21-ⅲ)新たな始まり〜幸せを受け入れる者 幸せにしがみつく者
演習場での新当主の発表の後、東洋の言葉を教わりたいと集まって来る商人や人足たち、昼の献立は何がいいかと訊ねて来るメイドたちに囲まれて、周りから「奥様」「奥様」と呼ばれるサクの様子を見て、午前中の会議に入る前のローゼンは上機嫌だった。
『いやぁ〜。挙式を焦らずとも、順調に事が運んだな。父さんがサクを認めた事は大きかった』
と、彼は内心で安堵する。三日前、家族との顔合わせの後に、父カイトがカラヤ家の紋章の秘密についてサクに教える事を許可したぐらいである。最早、破談になる心配はない。
さらには、昨日のカラヤ一族の当主を含めた七家の家長による次期当主決定会議が決定打となった。しかも、ローゼンはすでに若旦那として実質的にカラヤ商店の主の役割を代行していたので、今更、引き継ぎの作業もなく、即日、当主に就任となったのである。それをローゼンは
『そのすぐ後、幸か不幸か、俺が当主に決まってしまった……。あぁ、メンドクサイ』
と、若干、落ち込むが、立ち直るのは早い。すぐに現実を幸運として受け入れる。
『まぁ、いい。そのお蔭で俺の権限が強くなった訳だし、挙式前であっても、サクの立場は盤石なものになった。これでサクを守る為の安心材料が増えた』
結局は愛する人が心配なだけである。彼に権力欲は無い。お人好しという点では、ローゼンも案外、サクと良い勝負かも知れない。
自身のテントの入り口前で集まって来る人たちの応対をしているサクに、ローゼンが声をかけた。
「サク! 疲れない程度に程々にな」
「うん! ありがとう」
若い当主夫妻の遣り取りの後に、商人の一人が新しい当主のローゼンに向かって冗談めかして笑う。
「大丈夫ですよ。奥様に負担はかけません。我々だって鬼じゃありませんよ!」
「おい。まるで、俺がお前たちを鬼みたいに扱き使っているように聞こえるじゃないか」
それにローゼンは笑って答えると、みんなが笑った。上下関係があっても冗談を言い合えるのがカラヤ商店だ。
サクに近付いたローゼン。
「じゃあ、俺は会議に行って来るよ」
「うん。頑張って!」
と、笑顔で手を振るサクの返事を聞くと、微笑みで返したローゼンはカラヤ兄弟のテントに入って行った。彼が当主となった事で、そこが当主の場所となった訳である。重要な会議はそこで開かれる。
同じ日避けテントの下の食卓に集まったローゼンやサクの当主家の人たちとサクの兄・レイ。その昼食の席で、祖母リナから花嫁衣装の件を聞いたローゼンはサクに訊ねた。サクが遠慮する性格である事を分かっているだけに、心配する。
「サクは本当に、それでいいのかい?」
お人形のように愛らしいサクは「こくり…」と、うなずきつつ、「うん」と返事すると、優しいローゼンを気遣った。
「遠慮とか、そうゆうんじゃないから。おばあちゃまのデザインはどれも好きだしぃ、その中でも、あのドレスが一番良かったゆーだけの事なので」
和の国の言葉が分からない家族もいる手前、ファルシアス語で喋るのだが、自分の気持ちを表現し切れていない感覚で、なんとなく、もどかしいサク。それがローゼンの目には遠慮に映る。
「そうかい? それならいいんだけど」
と、口では言うローゼンだが、少し憂え顔になる。
『口ではそう言ってるけど、やっぱり、ばば様の事を思ってだろうな』
そう思っているところへ、ルークに話しかけられた。
「兄さんはどうするの? 衣装」
「俺は普段使ってる正装の中から、サクの衣装のイメージに合わせて選ぶよ」
ローゼンは得意先である王侯貴族と面会する事もあるので、数着ほどの正装を常に用意している。これも必要な私物として、行商の旅では荷馬車で運んでいるのだが、この物流拠点のキャンプにも持ち込まれていた。
「あんた、ケチだねぇ」
と、母カーラに言われて、ローゼンが言い返す。
「俺のまで一から作ってたら、結婚式がいつになるか分からないよ」
「待ち遠しいのね。ローゼンは」と、笑う祖母のリナに、「まぁね」と、ローゼンはウィンクで答える。
「じゃあ、サクの花嫁衣装が出来次第、挙式って事になるのか。日取りは神官様に聞けたの?」
ルークに訊かれて、ローゼンが予定を伝える。
「まだ、返事は来てない。もう少し先になるだろう」
「ふうん。でも、楽しみだね。ばば様が一番好きなデザインの花嫁衣装だから、サクに似合うと思うよ?」
と、兄に返事した後、サクに向けて単純に笑顔で言うルークだが、ローゼンはわざとらしく花嫁の兄のレイに向けて言う。
「レイ。泣くなよ?」
「誰っちゃ、泣かへんわ!」
ローゼンにからかわれたレイは向きになって思わず訛ったが、言語が違えど、そこはフィーリングで他の家族にも伝わった。
『花嫁姿なんて見たら、絶対にボロ泣きだね』
と、思うのは半笑いの母カーラだけではない。祖母リナも
『初顔合わせで縁談がまとまった、あの時でさえ ──
「至らない妹ですが、どうか末長く よろしくお願い致します」
── 涙目だったものね』
と、妹思いなレイを微笑ましく思い、祖父ローキはレイの気持ちを慮る。
『これからも共に旅を続けるとは言え、心理的に可愛い妹と離れるのは淋しかろう』
一方で、父カイトは別に思うところがある。
『あいつが嫁ぐ為に家を出る時は、ちっとも泣けなかったな』
家族がたわい無い会話を続ける中で、当時の事を思い出すカイトは王家に嫁いだ自身の妹・ナディアについては良い感情を持っていない。
『あいつは性格がキツイから可愛げゼロだったし。親を心配させて泣かせるような縁談なんぞに飛び付いて、正直、怒りしか湧かなかった』
「王家にいたら、権力闘争で命を狙われる」と、説得して思い止まらせようとする両親を顧みず、勝ち気な妹はこう言った。
「わたしなら大丈夫よ。そんなの返り討ちにしてやるわ!」
そんな妹を拳を握り締めて見ていたのを、カイトは今でも覚えている。しかし、止めても聞かぬ妹ゆえに、怒りを押し止めたのだ。
『いったい誰に似たんだか。あのジャジャ馬は!』
和やかに食卓を囲む家族の顔を眺めながら、カイトはグラスの水を口にした。
『母さんだって子供たちのワガママは許さなかったし、気の強い父さんでさえ、聞く耳はある。鬼子か、あれは』
そう思いつつ、一度、サクの方を見る。同じく妹の生まれであるのに、おとなしいサクと比べると、ナディアが余計に忌ま忌ましく思える。
『しかも、案の定、息子を二人とも殺され、末っ子のシェリーを連れて病気療養とか言って実家に逃げ帰って来たと思ったら ──』
「復讐してやるわ!」
三年ほどの療養生活を終えると、ナディアは握り拳を天に向かって突き上げ、息巻いて実家を後にしたのだった。
『懲りもせず、再び王宮へ戻って行った。いったい、どういう神経をしているんだ。我が妹ながら、分からん。理解に苦しむ』
肉に嚙み付くカイト。腹を痛めて産んだ母親のリナとは違い、カイトにとってナディアへの情は薄いものだった。
『母さんはあれを「許さない」と言っても、どこかで、あれを心配している。それなのに、あいつはそんな気も知らないで……!』
一度は冷静にナディアを「あれ」としたものの、母の事を思うと、「あいつ」と憎しみの感情が出てしまう。その拳には力が入る。
彼はふと気付いて、視線を落とした。
『それにしても、サクの花嫁衣装、袖を通していないとは言え、あいつのお下がりでいいんだろうか』
食事の手を止めたカイトはサクに申し訳なく思えて、もう一度サクの方を見ると、サクはみんなと楽しそうに笑っていた。家族のしょうもない冗談で笑わされているようだ。そんな無邪気なサクの笑顔を見ていると、不思議とカイトの胸はスッとした。それを、あえて言葉にするならば、風や水のような透明な流れる物が体の中を突き抜けるような感覚に見舞われ、心が楽になったとでも言おうか。
『気にし過ぎだろうか……』
カイトはナディアへの嫌な感情や、サクへの申し訳ない気持ちを振り払うように、一度、頭を振った後、こう思った。
『いや。きっと、良い式になる』
自分に言い聞かせているのか、予感なのか、それは彼自身にも分からないが、そんな気がした。
話の流れで、ルークがカイトに訊ねる。
「それでさ、父さんはどうする?」
「ん?」
「俺もラズワード商会から一振り買おうと思ってるんだけど」
話題は刀剣に移っていた。ローキもカーラもレイに剣術指南してもらう為に買うつもりだと言う。
「そうだな。わたしも新しい事に挑戦したいな。和の国の刀を一振り買おう」
カイトも加わった事で、サクがレイに微笑みかける。
「お兄ちゃん。お弟子さん、また増えたね」
「こりゃ、大変だな。人足さんたちにも言われるし」
と、レイは頭をかいた。
「こりゃ、剣術指南で食べていけそうだな」
「みんな、レイが宝石商で宝石鑑定士だという事を忘れてるんじゃないか?」
などと言うローキとローゼンに、みんなが笑う。家族の会話に戻ったカイトも、いつものように明るい笑顔になった。
ブランは自分のテントにマルジャーナを呼び付けた。人払いをして自分の使用人たちやマルジャーナ付きのメイドを下がらせた。
室内はソファーに対面して座るブランとマルジャーナだけになる。
「俺はどうしたらいいんだ。マルジャーナ」
すっかり自信を失ったブランは頭を抱えて塞ぎ込んでいた。今のブランはローゼンの監督下にあり、自由には動けない。重役会議への参加を認められてはいるが、発言してもブランに信用がないので、意見を聞いてもらえない状況だ。
「どうしたらって……」
いつもの自信満々な姿が消え失せ、珍しく弱音を吐くブランに戸惑うマルジャーナは言葉を続けられない。
ふと顔を上げたブランが
「まさか、お前もダリアみたいに裏切る気じゃないだろうな」
と、疑心暗鬼になり始める。
「そうだ。お前、昔、ローゼンに片想いされてたって噂があったな」
その言葉にマルジャーナが驚きで目を剝いた。それを見て、ブランが
「やっぱり、ローゼンに乗り換えるのか」
恨みがましげにマルジャーナを睨むのは、どこかで否定してもらえる事を期待しているからだ。否、その実は
『お前まで裏切るなよ?』
ほとんど脅しである。
「そうね。それもいいかも知れない」
「ポツリ…」と つぶやいた彼女の言葉に、しばし、茫然としたブラン。
「……なんだと。本気で言ってるのか。お前は俺に惚れてたんじゃないのか? 最初から全部、嘘だったのか!」
「嘘じゃないわ!」
途中から立ち上がって激昂するブランに負けじとマルジャーナが立ち上がり、強く言い返す。彼女のその右手は自らの胸を強く押さえ、その両目はブランの顔を見据える。
「わたしはずっとあなたを見てきたわ。あなただけを見てきたの!」
その迫力にブランは言葉を失い、立ち尽くした。そんなブランにマルジャーナが怒りをぶつける。
「それなのに、あなたは わたしを本妻にする事はなかった。それどころか、あなたは他の人を本妻にして妾まで増やすわ、おまけに、あなたは当主にもなれない。なんの為に、わたしは我慢してきたの? 結婚はしてくれない。当主の奥様にだってなれない」
身振り手振りを交え、顔を振ったりと、不満を爆発させるマルジャーナの視界にはブランは入っていない。文句をぶつけられているブランは耳が痛いと思うどころか、珍しく歯向かうマルジャーナに啞然としたまま、
『俺に惚れてるなら、我慢するのは当たり前だろ。それより、泣きたいのは俺の方だぞ』
とか不満に思っている。
マルジャーナの両手の拳が上がったと思ったら、
ドンッ……!
テーブルを力一杯に叩き、怒鳴った。
「これじゃあ、わたしが惨めなだけじゃないッ……!」
それが本音だ。彼女にとって大事なのは彼ではない。あくまで自分なのだ。
「わたしはカッコイイあなたに惚れていたのよ。今のカッコ悪いあなたになんかじゃないわ!」
マルジャーナの右手が勢いよく水平に振られた。ブランの全てを否定するように。
その、あまりの言われようにブランの口からは思わず
「はァッ!?」
という素っ頓狂な驚きの声が上がった。
マルジャーナの勢いは止まらない。
「カッコイイあなただったから、甘んじて全てを受け入れたのに、こんなのひどいわよ!」
「おい! ひどいのはどっちだ! 弱っている主人を見捨てて、勝ち馬の男に乗り換えようだなんて、そっちの方がよっぽどひどいだろ!」
ブラン、自らの行いはすっかり棚に上げて、マルジャーナを非難するが、彼女も負けてはいない。ブランを指差して強く非難した。
「そうよ! あなたのそういう所がひどいのよ!」
「なんだと?」
知能だけは高いが、愚かなブランには己の人間性に関わる欠点が分かっていない。
「自分が得する事ばっかり考えて、わたしの事なんて、ちっとも考えてくれてない! このワガママ男! 最低よッ!!」
「なッ……!?」
ズバッと言われて絶句したブラン。
『俺がワガママ?』
面と向かって罵られたり、現実を指摘される経験が少なかっただけに、しかも、それが従順なマルジャーナによるものであっただけに、その衝撃は大きい。
言うだけ言って多少スッキリすると、マルジャーナは数歩ほど歩いてソファーから少し離れ、指で顎をつまみ思案を巡らし始めた。
「よく考えたら、ローゼンの方がいいかもね。今は当主だし、昔よりカッコ良くなったし。子供の頃と違って、女に手を上げないし。結婚したら、大事にしてくれそうだわ」
そんな甘い計算をする彼女に、ブランが顔を顰めて半笑いで指摘する、その言葉は彼女への仕返しのつもりだ。
「お前、なに言ってるんだ。あいつにはもう結婚相手がいるだろう」
「そんな事、関係ないわ」
と、ブランを見るマルジャーナの眼が怪しく光った。蛇に睨まれたようにブランの体は動けなくなった。
そして、ブランのテントから聞こえたのはマルジャーナの悲鳴だった。




