第16話「三段」
武田は、動いていた。
静かに。
だが、確実に。
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「……速いな」
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越後。
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報告を受けた家臣が、顔を上げる。
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「進軍速度、前回以上」
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「補給をさらに削っております」
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無理をしている。
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普通なら、軍が崩れる速度。
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だが。
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「武田信玄」
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兼継は、短く呟く。
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「兵を殺さず、限界だけを使う」
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理解していた。
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それが出来る将は、少ない。
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「……では」
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家臣が問う。
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「迎撃を」
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「不要」
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即答。
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「通せ」
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また、同じ言葉。
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だが。
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意味は違う。
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「今回は、急いでいる」
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「焦っている者ほど、前を見る」
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「横を見なくなる」
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つまり。
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見えなくなる。
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数日後。
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山間。
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武田軍は、雪を裂いて進んでいた。
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止まらない。
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疲弊している。
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だが、士気は高い。
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理由は単純。
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武田信玄が、前にいる。
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「……近いな」
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側近が言う。
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「このままなら、越後本陣まで届きます」
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信玄は、黙って前を見る。
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静かすぎる。
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それが、気に入らない。
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「……見えているな」
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ぽつりと呟く。
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当然だ。
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こちらが急いでいることも。
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補給を削っていることも。
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全部。
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「ならば」
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目を細める。
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「利用してくる」
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次の瞬間。
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森から、矢が飛んだ。
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伏兵。
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「前へ出ろ!」
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信玄の声。
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止まらない。
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即座に突破。
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前回とは違う。
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崩れない。
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「……対応している」
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遠く。
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兼継が、静かに見ていた。
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「学んだか」
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武田軍は、止まらない。
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矢を抜け。
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伏兵を押し潰し。
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前へ。
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ただ前へ。
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「このまま押し切れば――」
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その瞬間。
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音。
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乾いた破裂。
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火輪銃。
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一発。
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将が落ちる。
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二発。
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旗が崩れる。
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三発。
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伝令が倒れる。
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「来たか!」
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信玄が叫ぶ。
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だが。
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今回は違う。
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「散開するな!」
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命令。
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即座に徹底。
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兵が固まる。
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指揮を守るために。
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「……ほう」
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兼継が、わずかに目を細める。
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「正解だ」
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散開すれば、指揮が切れる。
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固まれば、守れる。
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普通なら。
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「だが」
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兼継が、手を上げる。
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「二段目」
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次の瞬間。
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左右の高所。
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再び、火輪銃。
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角度が違う。
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位置が違う。
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「……っ!」
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武田兵が、崩れる。
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「横だと!?」
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理解が遅れる。
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火輪銃隊は、一つではない。
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三段。
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前。
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左右。
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そして。
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後方。
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最後の発砲音。
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補給部隊が、燃える。
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「後ろ!?」
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完全に、切られた。
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信玄が、初めて空を見上げる。
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「……三段構えか」
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静かな声。
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理解した。
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最初から。
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退路ごと。
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計算されていた。
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「……やるな」
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笑う。
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血の中で。
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だが。
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武田も、止まらない。
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「突破する!」
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叫び。
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兵が動く。
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崩れながら。
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削られながら。
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それでも前へ。
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遠く。
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兼継は、その姿を見ていた。
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「……強いな」
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初めて。
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はっきりと言った。
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「武田信玄」
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それは、評価。
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敵として。
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初めて。
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だが。
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「だからこそ」
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視線が、細くなる。
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「殺す価値がある」
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その一言で。
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空気が、凍った。
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火輪銃が、再び構えられる。
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次が来る。
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武田軍も、理解していた。
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ここが。
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正念場だと。
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魔王と虎。
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その戦は。
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さらに深く、牙を剥き始めていた。
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(次話へ)




