はテディの上司よ」
「そうじゃなくてな……」
有能な部下を褒めただけなのに。「ぁー、もういい……次いけ」と何故か呆れるアデルに首を傾げ、夜会前のアメリア嬢とフランの違和感に腹黒宰相との話し合ったこれからのこと、夜会中の騒動は「あれはばっちし見てた」と言われたので省き、誘拐されセオフィラスに助けてもらったこと、夜会後にアーチボルトにブチ切れて不貞寝したことまでを話し終えた。
「大体こんな感じかしら?」
「…………いや、待て。こんな感じかしら?とか可愛らしく言うような内容じゃないよな」
「ストーリーが違うとは何度か思っていたのよ。でも、フランからは見えない王妃視点かゲームの続編でしたとかよくあるじゃない」
「続編なんてもんは俺が生きていた間一度もなかったはずだ。よって、筋書きを変えているのは間違い無くお前。そもそもセリーヌ・フォーサイスは辛いこと、苦しいことを一人で我慢する女だろ?思い詰めてナイフ振り回すくらいだし」
「あれを我慢して耐えろと?」
「耐えられなくてぶん殴ったんだろーが。まあ、やってることは変わらないか?ナイフか素手の違いだし」
「ナイフを持っていたのなら、私は間違いなくアーチボルトを狙うわよ」
「絶対に先が尖ったものは持たせないからな!?まあ、フランに関しては気をつけておく」
アデルはちらっと背後の扉を見て寂しそうな顔を私に向け、それに苦笑しながら頷いた。
かなり時間が経っている。幾ら護衛だとはいってもそろそろ不味い。
「お前、最後の記憶は?」
多分この問いで最後。
次はいつこんな風に気安く接することが出来るかは分からない。もしかしたら、一生ないかもしれない。
「えっと、車の中と、クラクションに急ブレーキ……姉の横顔……」
「分かった、それ以上思い出すな」
「何があったのかは良く覚えていないわ」
「お前がそれなら、あいつもそこまでは覚えているのか……不味いな。かなりの確率であいつもこの世界にいるはずだ心当たりは?」
「ないわよ。姉さんなら女性に生まれ変わってても可笑しくはないでしょ?私達よりも探すのは難しいわ」
「あいつは絶対に野郎に生まれ変わってる。兎に角、早く見つけてお前がこの世界にいることを知らせないと何するかわからないぞ」
「……え、姉さんそんな不穏分子なの?」
「お前が側にいないと最悪。俺が普段どんだけ理不尽な扱いを受けてきたか」
「絶世の美女を探してみるわ」
「だから、野郎を探せ!」
美女だ野郎だと騒いでいたら控えめに扉がノックされた。どうやら時間切れらしい。
ソファーから立ち上がり、数歩後ろへ下がったアデルは床に膝をつきすっと息を吸った。
王妃と護衛、王族と商家。
身分が私達を隔てる。
「アデル・ブリットンは、生涯貴方と共に」
大丈夫、心配するな、前世のようにはいかなくてもずっと側にいるから。
私にはそう聞こえた。
アデルの真剣な眼差しと誓いの言葉に微笑み「どうぞ」と扉の外にいる大切な者達へ声をかけた。
*******
昼食を終え、テディとアデルの隊服と私のドレスを作るために業者との話し合い。
黒い隊服に嬉しそうにするテディとは違いアデルは若干顔が引きつっていた。
黒はレイトンのイメージカラーだと気づいたのだろう。だが、テディが喜んでいるのだから変える気はない。
部屋の改装もある程度打ち合わせが終わった頃、アネリにそっと耳打ちされた。
「アーチボルト様がお呼びです。ラバンからの使者がセリーヌ様にお会いしたいと」
何故今頃になってラバンから使者が?
エムとエマに改装を任せ、私は護衛二人とアネリを連れアーチボルトの元へと向かった。
ついた部屋の外には近衛騎士の隊服を着ている見慣れない厳つい騎士が二人。
数回瞬きをしてみるが、やはりキラキラ騎士ではなく頼りになりそうな厳つい騎士。
にっと笑顔で頭を下げた騎士は扉をノックし私の訪れを中に知らせた。
本人は微笑んだつもりなのだろう、ぎこちない動きで開けてくれた扉。彼等は多分貴族ではない。
「ありがとう」
「……い、いえ、滅相もないです」
慌ててぶんぶんと首を振る厳つい騎士に自然と笑顔になる。
初めて会ったときのテディを思い出していると、椅子に座っていたアーチボルトが立ち上がり走り寄って来た。
「セリーヌ、大丈夫なのか?」
「はい、ご心配をおかけしました」
数歩離れた辺りで忙しなく私を見回すアーチボルト。何がしたいのだろうか……。
「そうか、良かった。急ですまないがラバンからの使者がどうしてもセリーヌに会いたいと言われて……セリーヌも久々に祖国の者と話したいかと思ってな」
微かに俯きながら言葉尻が小さくなっていくアーチボルトはしょんぼりした犬に見えるのだけど。
顔を合わせない間に何が起きたの?
「触れても、良いか?」
そっと差し出された手とアーチボルトを交互に見て、唖然としながらもエスコートかと手を乗せた。
あまりの変わりように絶句しながら進み、ラバンの使者を見て足を止めた。
「お久しぶりです、我が主様の大切なセリーヌ様」
子供のようなあどけない表情でふんわりと笑ったのはレイトン・フォーサイスの右腕、ラバンの王族に仕える影を纏める者。
「ギー、久しぶりね」
よりにもよって……兄の直属、黒服隊のギーが使者だった。




