ベアトリス2世
ベルが鳴り、本日最後の講義が終わった。担当教授が講義の終わりを告げる。
「じゃあ、今日はここまでな。あと、この本を図書館に返しておいてくれ」
この講義は人が少なく、男女合わせても23人しか学生がいなかった。彼らは、「えー」とか文句を言っている。エドワードは苦笑し、立ち上がって言った。
「いいよ。俺がやっとく」
「さすがはエドワード。お前らも見習えよ。特に男子」
教授が冷やかすように言うと、男子学生からブーイングが起こった。その中から1人、エドワードの隣に来た。
「エド、半分持つぞ」
「いや、いいって。持てるから」
「お前が筋力馬鹿なのは知ってるけど、どう考えても多いだろ、冊数が」
確かに、厚さ5センチはあろうかという本が20冊近く。重量は大丈夫でも、かさばるので持てるかは別の話だ。
「エドワード、フェビアンに手伝ってもらえ。私はもう行くからなー」
そう言って教授は機材を片づけて出て行った。その途端、女学生たちが騒ぎ出す。
「やっぱりエドワードは違うわね」
「まったく!」
「ホントに、アンタたちも見習いなさいよ。頭良くても気が利かなかったらもてないわよ」
「いや、エドワードと比べるなよ」
男子学生がつっこんだ。エドワードは苦笑し、フェビアンより多い本と自分の荷物を持って講義室を出た。
エドワードが通う王立アルビオン大学はいくつかのカレッジに分かれて存在している。大まかに、文系カレッジの集中するあたりと、理系カレッジが集中するあたりに分かれる。医学系カレッジは文理カレッジとはまた少し離れている。
王立アルビオン大学は、王都の中に街を形成している、と言われるほど大きな大学である。アルビオン最古にして最大の大学だ。
そんなアルビオン大学の図書館は大きい。一般にも開放されており、外から本を借りに来る人も多い。おそらく、アルビオン大学の図書館は、王宮図書館以外で最も蔵書量が多いだろう。
入り口で司書に学部と専攻と学年、さらに名前を名乗り、中に入る。ちなみに、エドワードたちは2年生だ。カウンターに本をすべて返すと(迷惑そうな顔をされた。文句は教授へ頼む)、2人は他の講義で出された課題の参考書を探す。その講義は期末試験の代わりにレポート提出なので、気が抜けない。エドワードは出席日数の都合で初めから不利なのだ。
「エドは頭良くていいよな」
本を見繕いながら、フェビアンが小声で言った。エドワードは苦笑する。
「言われるほどでもないよ」
何しろ、エドワードの周りにはお前、ホントに人間? というほど優れた人が多いのだ。某ナイツ・オブ・ラウンド第2席とか。
「それに、出席日数が本格的にヤバい」
「いや、それは仕方ねぇだろ」
フェビアンに突っ込みを入れられる。彼の言うとおりだ。ナイツ・オブ・ラウンドであるエドワードは、何事においてもそちらが優先。だからこそ、優秀な成績を修める必要があった。
参考書を2冊ほど選ぶと、エドワードとフェビアンは貸出カウンターに向かう。……時に、エドワードは不思議なものを見た。
長い机に突っ伏して、寝ている。それだけなら結構いる。図書館は静かだし、眠くなるのは仕方がないと思う。だが、寝ている人間が問題だった。アルビオン内に、銀色がかった亜麻色の髪を持つ女性がそうそういてはたまらない。
「エド、どうした?」
先に行っていたフェビアンが戻ってきて言った。エドワードは「ちょっと」といい、彼女の方に向かった。フェビアンがついてくる。
「なんだ? 知り合いか?」
エドワードはフェビアンを無視して、眠っている彼女の肩をゆすった。
「おい、起きろ」
何度かゆすると、びくっとして顔を上げた。サファイアブルーの瞳が不思議そうに瞬き、エドワードを見上げた。フェビアンが「え、美人」と素直な感想を漏らした。
「あ、あら、エド。どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ」
美人な彼女ことリアノーラは本当に眠っていたらしく、目が眠そうにうるんでいる。そして、枕にしていた腕の当たっていたところが赤くなっている。
「えっとね。ちょっと調べ物を……って、今何時!?」
「4時過ぎ」
「ええっ!?」
リアノーラがワタワタと本を閉じ、片づけを始める。どうしたのだろうか。存在を忘れていたフェビアンに話しかけられた。
「彼女、どちらさん?」
「たぶんお前も見たことあると思うけど、同僚のリアノーラ」
「どうりょ……ああ! レディ・リアノーラか!」
1人で納得しているフェビアンは放っておき、エドワードは書き物を片付け終えたリアノーラに話しかける。
「急いでるなら、片づけておこうか」
「へ? ああ、いいわ。全部借りていくから」
「……全部か? 持てるのか?」
「重量的には持てるわよ。駄目なら辻馬車を拾うわ」
って、徒歩で来たのか。公爵家の令嬢が何をやっているのか。まあ、エドワードも今日は徒歩だが。
リアノーラもエドワードと同じ問題にぶつかっている。重量的には持てるが、冊数的には多い。というか、分厚い本が確実に10冊以上あるが、本当に持てるのか、これ。
「送っていくよ」
「え。いいわよ、別に。家の方向逆でしょう」
「女性を1人で帰らせるほど俺は無情じゃないぞ」
そう言うと、リアノーラは複雑な表情をした。たぶん、女性として扱われることに慣れていないのだと思う。リアノーラはどちらかというとみんなを引っ張っていくタイプの人間だ。
「というわけだから、フェビアン。先に帰ってくれていいぞ」
話しかけると、フェビアンは愛想よくうなずいた。
「ああ、もちろんだ。仲良くやれよ」
そう言って彼はカウンターに本を借りに行く。エドワードは自分が借りる本とリアノーラが借りる分を持った。
「え? え? いいわよ、ホントに!」
リアノーラが自分の荷物を持って追いすがってくる。エドワードは問答無用でカウンターで本を借りる。もちろん、リアノーラに署名はさせるけど。外部からの来客が本を借りるときはちょっと面倒だ。リアノーラの流れるような筆跡を見て、司書がちょっと驚いた顔をした。ちなみに、エドワードがリアノーラをエスコートしていたことは、後日、大学で話題になるのだが、このときの2人が知るよしもない。
図書館を出て校門に向かうまでの間も、リアノーラは困惑した表情のままだった。
「ねえ、代わりに鞄持とうか?」
「大丈夫だって。それじゃ意味ないだろ」
「……そう?」
エドワードを見上げるリアノーラの顔は、困惑、というよりも不安げだったかもしれない。リアノーラがすぐに顔をそむけて、校門の事務所に来客用のバッジを返しに行ったので判断がつかなかった。
左手に大量の本が入った布の鞄、右手に自分の学生鞄を持って門に寄りかかるエドワードはかなり目立っていた。校内からも校外からもじろじろと見られている。なまじエドワードが美形なので、話しかけづらいのである。同じ学年の女学生が勇気を振り絞って話しかけようとしたとき、リアノーラが戻ってきた。
「お待たせ。あの、重くない?」
「剣よりは軽いだろ。帰るぞ」
「……うん」
見た目おとなしそうな美少女のリアノーラである。いい男と評判のエドワードとはお似合いに見えた。後日、これも噂になる。学校とは恐ろしい。
アルビオン大学文理系キャンパスからフェアファンクス公爵邸は近所だ。近所といっても、大学も公爵邸もかなり広いので歩く距離は長い。リアノーラがとぼとぼと歩くので、エドワードは彼女に歩調を合わせてゆっくりと歩いた。考え込んでいるのか歩道をそれそうになるので修正が大変だった。何しろ、両手がふさがっているので。
いつもにこにこ笑って駆け回っているリアノーラが静かだと、気になった。下手に聞かない方がいいかと思ったのだが、重症のような気がしたので、思い切って尋ねた。
「リア。悩みでもあるのか?」
「へ? ふきゃっ!」
唐突に顔を上げたリアノーラは、石畳のくぼみに足を引っ掛けて転びかけた。エドワードは右手の鞄を放してリアノーラを支える。
「大丈夫か?」
「う、うん。ごめん、ありがと……」
リアノーラが自分で立ち上がったのを確認してから、エドワードは鞄を拾った。また歩き出す。
「あの、ね。私が借りた本、見たでしょ」
「ああ……」
エドワードは自分が持っているリアノーラが借りた本を思い出す。
「歴史書だったな。というかお前、理系じゃなかった?」
「うん。専攻は数学」
リアノーラはうなずいて言った。相変わらず歩みはゆっくりだ。急いでいるのではなかったのだろうか。しかし、そんな茶々入れずに、エドワードはただ耳を傾けた。
「ベアトリス2世について調べようと思うの」
「…………」
エドワードは沈黙した。いきなりこの娘は何をしだすのだろうか。しおらしくしていても相手はリアノーラだ。疑ってしまうのは仕方がない。
「……えっと。お前の曾ばあ様の?」
「うん」
「何故に?」
「……最後にして最強の魔法剣士だから……じゃ、ダメかしら」
言い逃れの理由を考えていなかったらしいリアノーラは自信なさげに言った。その様子がすでに、嘘です、と言っているが、エドワードは苦笑した。
「言いたくないなら聞かないけど。調べるのがうまくいかないのか?」
リアノーラは首を左右に振った。ぽつぽつと言う。
「……そうじゃないの。調べれば調べるほど、私はこの出来事を知っているような気がするの。ベアトリス2世を、知っているような気がするの。でも、ありえないでしょう? 亡くなった時、私はまだ生まれていないんだもの。それどころか、お父様とお母様だって結婚してないわ」
「そう、だな。俺すら生まれてないしな……」
エドワードはリアノーラより4歳年上なのだ。ちなみに、ベアトリス2世がなくなったのは今から4半世紀ほど前である。
たぶんこれは、リアノーラがよく巻き込まれる魔法的な何かだろう。はっきり言って、魔力の低いエドワードには理解できない。しかし、聞くことはできる。
「やめようとは思わないのか?」
「思わない」
リアノーラははっきり言った。彼女も大概強情である。
「たぶん、これはベアトリス2世が私に訴えてるんだと思うの。お願い、気づいてって。私は、それが知りたい……」
フェアファンクス公爵邸の門が見えてきた。やはりリプセット侯爵邸に比べ、かなり荘厳である。リプセット家もかなり古い家柄だが、やはり傍流王族は違う。
「でもね。ただね。そういうのを見ると、ああ、自分はみんなと違うんだなーって思うの。ちょっとさみしいわ」
「ん……まあ、お前は立場的にも微妙だからな。まあ、話くらいは聞いてやるし」
リアノーラの顔にやっと笑みが上った。エドワードも笑みを浮かべる。
「聞いてくれて、ありがと。うん、話してよかった……あ、そうだ。もうひとつ聞いて」
「なんだ」
エドワードはリアノーラにやさしげに笑みを向けた。リアノーラはちょっと笑って言った。
「もしも、私が結婚するの! って言ったらどうする?」
「え」
門の前に到着した。優秀な衛士たちは、2人を見て見ぬふりをしてくれる。
エドワードは自分でも驚くほど動揺した。表情には出なかったが、おっとりと首をかしげているリアノーラはたぶん、その動揺を感じ取ったと思う。
結婚? リアノーラが? 彼女ほど結婚等いう言葉から程遠い人はいないだろう。彼女は絶対に1人でも生きていける。たとえ、貴族の位をはく奪されても、魔術師でなくても……。ああ、なるほど。
「……なるほど。わかった。理解した。大変だな、お前も」
リアノーラが謀反をたくらんでいるというデマを思い出したのだ。元老院が出所らしいが、彼女を知っているものはみな、それを笑い飛ばしている。チャールズ4世も笑っていたな。エドワードのあっさりした反応に、リアノーラは少しむっとしたようだが、先に門をくぐって振り返った。
「入って。お茶でも――っ! あぁああーっ!」
突然リアノーラが叫んだ。彼女の声は女性にしては低めなのだが、今の叫びは耳をつんざくようだった。屋敷から侍女が出てくる。
「リアお嬢様!? どうなされましたか!?」
「ブリジット! おばあ様は来てる!?」
「へ? ええ……アデライン様なら、中でお待ちですよ。遅かったですね、お嬢様」
「いやああっ!」
叫ぶリアノーラからこの屋敷の使用人のお仕着せを着たブリジットが鞄を受け取った。エドワードは近づいてきた執事に荷物を預ける。
「あ、こっちの鞄はリアノーラが借りたん本です」
「……の、ようですね。お嬢様がご迷惑をおかけいたしました」
「いえいえ。それより、リアはどうしたんですか?」
「ええ……本日の4時に大奥様が見えられることになっていたのですが、間に合いませんでしたから」
「ああ……それで」
先に玄関に入っていたリアノーラが戻ってきた。自由になったエドワードの腕をつかむ。
「あ、あのね、実は」
「リアのおばあ様が来ていることは聞いた」
「ああ……そう。えっと。今度何か埋め合わせを……」
「リア、遅かったわね。何をして……あら」
女性の声を聴いて、リアノーラはパッとエドワードから飛びのいた。エドワードは老貴婦人に笑みを向けて一礼する。目元がリアノーラに似ている。おそらく、彼女がリアノーラのおばあ様なのだろう。その考えは当たっていた。
「お、おばあ様……お迎えできなくて、ごめんなさい」
リアノーラが頭を下げて言った。リアノーラのおばあ様・アデラインはちらりとエドワードとリアノーラを見比べた。それからエドワードを見てニコリと笑った。
「そちらの青年はどちら様かしら」
「あ、リプセット侯爵家の長男のエドワードよ。同僚なの」
リアノーラがほっとした調子で言った。
「エドワード=リプセットです」
エドワードが律儀に言う。アデラインはうれしそうだ。
「これはご丁寧に。私はリアの祖母でアデラインというの。そう、リプセット侯爵の跡取りも、こんなに大きくなっているのねぇ」
アデラインの夫であるゲイブリエルにあった時も思ったが、エドワードは知らないのに相手が知っている場合が多いな。いいけど、別に。
「リア、みんな待っていますよ。エドワードもよろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
そう言われればいかないわけにはいかず、リアノーラの手を引いてエドワードは階段をのぼり、アデラインとともに客間に向かった。客間からは楽しげな笑い声が聞こえた。リアノーラが固まる。
「えっと……思ったより、人が多そうね?」
「ええ。見てびっくりしないのよ」
そういう割には、アデラインは楽しそうだ。パッと見、中には、15人は人がいた。
「あ、リアだ」
「おっそーい! 待ってたのよ」
「隣の美形、だれ!?」
リアノーラと同い年ほどの少女たちに口々に言われ、リアノーラはよろめいた。倒れてきたので、エドワードが肩をつかんで支えた。
「……着替えてくる」
茫然とした体で、リアノーラはふらふらと一度部屋を出た。
というか、取り残された俺にどうしろと? エドワードは心の中で思ったが、持ち前のスルースキルと笑顔で乗り切った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アルビオン大学は日本の大学と外国の大学を足して割った感じで書いています。というのも、私、外国の大学に通ったことがないので、わからないんですよねー。その辺は受け流していただけると嬉しいです……。




