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第280話「武田の圧縮」
甲斐国、躑躅ヶ崎館。
武田信玄、三十九歳は、冷たい水を一口飲み、地図を指し示した。
内の経済循環が貧弱な甲斐は、常に外への軍事圧力を必要としている。
今年の秋の行動は、完全に南の駿河へと向けられていた。
「越後との国境は、相変わらず手出しができませぬ」
山本勘助、三十九歳が、地図の北側を指して言った。
兵数は必要最小限だが、情報の伝達と物資の配給経路が完全に連動している。
どこか一箇所を叩いても、即座に全体の統治圧が調整され、泥沼の持久戦に持ち込まれる構造。
短期決戦を前提とする武田の軍事圧縮構造にとって、最も相性が悪い相手であった。
「駿河の海を手に入れねば、甲斐は干上がる」
信玄の決断に、迷いはなかった。
敵武将を無益に殺さず、その勢力を自らの構造に組み込んでいく。
信玄もまた、戦を単なる勝敗ではなく、構造の再配置として捉えていた。
武田の騎馬隊は、砂煙を上げて南へと旋回を始めた。
越後という固定装置が北に存在することが、周囲の大名の動きを自動的に規定していく。
これこそが、兼継の狙った「見えざる均衡」の正体であった。




