神のいない世界で
リアノーラは宣言通りエドワードを連行して屋敷の探検に乗り出していた。今日はエドワードも私服である。2人とも貴族なので、場所をわきまえた上品な服装をしている。リアノーラは動きやすい青のドレスだ。
この屋敷には、ギャラリーが存在した。カントリーハウスのはずだが、来客が多いからだろう。何しろ、シェフィールドで最も景色の良い場所である湖水地方に建っているのだから。リアノーラはエドワードとギャラリーに来ていた。
「歴代のシェフィールド大公ね……ここからは、シェフィールド王だわ」
リアノーラはゆっくりと歩きながら飾られた絵を見る。王都の宮殿にも、同じようなギャラリーは存在する。そちらには、歴代のアルビオン王、そして、シェフィールドとベイリアルの歴代大公の肖像画も飾られている。アルビオンを統一したヴィクトリア3世の意志である。
思えば、アルビオンは女性の王が大きなことを成し遂げたことが多い。珍しいから、積極的に書き遺されているだけかもしれないけど。
「確か、先のシェフィールド大公がウィリアム3世の妹を嫁にもらったんだよな」
「ええ、そうね。エイプリル王女ね。私の大おばあ様にあたるわね」
リアノーラがエドワードの問いに答えた。さらりとした言葉に、エドワードが苦笑する。
「そういえばお前、王族だったな」
思い出したように言った。最近では、王族と貴族くらいでは差がわからなくなってきているのは事実だ。ただ、王族の方がメディアに顔を出す機会が多い。
ハーヴェイの大公就任10周年のパーティーは明後日だ。そのパーティーの警護計画もユリシーズがたてている。さすがに、ユーフェミアをソフィアの代役として出すのは却下された。それはない。ハーヴェイに上げ足を取られたくはなかった。
「そうよ。王位継承権第6位の王女なのよ。敬いなさい」
ころころと笑って見せれば、さすがに冗談にしか聞こえない。リアノーラの言葉が冗談だとわかるくらいには、エドワードと付き合いが長い。
第6位とはいえ、リアノーラに王位が回ってくる可能性は、リアノーラがフェアファンクス公爵になるのと同程度だろう。つまり、可能性としてはほとんど考えられない。ほとんど考えられないところから女王になった、エリザベス女王やベアトリス2世のような人もいるが、それはかなり特殊な例だった。
エドワードも笑みを浮かべ、コロコロ笑うリアノーラの頬に触れた。リアノーラはくすぐったそうに首をすくめる。
「そうだな。お前が女王になったら敬うよ」
「そんな日は永遠に来ないってことね」
リアノーラはくすくすと笑った。さすがに本格的にくすぐったくなってきたので、エドワードの手をむりやり引きはがした。
「いつまで触ってるのよ。くすぐったいわ」
「これは失礼」
代わりに、エドワードはリアノーラの頭をなでた。
「リアはエイプリル王女に会ったことはあるのか?」
「あるわよ。10年前に、一度だけね」
ウィリアム3世の妹であり、ベアトリス2世の第1王女であるエイプリルには、一度だけあったことがある。10年前に、ハーヴェイが父親から大公位を継いだ時だ。そんなエイプリルも翌年にはなくなっている。
先の大公も、エイプリルも為政者として優秀だった。そんな2人の息子がハーヴェイのような男なのだから、世の中遺伝というものに過度な期待はできないようだ。
ギャラリーを抜けると、バルコニーがあった。そこからは湖水地方のゆえんである湖が見える。リアノーラはちょっと目を細めた。
「滞在中に、見に行くくらいはできるかな」
「そうね。それくらいはね」
リアノーラもエドワードにうなずいた。ふわっと優しい風が2人に吹き付ける。そこに、女性の声がかかった。
「こんにちは」
振り返ると、エリノアだった。金髪碧眼はアルビオン人によく見られる特徴である。ウェーブがかった金髪は丹念に巻かれており、派手な赤色のドレスを着ている。釣り目気味の眼を誇張するアイメイクが施され、元は美人だろうになんだか不自然な顔立ちになっている。なんだか人工的に作ったように見えるのだ。
「少しよろしいかしら」
エリノアはリアノーラの全身を見て、鼻で笑うような顔をしながら言った。おそらく、リアノーラが動きやすい質素な格好をしているので、馬鹿にしているのだろう。失礼な話だ。
しかし、そんな感情はおくびにも出さず、リアノーラはおっとりとほほ笑んだ。
「まあ、エリノア様。もちろん、よろしいですわよ」
だれだ、お前、と言わんばかりの雰囲気が隣のエドワードから漂ってきたが、無視する。雰囲気はともかく、エドワードも表情を取り繕えるくらいにはポーカーフェイスが得意だ。
エリノアは馬鹿にしたのも気づかないのかこの小娘、と言わんばかりに表情をゆがめた。わかっているに決まっているのに。見る目がないのはエリノアの方である。
「そう。リアノーラ様、よろしければ、わたくしと教会に行きませんこと?」
「教会、ですか」
「ええ。我らがシェフィールドが誇るアリンガム大聖堂ですわ」
「行きます」
リアノーラは即答した。是非に行きたいと思っていたところだ。彼女の目的である、宝珠を捜しに。
即答したリアノーラに、エリノアは驚いた様子だった。リアノーラははっとしておっとりとほほ笑む。
「私、魔術を使うので、教会には興味があるんです。私でよければ、同行させてください」
かなり無理やりな理由だったが、エリノアは特につっこんでこなかった。その前に、エドワードが発言したからだ。絶妙のタイミングだった。
「エリノア様。私も行ってよろしいでしょうか?」
リアノーラに対等な態度をとるエドワードだが、さすがは貴族というか、行儀作法は一流だ。身分で言えば、エリノアは大公家の令嬢、エドワードは侯爵家の子息。エリノアの方が身分が上なのである。腹立たしいことに。
予測通り、エリノアはエドワードを見下した態度で言った。
「侯爵子息は引っ込んでいることね。エドワードだったかしら。女同士の楽しい旅行に水を差す気?」
この発言を聞くと、一応、エリノアもリアノーラには遠慮していたことがわかる。優しいエドワードは、軽く顔を引きつらせるだけで終わった。
リアノーラの精神安定剤としてぜひついてきてほしかったのだが、誤算だ。エドワードは、ナイツ・オブ・ラウンドではリアノーラの次に身分が高い。エドワードでこれなら、エリノアは他のものをもっと見下し、相手にしない可能性がある。これだから貴族は。いや、自分もか。
なら、何だ? お父様を連れてくればいいのか? アルヴィンは元騎士だし、公爵だし、宰相だ。しかし、それだと保護者同伴のお出かけになってしまう。穏やかな表情でめまぐるしく頭を働かせていると、穏やかな声がかかった。
「なら、私がご一緒させていただいてもよろしいですか?」
そう言ったのはエリスだった。エリスは平民出身だが、外見からは女にしか見えない。格好は質のいい男物だが、それでも女に見えるくらいに容姿が整っているのだ。
「……そうね。あなたならいいわ。わたくしとリアノーラ様の邪魔をしないでね」
「心得ております。じゃあ、エドワード。私が君の婚約者を護るから」
エリスがニコッと笑ってエドワードに言った。腹黒く見える。エリスだから、仕方がないけど。エドワードはひきつった笑みを浮かべて、「頼む」とだけ言った。
どうやら、エリノアは「男」に同行してほしくなかったらしい。男というか、剣士か。エドワードは背が高く、リアノーラが惚れるくらいには筋肉がついている。これで細身だったら、エリスと同じとまではいかなくても、かなり中性的に見えただろう。
対してエリスは女顔で細身だ。脱げばリアノーラよりよほどたくましいのだが、そんなことは服の上からわからない。リアノーラも魔術師で通しているので、剣士には見えない。エリノアは、腕力が力のすべて……だとは思っていないだろうが、エリスとリアノーラが、ある意味エドワードより強い武器を持っていることに思い当たらないらしい。
アリンガム教会は、湖水地方の最も景色の良いところに建っていた。祈りに来る人はいるようで、扉は開いていた。しかし、リアノーラたちが来たときには誰も人がいなかった。
「主教様はいらっしゃらないのかしら」
「奥にはいらっしゃると思いますわよ。説教をお聞きしたいのかしら?」
エリノアがリアノーラに尋ねた。リアノーラは「そうではないですけど」と首を傾けた。
「なら、別によろしいではありませんか。主教様がいなくても」
なんだろう。ここの司教はなめられているのだろうか。まあ、王家と同じく、宗教も形骸化してきたのは確かだけど。
「アリンガム大聖堂は、我らがシェフィールドでは2番目に大きな教会ですわ。湖水地方は旅行地でもありますので、特に旅の安全などを祈りに来る人が多いらしいですわね」
「そうなのですか。確かに、立派ですものね」
「当然ですわ」
リアノーラのそつない返答に、エリノアは馬鹿にするように言った。リアノーラはエリノアの後をついて歩きながら、こっそりと魔術を展開し、宝珠の行方を探っていた。やっぱりセレストを連れてくるべきだっただろうか。
最も問題なのは。リアノーラが宝珠の本物を知らないことである。知らなくても探せるが、いまいちピンとこないのである。
「ねえ、リアノーラ様。あなた、神の存在は信じておられる?」
「はい?」
突然そんなことを聞かれて、リアノーラはうっかり術を解いてしまった。気づくと、宗教画をモチーフにしたステンドグラスの前に来ていた。エリスと顔を見合わせる。そういえば、ここに来る途中の汽車の中で、ステンドグラスが割れたな。
「神の存在は、信じているのかとお聞きしましたの」
エリノアが再び言った。それは教会内で尋ねることではないだろう。そう思いながら、リアノーラは慎重に言葉を選ぶ。
「そうですわね……難しいご質問です。私は、神はこの世界を去ったのだと思っています」
「この世界を去った? なぜです?」
エリノアが少々驚いたように尋ねた。リアノーラはエリノアにニコリと笑いかける。
「ええ。私は、魔術を神が与えた力だと思っているのです。ですから、かつて神は存在したのだろうと思うのです。しかし、神はその奇跡の力を持って、この世界を去ってしまった……なぜなら、人間が魔術に変わる、科学を発見したから」
今から四半世紀前に終結した科学大戦。その終結を期に、魔術はこの世界から薄くなっていった。
「私は魔術を使えますけれど、それはかつて最盛期を誇った魔力の残滓なのではないかと思うのです。自分を必要としていないことに気付いた神は、この世界を去った。私は、そう思います。だから」
この世界に、神はいないのだ。
「恐ろしいと思いませんか? 神のいない世界で、その力を使えるものがいるという事実……何れ、魔術師はいなくなりましょう。それでも、消えはしない。人が、神の存在を信じ続ける限り……」
「あなた……自分が、神になれるとでもいの? そんな傲慢な」
「あなたに言われるとは心外ですね。私は、あなたほど傲慢な人に会ったことはありませんよ。我が同僚だってもっとましです」
ランディも傲慢だったが、彼は節度をわきまえていた。貴族としての教育をよく受けていたし、目下のものをぞんざいに扱ったりはしない。だが、エリノアのはただの我がままに過ぎない。
「な……なんてことを言うの!? お父様に言いつけてやるから!」
「あなたが誇っていることは、父親の栄光であり、あなたのものではない。それをわきまえるべきですね」
エリノアがぎっとリアノーラを睨み付けた。
「気に食わないわ。おととい見た時から、ずっと気に食わなかったの。やってしまいなさい!」
何となく察していたが、隠れていたらしい男たちが一斉に襲い掛かってきた。目算で20人くらいか。隠れ方がぞんざいすぎる。視界にも確認できたし、エドワードの同行を拒んだ時点で何となくわかっていた。
「いいこと、お前たち! そいつらを生かして返したら、ただじゃおかないわ。あんたたちの家族がどんな目に合うかわからないわよ」
男たちにそう言い、エリノアはリアノーラを見下すように笑うと、悠々と教会を出て行った。逆に好都合である。
「あなた方は、人質を取られているのですか?」
エリスが尋ねた。男の一人が震える声で言った。
「すまない。あんたがたに恨みはないが、やらないと、俺の妻が……」
リアノーラはその切実なる訴えを聞き、目を閉じた。彼女は、人を人とも思っていないのだろうか。力のないものに、何をしてもいいと思っているのだろうか。
「いいわよ。助けてあげる。あなたも、奥さんも」
リアノーラがにこっと笑った。じりじりと寄ってくる男たちを見る。
「できるわよ、私なら。私はリアノーラ=フェアファンクス。フェアファンクス公爵令嬢にして王位継承権第6位を保持している。助けてあげるわ。あなたたちも、あなたたちの人質も」
隣でエリスも大きくうなずく。
「彼女が言っていることは本当だ。彼女はレディ・リアノーラ。やると言ったら絶対にやってのけるから」
「うそだっ」
男の一人が声を上げた。視線がその男に集まる。
「そんな小娘に、そんな力があるわけないだろう! エリノア様に逆らえば、人質は殺されるんだぞ!」
その号令で、数人の男が斬りかかってきた。殺したいのなら、せめて銃でも用意するべきである。リアノーラは呆れた。
「リア」
「大丈夫」
リアノーラは襲ってきた男たちを避けると、声を上げた男の方に向かった。
「く、来るなっ」
男が取り出したのは銃だった。持っている人もいるようだ。リアノーラは男に近づきながら言った。
「撃ってみなさいよ。撃つ覚悟があるのなら!」
「うわあああっ」
男が引き金を引いた。リアノーラは銃弾を避けると、右手で銃の上の部分をつかみ、左ひざで男の鳩尾を蹴りあげた。そのまま銃を奪い取る。
「お前はエリノア様の従者ね。この人たちのお目付け役かしら。ためらったら煽れと言われていたんでしょ」
リアノーラは腹をおさえてうめく男を見下ろしてふふっと笑う。
「残念でした。私たち、これでもナイツ・オブ・ラウンドなのよ。素人風情に負けるわけないわ。そして、できるだけ穏便に事を済ませたいのよ」
銃をくるくる回しながら、リアノーラは微笑んだ。人質を取られている男たちがちょっと身を引いた。
「大丈夫よ。一般人に何もしないから。まあ、そうね。穏便に解決するために、私はあなたたちを利用するでしょう。でも、悪いようにはしないわ。なんていうんだっけ、キャッチ&リリースじゃなくて」
それは釣りである。うなっていると、エリスからツッコミが入った。
「等価交換じゃないの?」
「それも違う気がするけど……まあいいわ。とにかく、協力してくれるなら、あなたたちの人質は助けてあげる」
男たちが顔を見合わせた。しばらくして、恐る恐る言った。
「本当だな……?」
「本当よ。こんなことでうそはつかないわ。信じてもらえるかしら」
「わかった。だから――」
「わかってるわ。奥さんたちは助けるわよー。エリス! 付き合いなさい!」
「わかってたけどわかったよ」
さすがに付き合いも1年近くになると、エリスもリアノーラの思考が読めるようになってくるらしい。とりあえず、どこかで足を調達して。
リアノーラはふとステンドグラスの方を見た。宗教画をモチーフにしたそれの中に、リアノーラは何かを見た気がした。そしてつぶやく。
「あ、わかった。ギブ&テイクだ」
* + 〇 + *
「あ、おはようございます」
そうにっこりあいさつした少女を見て、エリノアは目を見開いた。銀に近い亜麻色の髪をなびかせ、今日は薄紫のドレスを着ていた。動きやすさを重視したためか、昨日と同様シンプルなものだ。着飾らずとも自分が美しいと知っているかのようなその様子が癪に障る。
「あなた……どうして」
すると、少女、リアノーラは微笑んだ。
「どうしてって、私がここにいることがおかしいですか?」
そうおっとりと首をかしげる少女を見て、エリノアはむかっ腹がたってくるのを感じた。
「……そう。わたくしのせっかくの招待を無碍にしたのね。逃がすなと言ったのに。人質がどうなってもいいのかしら」
彼らはエリノアが雇った民間人である。保険として、彼らの妻や子供、恋人を人質に取っていた。いつでも殺す準備はしてある。すると、リアノーラは目をすっと細めてエリノアに一歩近づいた。
「民間人を集めたくらいで、私たちをどうにかできるとお思い? これでも私はナイツ・オブ・ラウンドなのよ」
ぞっとするような冷たい声でリアノーラがささやいた。普段のおっとりした様子とは大違いだ。
「ああ、それと。人質は解放しましたから、あしからず」
リアノーラはニコッと微笑み言った。エリノアは信じられないとばかりに目を見開いた。
「待ちなさいっ。そう簡単に……」
「できるから、ナイツ・オブ・ラウンドなんですよ、私は。これでも、最強の騎士アルヴィンの娘ですのよ」
ことりと首を傾けて笑った彼女を、怖い、と思った。
だからこそ、自分を脅かす彼女を何とかしなければならないと、エリノアは強く心に決めた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




