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第6話 無知なDIY

 シェアハウス「シェアスマイル」の広々としたリビングで、藤原琴音はダイニングテーブルに大きな画用紙を広げていた。

 彼女の胸ポケットには、いつものように赤ペンが刺さっている。高校で国語を教える彼女にとって、紙とペンは己の指導力と支配領域を象徴するアイテムだった。

「よし、こんなところですね」

 琴音は中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、満足げに頷いた。

 画用紙に描かれているのは、先日議論に上がった、新しい「特大下駄箱」の設計図である。

 もっとも、国語教師である彼女に建築や力学の専門知識など皆無だ。この図面も、強度計算などは一切行わず、「玄関を開けた瞬間の見栄えの良さ」と「全員の靴が収まる収納力」という、彼女の完全な感覚とフィーリングだけで引かれたものだった。


 キッチンから顔を出したシンママの神崎結衣が、感嘆の声を漏らす。

「すごいわ琴音さん! なんだかお城みたいで可愛い!」

「ええ。私たちの玄関を飾るにふさわしい、優美なフォルムにしてみました。結衣さん、材料の買い出しをお願いできますか?」

「任せて! 凛とお散歩がてら、ホームセンターに行ってくるわね」

 結衣は十歳の娘、凛と手を繋ぎ、意気揚々とシェアハウスを出発した。


 +++


 週末のホームセンターは、家族連れで賑わっていた。

 結衣はカートを押しながら、木材コーナーで首を傾げていた。彼女にはDIYの経験も、建築の知識もない。そのため、選ぶ基準は「値段」や「強度」ではなく、ひたすら「見た目の可愛らしさ」と「手軽さ」だった。


「この白い木、すっごくお洒落じゃない? 厚みがないから軽くて、私でも持ち運びやすそう!」

 結衣は、規定よりもはるかに薄く、強度の弱い木材を次々とカートに乗せていく。節約をしようとしているわけではない。ただ純粋に「無知」なのだ。


「あとはネジね。……うーん、長いネジって、木が割れちゃいそうで怖いし、組み立てるのも力がいりそう。こっちの短いネジなら、見た目もスッキリして可愛いわね」

 彼女は短いネジを大量にカゴに放り込んだ。

「ママー、凛はこのキラキラのシールがいい!」

「ふふっ、いいわよ。みんなで可愛くデコレーションしましょうね」

 結衣は凛が持ってきた装飾品もカートに入れ、レジへと向かった。


 レジ打ちをしていたベテラン風の店員が、結衣のカートの中身を見て眉をひそめた。

「お客さん……ちょっと失礼ですが、この板とこの短いネジで、もしかして背の高い棚を作ろうとしてますか?」

「ええ、そうですけど?」

「それなら、こっちの長いネジと、L字の補強金具を使わないと危ないですよ。この薄い板に短いネジじゃ、強度が全然足りなくて、ちょっとした衝撃で倒れちまいます」

 店員は親切心から警告を発した。しかし、結衣は「自分たちらしさを手作りする」という己の世界に没入しており、その言葉をまったく重く受け止めなかった。

 結衣はふんわりとした、悪意のない笑顔を店員に向ける。

「アドバイスありがとうございます。でも私たち、機能性や質よりも、見た目重視なので! 可愛い玄関にしたいんです」

「みためじゅーしなので!」

 凛も結衣の言葉を真似して、無邪気に胸を張る。

「はあ……まあ、お客さんがそれでいいなら止めませんが……」

 呆れたようにため息をつく店員を後目に、結衣は大量の「欠陥品の材料」を抱えて、意気揚々と帰路についた。


 +++


 休日の午後。シェアハウスの玄関ホールに、女性陣が勢揃いしていた。

「よし、それじゃあ琴音さんの設計図通りに組み立てていくよー!」

 美容師の遠藤美月が、マーブルカフェの髪を揺らしながら電動ドライバーを構える。

「美月ちゃん、気をつけてね。ネジが短いから、ちょっと斜めに入りやすいみたい」

 結衣が薄い板を押さえながら声をかける。

「ほんとだ、なんかちょっと浮いちゃってるかも。まあいっか、これも味ってことで!」

 美月が人差し指と中指をシャキシャキと鳴らす癖を見せながら、明るく笑い飛ばす。


 和気あいあいとした眩しい共同作業が続く。しかし、組み上がっていくにつれて、その構造的な欠陥は誰の目にも明らかになってきた。

 夜勤明けの看護師、五十嵐葵が、完成に近づいた棚を軽く手で押して顔をしかめた。

「ねえ琴音さん、これ……なんかちょっとグラグラしない? これだけ背が高いのに、板も薄いし……強度は大丈夫なのかな?」

 葵の冷静な指摘に、その場に一瞬だけ不安な空気が流れた。

 しかし、琴音は慌てることなく、中指でスッと眼鏡のブリッジを押し上げた。

「問題ありませんよ、葵さん。かの吉田兼好も『徒然草』の第八十二段でこう述べています。『すべて、何の事におきても、少しの狂ひあるこそ、よろしけれ』と」

「……え? つれづれぐさ?」

「はい。建物でも道具でも、完璧に遊びなく固定してしまうより、少しの隙や『狂い』があった方が、衝撃を逃がして長持ちするものです。このグラつきは、いわばしなやかさの証。私の計算……いえ、直感によれば、日常的な使用における耐荷重は完全にクリアしています。問題ないでしょう」


 国語教師である琴音の、堂々とした威厳のある声と、古典文学を用いた見事な説得。

 その響きに、女性たちはすっかり安心しきってしまった。

「そっか! さすが琴音さん、説得力が違うね!」

「うんうん、ちょっとくらいグラグラしてる方が、手作り感がして私たちらしくていいじゃない!」

 葵も結衣も、琴音の言葉をすんなりと受け入れ、再び笑顔で作業に戻っていく。


 本来ならば、建築に無知な素人の直感など、何の保証にもならない。しかし、彼女たちは互いを信頼し合い、その強固な団結力と「手作りの温もり」というポジティブな空気によって間違った方向へのバイアスがかかり、致命的な欠陥から目を逸らしてしまったのだ。

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