21-ⅱ)新たな始まり〜花嫁衣装への思い
演習場で新当主の発表が行われた後、ダリアは檻から出された。
「ほら、出ろ。新しく当主になられたローゼン様の恩情だ」
と、仏頂面の人足が檻の戸を開けた。
檻から出た際に、ダリアはその人足に向けて「べー!」と舌を突き出すが、彼は「フンッ!」と鼻息であしらうと、見張り役を終えたので「あー! これで御役御免だ」と言うと、休憩に入るのか、元の持ち場へ戻るのか、どこかへ向かった。同じく見張り役で残っていた女性従業員もあくびをしながら去る。
伸びをするダリアに
「付いて来なさい」
と言ったのは、ローゼンの命でダリアの釈放を伝えに来た当主家の女中だった。彼女は昨日、サクたちと一緒に洗濯したメイドの一人で、踏み洗いをしていた人だ。
『あら〜。やっぱり、新しい当主様は お優しいのねぇ。初めは嫌いだと言っていても、そのうち情にほだされて、ふふふ……、この美しいわたしを正妻にしたいと言い出すかも。ああッ! 花嫁衣装はどんなかしら。豪商カラヤ家だもの。きっと金糸銀糸に彩られた豪華絢爛な物に違いないわ!』
そのように都合の良い未来を、お花畑のようなオメデタイ頭の中に描いて、「にまにま…」と、メイドの後を付いて歩くダリアだったが……
「な、なんで、わたしまで……」
と、自分が着ている質素な服をつかんで悔しがるダリアを前に
「まぁ、『栄枯盛衰は世の常』とは申しますが、人間、いつ、どうなるか分からないものですねぇ〜? あなた様も女中になる日が来るだなんて。クックックックックッ」
と、意地悪な笑い声を立てて嫌味を言ったのは、ロクサネの元メイドで、現在はローゼンの温情で当主家のメイドとなったネリだ。その隣では彼女の元の女主人であったロクサネが面白くなそうな顔で腕組みして立っているが、自分の境遇への不満であって、ダリアへの同情などはない。
「このッ…! メイドの分際で!」
「ハァッ!? なに言ってんの。今はあんたもメイドでしょお !?」
などと、ダリアとネリがつかみ合って揉めていると、ダリアを連れて来た先輩の女中が「パン! パン!」と、手を叩いて喧嘩を止めた。
「ほら。着替えたんなら、仕事よ! 喧嘩なんてしてる暇はないわよ?」
「ねぇ? もうちょっとマシな服はないの?」
文句を言うダリアに先輩メイドが説明する。その口調は強めだが、要らぬ揉め事を起こさぬよう、極力、感情の抑制が入っている。
「今の服で不満があるなら、自分で稼いで、いい服に変えていく事ね。当主家は寛大だから、多少のオシャレは許してくれるわ。もっとも、この仕事をする以上は動きやすくて、派手過ぎない服装である事を求められるけど」
そして、先輩メイドがダリアを睨むのは、元々、肌の露出が多い派手な服を好んで着ていただけに、釘を刺したのだ。先輩メイドの脳裏にローゼンの言葉が思い出される。それはダリアの処分についてだ。
朝食の後、演習場で新当主の発表を前に、すぐに当主のテントに呼ばれた当主家の五人のメイドたち。ただし、昨日入ったばかりのロクサネとネリは呼ばれておらず、彼女たちは皿洗いを任されている。
五人のメイドたちはローゼンにダリアの監視を命ぜられた。
「さすがに、いつまでも閉じ込めておく訳にはいかない。この後おこなう新当主の発表を終えたら、ダリアを釈放して、メイドの仕事をさせる。お前たちにはダリアに仕事を教える他に、彼女の監視をしてほしい」
古参の女中が主の気持ちを察して、頬に手を当てながら苦笑いして言う。
「また、ローゼン様が狙われても困りますものね」
「まぁ、それもあるが…」
と、ローゼンも微かに苦笑いすると、すぐにそれを収めて言った。
「サクに危害を加えられないかが心配だ。それもあるから、ダリアが真面目になるかどうか様子を見ている間は、俺の目が届く所に置いておきたい」
すると、若いメイドが言う。
「でもぉ、そんな事するより、荒野にほっぽってハイエナの餌にでもすりゃいいんじゃないですかァ?」
その言葉にローゼンは困り顔で額に手を当てた。
「それを言うな。店の人足連中を倒せるぐらいの鬼みたいな女なら ともかく、さすがに普通の女相手にそこまで残酷な事が出来る訳もないだろう」
引き合いに出した「鬼みたいな女」とは、レイとサクの元姉妹の華夜、美夜、輝夜の事だ。メイドたちは、まだ直接会った事がない。
ローゼンの事を他のメイドが
「ローゼン様は お優しいですものね」
と評するが、当のローゼンはこうも言う。
「もっとも、わざと怪我をさせたり、毒や凶器で命を奪おうとするような凶悪な質だと分かれば、その時は、ハイエナを待つような悠長な事は言っていられない。俺の手で確実に斬り捨てる」
そんな厳しい一面も持つローゼンにメイドたちは神妙な面持ちでうなずいた。
「仕事が増えて申し訳ないが、よろしく頼む」
「かしこまりました」
古参の女中の返事に続いて、他の四人のメイドたちも右手を胸に当てて軽く会釈して応じた。
『真面目になるとは思えないけど……。ローゼン様も女には甘いわね』
先輩メイドは主であるローゼンの甘さに舌打ちしたい気分だったが、気持ちを切り替えて、仕事モードに入った。
「さぁっ! 洗濯物を回収するわよ!」
女中用のテントを出て、ロクサネとネリ、ダリアの新人メイドらを引き連れた彼女は当主家の人たちのテントを回って、洗濯籠を受け取り、川へ向かった。
彼女たちが川で洗濯を始めた頃、サクは非番の商人や人足らに頼まれて、東洋の言葉を教えていた。レイやモーも和の国や央華の言葉を教える為に、レイとサクのテントにいる。
時折、雑談もする。その中で、カラヤ商店の商人たちが天竺語を操れると知って、驚くサク。
「皆さん、天竺の言葉は喋れるんですね」
商人たちがサクに理由を教えてくれる。
「ええ。カラヤ商店では天竺語が話せる者が多いんです」
「ファルシアス王国と天竺は地理的に近いので、昔から取引が多かったものですから」
「そうなんですか」
そこへ、商人の一人がサクが書いた「ひらがな」と「カタカナ」の手本の紙を手に取って提案した。
「ところで、奥様。この文字のお手本、印刷しましょう」
挙式はまだだが、サクはすっかり奥様として皆から認められている。否定するのも面倒なので、今は聞き流しているサクは「印刷?」と聞き返した。
「はい。その為に、このお手本、もらっていいですか?」
「どうぞ。また、新しいのを書きますから」
「ありがとうございます。では、さっそく、工房に発注をかけて来ます」
彼の提案で、サクが書いた手本を印刷する事になり、商人二名が印刷の為に勉強会を中座した。
『木ぃに版画を彫って刷るんかぁ。それやったら、学びたい人、みんなに行き渡るなぁ』
と思いながら、水滴で硯に水を二滴ほど垂らし、墨をゆっくりと磨るサク。
しかし、商人たちが思い付いた印刷とはサクが思う木版画ではなく、金属に彫って刷る活版印刷なのだが、そのような舞台裏まではサクには分からない。
一方、ローゼンのテントには当主家とその分家の男たち、六家の家長、店の幹部らが集まって会議をおこなっていた。その議題の中で、ロクサネの実家については条件付きで援助する事が決まった。
会議の後、レイやルーク、手の空いた人足らと武術の稽古を始めたローゼン。後から母カーラも演習場にやって来た。
「あー。これは強いねぇ……」
レイの太刀捌きに感心して思わずつぶやくカーラ。
一息ついて水を飲んでいる祖父ローキが声をかける。
「凄いだろ、カーラ。レイは木太刀でも強いぞ」
「木太刀と真剣では重量が違うから、『勝手が違う』とか、『真剣では負けない』と言い訳する者も多いが、本当の修羅場ではそんな事は言っていられないからな」
父カイトが話している間にもレイは警備兵を兼務する人足らを次々と倒す。
「凄い親戚、出来ちゃったねー」
と、肩をすくめるカーラの感想に深くうなずくカイトとローキ。
何人抜きかの荒稽古をこなしたレイが木太刀を突き上げて吼えると、
「よっしゃあッ! 肩慣らし終わりィー!! ローゼン! 抜刀の練習、見てやるぞォ」
と、ローゼンに声をかける。
「よし!」
待ってましたとばかりに、ローゼンが刀を手にしてレイに近付く。
レイが木陰に置いてあった手荷物から細い帯を出して、一本をローゼンに渡す。
「ほんだら、先に刀の差し方から教えるわ」
レイの服は長旅の途中で異国風の物に変わっているので、その服の上から別に帯を巻く。
「腰骨の所に帯 巻いて、こう差せ。刃が上向きになるようにな」
と、自らやって見せるレイ。教わるローゼンだけでなく、周りも興味津々で見学する。
「変わった付け方すんだね」と、カーラ。
「こいつは騎馬戦に使う刀じゃなく、歩兵戦の物なんで、刀身の長さも違うし、反りあんばいも違うんですよ。何より、体に密着する分、移動の際も多少は安定感がありますかね」
レイは帯刀した自分の刀に手を当てて答える。
「それに、この付け方だと、ベルトから刀剣をぶら下げてるのより、柄が上の位置に来るんで、刃が下を向いた状態だと抜きにくいんです」
「ふうん」「ほう」と、ローキとカイトもレイの説明に聞き入る。
「レイ、論より証拠だ。実演してくれ」
同じように帯刀したローゼンが催促するので、レイが皆に断りを入れる。
「まぁ、下向きに抜くと、せっかくの名刀の刃が傷むので、あえてやりませんが、本来の抜き方を御披露します」
皆から少し離れて腰を落とし、刀の鞘と柄に手をやるレイ。その目付きが鋭くなるや否や ──。
次の瞬間には「おおーッ!」という驚愕の声が演習場の空に響いた。
この時、サクはローゼンの祖母・リナや三人の女中たちと花嫁衣装の打ち合わせをしていた。他の女中たちは別の用事でリナのテントにはいない。
テーブルの上の何種類かのデザイン画を見せられて、右手だけ腕組みし、左手の指先であごをつまんで迷うサク。
「どれもいいですねぇ…。迷うなぁ……」
「そう? 古臭くないかしら?」
と、リナに訊かれたサクは首を横に振って否定する。
「そんな事ないです。これ、みんな、わたしの好みです。レースとかフリルとかあって、豪華というより清楚で、繊細な感じで」
サクが述べたとおり、それはダリアが想像した花嫁衣装とは真逆の物だった。
サクの素直な感想を聞いて、女中の一人が微笑みながら言う。彼女は二日前、ガナンの家族がやって来た日に、サクの採寸をした女中だ。
「やっぱり、ローゼン様がおっしゃったように、サク様はリナ様とセンスが似てますね」
「あら。そんなこと言ってたの? あの子は本当に目敏い子ねぇ」
頬に手を当てて言うリナの姿は単純に褒めていると言うより、眉間にしわを寄せて、困ったようにも呆れたようにも見えるので、サクは小首を傾げる。
「さすが、ローゼン様ですね!」と、若いメイドが言うと、リナの眉間のしわが先程より深くなる。
「なに言ってるの。あんまり気が利くのは、裏を返せば粗探しが上手いという事よ? だから、あの子、なかなか結婚できなかったのよ。でも、良かったわ。やっと決まって」
リナは安堵の表情で胸に手を当てると、サクに向かって両手を握り合わせ、祈るように懇願した。
「サクちゃん、お願いね。あの子を、ローゼンを見捨てないでね」
そんなリナの大袈裟な行動にサクは若干、引き気味になりつつも、両手を左右に振って、リナを安心させようと必死になる。
「だ、大丈夫です! ローゼン、凄く、優しいので」
「ありがとう、サクちゃん!」
喜ぶリナを前に、内心では
『そ、それとも、結婚したら、ローゼン、豹変するんやろうか。だ、大丈夫かな〜……』
と、心に一抹の不安がよぎるサクの心の声の語尾は思わず上擦っている。
再び、デザイン画の紙に目を通しながら、ローゼンについて思うサク。
『ローゼンは粗探しが上手いゆー事は、そのせいで お姉ちゃんら、いや、あの人らぁは早い段階で結婚相手の選択肢から除外されとった可能性があるな』
そして、縁を切った元姉たちに対して、腹立たしくなり、思わず眉根にしわが寄る。
『あの人らのお蔭で計画が狂いまくった! 本真はあの人らの結婚を見届けたら、うちとお兄ちゃんは さっさと和の国へ往ぬ(帰る)予定やったのにィ〜! お母さんの言う事も聞かんと、悪い事ばっかりして!』
そんなサクの様子を見たリナに
「やっぱり、気に入らないかしら? 他を考えるわ」
と、声をかけられ、サクは慌てて誤解を解こうとするが、他の考え事をしていたとは言えないので、その場に応じた言い訳をした。
「い、いえ、違うんです。どれもいいから、本当に迷うんです」
そこへ、「あの、一つ、提案が……」と、古参の女中が申し出た。彼女は衣装箱から花嫁衣装を取り出して、飾った。それを前にしたサクはため息混じりに感嘆する。
「うわぁ……! 綺麗ですねぇ」
古参の女中がそろえた指先で花嫁衣装を指し示して、サクに説明する。
「こちらはナディアお嬢様の為に作られたドレスなのですが、ローゼン様の結婚が近いと噂になっておりましたので、一応、参考の為に用意して参りました」
リナの娘・ナディアはファルシアス王国・現国王の側室にして寵妃であり、ローゼンから見れば、叔母に当たる。
「はぁ……。ローゼンの叔母さんの……」
と、だけ答えたサクだが、胸中では
『えらい用意周到やなぁ。そもそも、うちは結婚する気のうて、急に決まったようなもんやのに。噂だけが先行しとったゆー事? 恐ろしぃー!』
と、噂の影響力に慄き、身を縮めていた。
その隣で
「本人が袖を通す事なく、終わった物ね……」
昔を懐かしむというより、遠くを見るような虚しい目でリナがつぶやいた。
「どうしてですか?」と、遠慮がちに訊ねるサク。
「あの子は貴族の養女となって、側室になる為に王家に嫁いだから、これは必要なくなったの」
と、ドレスの袖を手に取るリナの寂しげな横顔にサクまで悲しくなり、自分の服の胸元を握った。そんなサクに、リナの言葉を継ぐように古参の女中が当時の事を話してくれた。
「側室ですから、正室の手前、結婚式は行われなかったのです。当初はその事を知らずに、花嫁衣装をリナ様がご用意したのですが、後から正室ではないので挙式はないと、使者の方から言われまして。なので、リナ様がご用意された、この花嫁衣装を着る事なく、お嬢様は輿入れされたのです……」
リナたちの気持ちを思い、サクはしんみりとした面持ちになり、
「そうだったんですか……」
と、うつむき加減になる。
若いメイドが疑問を口にした。
「でも、なんで、わざわざ貴族の養女として、お嫁入りしたんですか?」
それはサクや当時の事を知らないメイドたちも気になっていた。リナがそれに答える。
「権力闘争にカラヤ家が巻き込まれる事を恐れて、わたしが反対した事もあったけど、商家であるカラヤ家から嫁ぐのは王家にとって体裁が悪いから、その方が都合が良かったのよ」
その理由に若いメイドが驚いた。
「えっ!? このファルシアスの豪商カラヤ家なら格好が付かないなんて事、ないんじゃないですか?」
「王侯貴族にしてみれば、どんなにお金持ちでも、血筋が大事なのよ」
「えー! そんなぁ〜」
古参の女中の言葉に、若いメイドは納得いかない顔で不平の声を上げた。
その傍らでサクは一瞬だけリナの顔を見遣ると、
『あれっ? カラヤ家って、昔の王族の末裔のはずやけど、公にはしてないんかなぁ』
そのような疑問が湧くが、
『ほんでも、メイドさんらぁ、他人さんが居る前では訊かん方がええかも……』
ここで訊くのは憚られる気がして、口をつぐむ。
リナがこんな事を言った。
「たとえ正室として召されたとしても、貴族ではない わたしたちは式には呼ばれなかったでしょう」
どの道、リナたち家族は結婚式には出られなかったのだ。それを知ったサクの瞳が揺れた。サクの視線がリナの寂しい横顔から、娘の為に用意された花嫁衣装に移る。
『おばあちゃま、結婚には反対しとったゆーても、やっぱり、可愛い我が子やったきに、こんなに綺麗なドレスを用意して……。楽しみにしとったはず……』
サクの中で一つの思いが募る。
リナが気を取り直すつもりで、わざと明るく振る舞う。
「もう、昔の事よ? それより、サクちゃんの花嫁衣装を決めないと!」
「あの、おばあちゃま。このお衣装をリメイクする事って出来ませんか?」
サクからの思わぬ提案にリナは一瞬、言葉を失った。
「え……」
リナの反応を見て、『出過ぎた事ゆーてしもうた!』と勘違いしたサクはすぐに引き下がる。
「あっ…、ダメなら、いいんです」
と、胸元に挙げた両手を左右に振るサクに、リナは首を横に振った。彼女にはサクの申し出を断る理由などはなかった。むしろ、ありがたさと喜びで目に涙が浮かぶ。しかしながら、
『わたしのワガママに付き合わせてしまっているんじゃ……』
と、案じる彼女は躊躇いがちにサクに訊ねる。
「本当に……いいの? それで」
リナの顔をまっすぐに見つめた後、
「……はい」
と、深くうなずくサクの意志は固かった。そこには祖母リナの思いを大切にしたい気持ちと、その悲しみを喜びに変えたいというサク自身の願いがあった。
「そう……。ありがとう」
指先で涙をぬぐうリナの姿をサクたちが温かく囲む。
こうして、ローゼンの叔母・ナディアが着るはずだった花嫁衣装は、サクの花嫁衣装として生まれ変わる日を待つ事となった。




