第20話 早期の退院
同日、シェアハウス「シェアスマイル」。
玄関ホールには、神崎結衣、遠藤美月、藤原琴音、そして影森若菜の姿があった。
彼女たちは無言で、事故の原因となった「手作りの特大下駄箱」の解体作業を行っていた。
「……っ」
結衣が電動ドライバーを逆回転させると、規定よりもはるかに短いネジが、呆気ないほど簡単に薄い板から抜け落ちた。
『ちょっとくらいグラグラしてる方が、手作り感があって可愛いわね!』
あの日、笑顔でそう言い合った自分たちの声が、脳内で悍ましい呪詛のようにリフレインする。無知ゆえの感性が、どれほど残酷な凶器を生み出したか。指先で短いネジを抜くたびに、結衣の心はズタズタに引き裂かれていく。リビングの陰からは、十歳の凛が怯えたようにその光景を見つめていた。
美月は、床に転がっていた二つの重い鉄アレイを両手で持ち上げた。ずしり、と腕に食い込む鈍い重み。
(ウチが……この塊を一番上に置いたから。これが、あの人の足と腕を粉砕した……)
美月の目から涙がこぼれ落ち、鉄アレイの黒い表面を濡らした。
「私が引いた、あの狂った設計図も……すべて処分しました」
琴音が、ゴミ袋の口を縛りながら虚ろな声で呟いた。
解体作業は、彼女たちにとって精神的な自傷行為そのものだった。しかし、克実をこの家に迎え入れるためには、車椅子が通れるだけの動線を確保し、この忌まわしい残骸を片付けなければならない。
彼女たちは自分たちの浅はかさと愚かさを呪いながら、黙々と作業を続けた。
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数日後、病院のナースステーション。
「お願いです、先生! 橘さんを、退院させてください!」
葵と彩夏が、主治医に必死に頭を下げていた。
「ご家族でもないあなた方が? 無茶を言わないでください。彼は両足免荷で、ベッドから一歩も動けないんですよ。素人に自宅介護なんて……」
「素人じゃありません!」
葵が鋭い声で遮る。
「私は現役の看護師です。彼女は介護ヘルパー。私たちが交代で、二十四時間体制でバイタルチェックから清拭、排泄のケアまで完璧に行います! 医療的な管理はすべて私が責任を持ちますから!」
葵のプロとしての医療知識と、彩夏の介護現場での実務経験。二人はそのスキルを総動員し、専門用語を交えて強引に医師を説得にかかった。折しも、病院側も緊急の患者を受け入れるためのベッド不足に悩まされていた時期だった。
「……そこまで言うなら。ただし、医療用の介護ベッドをレンタルし、ご自宅に万全の環境を整えることが絶対条件です」
ついに、医師が折れた。
葵と彩夏は、本来であれば数ヶ月は入院が必要な克実を、強引に一週間で早期退院させることに成功したのだ。
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克実の退院前日。
シェアハウスのリビングルームは、異様な空間へと変貌を遂げていた。
「……これで、準備は完了ですね」
琴音が、中指で眼鏡のブリッジを押し上げながら呟いた。
回廊型リビングの中央。
すべての個室のドアが直接面している「廊下のないバリアフリー構造」。どの部屋に行くにも、キッチンやトイレ、浴室に行くにも、全員が必ず通らなければならないこの家の「心臓部」。そこに、無機質な医療用のレンタル介護ベッドがドスンと鎮座していた。
これまで団らんや憩いの象徴であったふかふかの大きなソファは、リビングの隅へと無惨に追いやられている。
「ここに、橘さんがずっと寝たきりになるんだね……」
若菜が、ベッドの柵をそっと撫でながら震える声で言った。
プライバシーを守るためのカーテンこそ付けはしたが、それは克実から『私のような居候が、皆様の視界を遮る壁を作るなんておこがましい』と固辞されていたため、普段使うことは無いだろう。つまり、彼はこの家の中心で、一切の遮蔽物なく常に彼女たちの目に晒され続けることになる。
「これで、もう家の中でも絶対に気が抜けないっすね……」
夜職に行く前の杉浦玲奈が、気怠げな口調を失ったまま、ベッドを見下ろした。
帰宅した瞬間から、自分たちの過失の象徴である男が視界に入る。オープンすぎるアイランドキッチンで料理をすれば、手足を奪われた彼の前で、自分たちの健康な指先を見せつけることになる。ベッドの横にある同サイズの大きなダイニングテーブルでは、食事をするたびに会話や咀嚼音を聞かれる。浴室へ行くには、不潔を自称する彼を見下ろしながら横を通らなければならない。
それは、物理的にも精神的にも逃げ場のない、完璧な「支配の玉座」であった。
「……いいのよ、これで。これが、私たちが背負うべき罰なんだから」
結衣が、両手を胸の前で強く組み合わせて言った。その目には、後戻りのできない狂気に似た決意が宿っている。
「私たちが、橘さんを完璧にお世話するの。絶対に、何不自由ない生活を送らせてみせるわ」
リビングの中心に据えられた祭壇ともとれる介護ベッド。
そこに、間もなくいけにえであり神でもある小柄なおっさんが運ばれてくる。
女性たちは、自らの手で完成させた地獄の入り口に立ち、ただ静かに、その時を待っていた。




