第233話「春耕の触れ」
三月に入ると、越後の平野部から一気に雪が引き始めた。
黒い土が顔を出し、川の水量が急激に増す。兼継が最初に出した指示は、兵の招集ではなく、全領土への春耕の触れであった。ただし、その内容は例年と異なっていた。
「各集落の作付け予定を、事前に記録係へ提出せよ」
老いた名主たちは戸惑った。お上の指図で種を蒔くのではない、天候を見て蒔くのだと不満を漏らす者もいた。だが、兼継の狙いは統制ではなく、情報の支配であった。どの地域にどれだけの穀物が育つ予定かを把握せねば、秋の経済循環を予測できない。
記録係の若者たちが、ぬかるむ道を歩いて各村へ赴いた。彼らは源太郎たちから文字を教わった民を仲介にし、驚くほどの速さで数字を集めていった。文字を知る民が現場にいるという事実が、行政の末端を劇的に滑らかにしていた。
城に戻った数字は、兼継の手によって巨大な木札に書き写されていく。それを見た家臣の一人が呟いた。
「これではまるで、国全体の台所を覗いているようです」
兼継は表情を変えずに答えた。
「覗かねば、どこが腐るか分からぬ。腐ってからでは固定できぬ」
戦を仕掛ける他国は、領民を兵として刈り取る。しかし越後は、領民を構造の維持装置として配置していた。春の柔らかな日差しの中で、越後の統治持続力は、目に見えない形で前年の数値を大きく上回り始めていた。




