SS3「セイラフォルダ」
私には、誰にも言えない趣味がある。
セイラフォルダの鑑賞だ。
そう名付けたその、スマホのアルバムには、現在143枚の写真が収められている。
日本一のVtuber、鳳凰院セイラ——450万人が崇め奉る銀河歌劇艦隊の絶対的艦長の、誰も知らない顔たちだ。
布団の中でスマホを開いて、私はそっとフォルダをタップした。
最初の一枚。
レストランの料理が想像より美味しくて、笑いが止まらないセイラ。
お気に入りの一枚。
収録後のソファで口を半開きにして寝落ちしているセイラ。
次の一枚。
シオンのギターを初めてまじめに聴いた瞬間、「……うまっ」と呟きながら目が潤んでいるセイラ。
次の一枚。
エアコンのリモコンの使い方がわからなくて、真顔で5分間にらみ続けているセイラ。
——撮るなよ、と何度言われただろう。
でも無理だ。
この顔を前にして、シャッターを押さない理由が、私にはない。
歌も、ダンスも完璧なセイラが……日本一のVtuberが、こんな顔もするんだ。
そう思うだけで——私は満たされる。そしてなぜかよく眠れる。
これが、変な趣味だって分かってる。
もちろん、ゆいには絶対に言えない。「お姉ちゃん……大丈夫?」って、真剣に心配されるに決まってる。
今日も十分堪能した私は、フォルダを閉じて、天井を眺めた。
反芻するように、今夜の143枚目のセイラの顔を、思い出していた。
よく眠れそうだ。また補給しなきゃな。
◇
【セイラの自宅マンション・深夜】
FAKE-3の打ち合わせが終わった後のことだった。
珍しくセイラの自宅を訪れたシオンだったけど、落ち着かないのか「早よ帰って練習する」と言ってさっさと帰宅した。本当にあの子は外出がダメだ。私も大概だけど、ちょっと度がすぎる。
そういうわけで、一時間以上、予定が空いてしまった。
部屋には私とセイラの二人だけになっていた。
こうなると、セイラの部屋で、なんとなく話し込んでしまうのが最近のパターンだ。普段社交的セイラだけど、二人っきりになると、とたんに口数が減る。
対外的にはコミュニケーション強者に見えて、意外とそうでもないのかもと最近思っている。
「腹減ったな」
セイラが立ち上がって、冷蔵庫を開けた。
私はソファから様子をうかがう。
——日本一のVtuberって、相当稼いでるんだよね。
このタワーマンションだって、結構家賃が高いはず。
冷蔵庫の中も、さぞかし豪華な食材が詰まってるんだろうな。
「なあ……プリン、二個あるけど。ていうかそれしかない」
「うん食べる」
「はや! 遠慮とかないんかおまえ」
セイラが呆れた顔で冷蔵庫から取り出し、一個を放り投げてきた。
「これ食ったことないけど、パッケージが気になって買ったんだったわ」
コンビニのプリンだった。
——意外。
なんとなく、自家製とか、高級スーパーとか、そういうものを想像していた。
「へえ。コンビニのプリンなんだ」
「なにか問題でも?」
「ないない。むしろ親近感」
私はスプーンを受け取って、フィルムを剥がした。
セイラも隣に腰を下ろして、無言で自分のプリンを開け始める。
二人並んで、無言で食べ始めた。
深夜の静かなリビング。水槽のメダカだけが、のんびり泳いでいる。
しばらくして、セイラが一口食べた。
そして——止まった。
スプーンを持ったまま、微動だにしない。
どうした、と聞こうとした瞬間。
「……天才が作ったやろ、これ」
真顔で、つぶやいた。
——え。
「え?」
「このプリン。天才が作ったやろって言ってる」
セイラは私の方を見ることなく、もう一口食べた。
「カラメルの苦さと甘さのバランスが、完璧すぎる。こんなん普通の人間には作れない」
——いや待って。
——今の顔、すごかった。
完璧な艦長の顔じゃない。
あの鳳凰院セイラが、ただのコンビニのプリンをひとくち食べて、「天才が作ったやろ」と面白いくらいの真顔で言ってる。
しかも口に方張るたびに、肩の力が抜けたみたいに、眉がちょっと下がって——なんていうか、へにゃっとした、素の顔が出る。
450万人が絶対に見たことない顔だ。
——撮らなきゃ。
私はポケットのスマホに、そっと手を伸ばした。
「お前も食べろよ、まじで傑作やぞこれ!」
「あ、食べる食べる」
私は左手でプリンを食べながら、右手でスマホを構えた。
セイラは水槽のメダカをぼんやり眺めながら、また一口食べて、また「……うまっ」とへの字眉になって、へにゃ顔でつぶやいた。
私は、シャッターを押した。
アプリで音は消してある。撮りバレ対策はバッチリだ。
すばらしい。今日も完璧な一枚が、撮れた。
そしてセイラフォルダに収める。ニヤニヤがとまらない。
「なあYUICA」
「なに?」
「お前、今なんかしたか?」
——鋭い。
「してないしてない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
セイラが横目で私を見た。
私はスマホをすでにポケットに戻して、素知らぬ顔でプリンを食べていた。
「……まあいいけど」
セイラが視線を戻す。
——セーフ。
「それにしても」
私は話題を変えることにした。
「セイラって、コンビニよく行くの?」
「まあ、そこそこ」
「意外だな。もっとこう……高級なものばっかり食べてると思ってた」
「なんで?」
「だって、この部屋だよ? かなりリッチな生活だよね」
私が天井を指差すと、セイラが苦笑した。
「家賃と食の好みは関係ないだろ。大体、高いものが美味いとは限らないし」
「それはそうだけど」
「このプリン、130円だぞ。130円でこのクオリティはおかしい。完全に原価割れしてるやろ」
——また始まった。
「ほんとに気に入ったんだね、それ」
「気に入ったというか……真剣に疑問なんだよ。誰がこれを作ってるんだって」
セイラが空になった容器を見つめながら言う。
「アタシさぁ、このプリンの製造担当者に会いたいとすら今思ってる」
「会ってどうするのよ」
「感謝の気持ちを伝えたい」
——いや、真剣だこの人。
しかも、カラメルが唇の端っこについてる。
その顔で「感謝を伝えたい」って真顔で言ってる。
登録者450万人の艦長が、完璧仮面が、コンビニのプリンに本気で感動してるのだ。
——やばい、愛おしい。そして面白い。
——これも撮りたい。
でも、さすがに二連続は無理だ。
「……何がおかしいんだ」
「おかしくないよ」
「絶対おかしいと思ってる顔だろ今」
「そんな顔してない」
セイラが、じっとりした目で私を見た。
「YUICAって、そういうとこあるよな」
「どういうとこ?」
「笑いをこらえてる時、口の端がちょっとピクピクって動く」
——見られてる。
「そんなことないよ」
「ある。アタシが言うんだから間違いない」
セイラが腕を組んだ。
「大体、お前はさ、陰キャのくせにさ、感情が顔に出るんだよ。まあ、それがウケてる理由なんだだろうけどさ」
「ねえ、それって……褒めてる?」
「さあな」
いつもの不敵な顔でセイラが笑う。
私は大人しくプリンの最後の一口を食べた。
「ねえセイラ」
「なに」
「今日みたいな夜、好き?」
セイラが少し黙った。
水槽の水音だけが、しばらく続く。
「……まあ」
小さな声だった。
「嫌いじゃない」
へにゃっとした声だった。
——これも撮れないのが、惜しい。
でも、これはこのままでいい、とも思った。
写真に残さなくていい景色もある。
144枚目は、プリンの顔でいい。十分だ。
この顔は、声は——私だけが知っていればいい。
◇
自宅に戻った私は、布団の中で、セイラフォルダを堪能した。
144枚。
どれも、私しか知らないセイラのへにゃ顔だ。
「さて、寝るかな」
満足して、スマホを置こうとした。
その瞬間、画面が光った。
LINEの通知。
セイラからだった。
『ここ、今度一緒に行かないか?』
画像が一枚、添付されている。
開いてみると——
さっきのコンビニのプリンの、商品ページのスクリーンショットだった。
公式サイトに飛んだらしく、製造工場の場所まで調べてある。
そして一言。
『工場見学、予約すれば入れるって』
——この人、本気だ。
私は布団の中で、声を出さずに笑った。
返信しようとして、ふと気づいた。
添付画像の下に、もう一枚。
なんだろうと思って開くと——
私だった。
プリンを食べながら、笑いをこらえている私の顔。
え? 私も、撮られていた?
『これが、おまえが笑いこらえてる顔、ウケるだろ。保存した』
——やられた。
私はしばらく画面を見つめて、それからゆっくり返信した。
『私も保存してるから』
既読がついて、しばらく間があって。
『は?何を?』
『ないしょ』
『おまえやっぱり!』
スマホを置いた。
天井を見上げながら、思った。
——セイラフォルダ、145枚目は、どんな写真になるかな。
今夜は、すごくよく眠れそうだった。
(了)




