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第6話 「誘導」

朝靄が、低くたれこめていた。

視界は悪い。

だが。

進軍を止める理由にはならない。


「前進せよ」

朝倉の将は、迷いなく命じた。


手にあるのは、上杉の“配置図”。

兵は分散。

統率は乱れ。

――崩れている。


「好機だ」

誰もが、そう思った。


だから、進む。


だが。

その一歩が、すでに選ばされていることに――誰も気づかない。


山道。

細い谷。

左右は斜面。


「ここを抜ければ、本陣が見えるはずだ」


そう、聞いている。


疑う理由はない。


「急げ。逃げ場を与えるな」


兵は加速する。

隊列は伸びる。


指揮は、遠のく。


それでも、誰も止まらない。


勝てるからだ。


――そう思っているからだ。



その頃。


高所。

見下ろす影。


上杉 兼継は、何も言わずに立っていた。


眼下には、朝倉の軍。


流れるように、谷へ入っていく。


「……予測通りです」


家臣の一人が、低く報告する。


「風向きも、変わりません」


「そうか」


短い返答。


それで十分。


すべては、すでに決まっている。


「……逃げ道は」


「確保済みでございます」


兼継は、わずかに頷く。


「ならば、始めろ」


合図は、それだけ。



次の瞬間。


山の上から、火が落ちた。


油を含ませた布。

乾いた枝。


一つ、二つではない。


連鎖するように。


炎が、広がる。


「な――!?」


谷の中。


朝倉の兵が、初めて足を止めた。


熱。

煙。

視界の崩壊。


「火だ! 火を――!」


叫びが上がる。


だが。

遅い。


風が、吹く。


炎は、谷を駆け下りる。


逃げ場は、前。


「抜けろ! 前へ出ろ!」


そう叫ぶしかない。


後ろは、すでに塞がれている。


左右は、登れない。


だから、前へ。


ただ前へ。



その“前”に、何があるか。


知らないまま。



煙を抜けた先。


開けた場所。


そこに。


上杉の軍が、待っていた。


整列。

沈黙。


乱れは、一切ない。


「……な、ぜ」


理解が、追いつかない。


崩れているはずの軍。


分散しているはずの兵。


それが、ここにある。


「……構え」


静かな声。


兼継の一言で、全てが動く。


弓が引かれる。

槍が揃う。


「放て」


一斉。


雨のように、矢が降る。


混乱したままの朝倉の兵に。


正確に。

無慈悲に。


刺さる。


「盾を――!」


遅い。


指揮が、通らない。


煙と恐怖で、すでに崩れている。


そこへ。


「前進」


今度は、歩兵。


崩れた隊列へ、押し込む。


これは、戦ではない。


処理だ。


逃げ道は、用意されている。


だが。


そこへ向かう者は、限られる。


理由は単純。


“そこへ行ける”者だけが、残っているからだ。


他は。


ここで、終わる。



やがて。


戦場は、静かになる。


煙は薄れ。

声は消え。


残るのは、結果だけ。



上杉、勝利。



朝倉の軍は、壊れた。


戦う前から、すでに。



高所。


兼継は、ただ見ていた。


何も感じない。


当然の結果。


ただ、それだけ。


「……終わりか」


誰に向けたわけでもない言葉。


だが。


それを聞いた家臣は、震えた。


終わりではない。


これは、始まりだ。


誰もが、理解している。


この先、何が起こるのか。


もう、止められない。


「……次を準備しろ」


静かに。


兼継は、そう言った。


戦国は。


確実に、塗り替えられ始めていた。



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